サンは堂々とした立派な印象の音ですが、私は奥深い感じのシャンの方が山には相応しいかと思います。
それは私が山をかなりディープに味わう派で、道なき道を切り開いて登るのが好きなせいもあるでしょう。
これは当然道に迷い、進むのにも大変な試行錯誤を要しますが、誰も知らない自然と景色を味わえ、苦労した分だけ本道に出られた時に大きな解放感を得られます。
私はカイラスとエベレストも挑戦した事があり、どちらもムリして高山病になりました。これは自分で下りれたので問題ありませんでしたが、しぶとく登り続けていたら危なかったでしょう。
エベレストでは雨で道に迷ってかなりヤバかった事もあり、なんとか民家にたどり着けて冷え切った体を暖炉で温められた時の安心感は忘れられません。
さて、物語でも山をフィーチャーするのですが、まずは阿歩(アポー)が預けられた五台山(ウータイシャン)から紹介します。
ここは漢伝仏教とチベット仏教の唯一の共通聖山で、3000mを超える山頂にまで寺院が建てられてます。
麓にはかつて300ものお寺が建ってたそうですが、文化大革命で粗方破壊されて今は40程が再建されてますが、破壊され打ち捨てられたままの寺も多く見る事ができました。
再建された寺にはとって付けたような新しさがあり、古い伝統は感じられず僧侶も手持ち無沙汰に見え、おまけに入場料まで取るのでとても信仰の場とは言えません。
山頂の寺は流石に気合いが入っていてお寺っぽかったですが、漢伝仏教は基本的にもう死んでおり、僧侶は公務員みたいなモノで国に養われていて、当然やりたがる人間は少なくやる気も感じられませんでした。
それと対照的なのがチベット仏教のお寺で、こちらは今でもモンゴル人にとっては近場で最大の聖地として信仰を集めており、僧侶の数も多く厳しい山頂での暮らしにも活気がありました。
日本が中国に進出していた時期には、この五台山にも日本仏教が進出しておりましたが、中でも熱心に布教に勤めたのは日蓮宗系の日本山妙法寺でした。
これは一乗の教えで、つまり大乗仏教と小乗仏教を統合して、ついでに全ての教え(宗教)も一つに纏めてしまおうというかなり野心的な宗派です。
一つとは南無妙法蓮華経のマントラを指し、ここに全ての教えを溶け込ませる感じです。
因みにこれは千年前の天台大師が特に深く帰依したマントラであり、妙法を120通りに解説した事は前に述べました。(「平和行進について」)
宗教の話はこれくらいにして、物語に入ります。と言ってももう字数が嵩んでしまったのでほんの触りになりますが、当時この五台山で修行されていた日本山の僧は名を行雄(ギョウユウ)と言い、私の名前(ユキオ)と字が一緒なので特に親しみを覚えます。
彼は日本軍が南京を攻略した時にも太鼓を打って軍隊と市民の間で平和を祈って歩き、そうした修行を続けて行く内に命を落とされます。
阿歩はこの雄気ある僧侶の元で育てられ、彼から行善という僧名も授けられます。