新しい登場人物が決まったので、さっそく彼に物語を進めて貰います。
この遺書は「党」の幹部である彼が、「核ミサイルが一時間後に着弾するから退避せよ」との緊急指令を受けてからネットに発表したモノとし、その指令では「パニックを避ける為に周りの者に伝えてはいけない」ともありましたが、郭沫平(グォ-モーピン)はそれを両方とも無視します。
ーー この遺書は、今年で70歳になる私が数年前から書こうと思っていたモノで、今日もうすぐ北京に核ミサイルが着弾するとのコトで、ようやく発表する機会を得ました。
私はこれまで50年近くもの歳月を文学に捧げて来ましたが、本当に書きたいことが書けない人生は、孤独と苦悩に包まれたモノでした。
まずは「孤独」についてから語らせて貰いますと、私の結婚生活は世にも稀なほど孤独なモノでした。 妻は党幹部の娘で、私達は党の要望に応える形で結婚しましたが、彼女は党の忠実な犬で、私の思想を監視して党に報告する任務を負っていました。 私が妻のスパイ行為を知ったのは結婚してから20年近く経ってからで、妻はそれを認めましたが、これは党幹部の宿命なのだと逆に諭されました。
確かに、私がそうした党からの警戒を受けるのは宿命と言え、それは父がカナダに亡命したからです。 私が生まれた70年前、父は北京大学の文学教師でしたが、天安門事件が起こって多くの教え子達が命を失いました。 父は国家副総理にまでなった祖父-郭沫若の七光りで、北京大学総長の椅子が約束されていましたが、それを蹴ってただ一人、家族も捨てて亡命しました。
それはどうしても書かなければならないコトがあったからと思えますが、残念ながら父はそれを発表する前に心臓発作で亡くなってしまいます。 これは今だからこそ言えるのですが、まだ39歳だった父がそんなにあっけなく死んだのは、間違いなく党の差し金による毒殺と思えます。
次に「苦悩」について語らせて貰いますと、私にとって一番の苦悩は学生達から「党の犬」と罵られるコトでした。 彼らは中国では、本物の文学は殆どが発禁にされていて、海外でのみそれが読めるコトを知っています。 それは香港ではまだそうした「禁書」が手に入るからで、2019年の争乱以降は香港でもあからさまに「党」を批判する本は発禁にされましたが、ユン‐チアン、高行健、余華などの世界的ベストセラーは発禁には出来ず、多くの学生達はそうした「禁書」を読んで私に見解を聞きに来ました。
私も勿論、海外に行った折にそうした本を手に入れ妻に隠れて読んでいましたが、学生達は何でも無邪気にネットに発表するので、私の「禁書」に対する見解を素直に伝えるコトは出来ませんでした。 彼等を信用し切れなかったのは私の過ちかも知れませんが、北京大学総長の椅子が約束されていた私は、保身のタメに「そうした本は読んだコトがない」と答えるのが常でした。
ここでその嘘へのお詫びとして、私の本心を語らせて貰いますと、党の言論統制は全くバカげた行いで、それは中華民族の文化と誇りを汚しており、愛国心のカケラも無い愚行だと思います。
それは単に党の権力を保つタメに行われており、党が無くなれば国家が破錠するなどというバカげた考えを人民に植え付けようとしていますが、人民はもうそんな話を信じるほどバカではないと思います。
いったいこの21世紀後半の地球上で、一党独裁が理想の政治形態だなどと信じる者が居るでしょうか? それは党の幹部ですら信じてはおらず、ただ惰性と保身ゆえに権力を握り続けようと四苦八苦しています。 私はもうそんなバカなゲームからは降りようと思い、私にまだ時間が残されているのならば、父のように自由の国へ逃れて本当のコトを書きたいと思います。 ーー
この遺書を書き終えてネットにアップした後で、沫平は同僚や学生達に核ミサイルが迫っているコトを知らせます。 もう郊外へ逃れる時間は残っていませんでしたが、せめて死ぬ覚悟を少しでもした方が、まったく突然の死よりかは報われると彼は思いました。
沫平は校内放送で学生や教師たちを校舎の屋上に集め、これまで自分が本心を明かさなかったコトを詫び、そうしている内にミサイルが上空から飛んで来て北京中心部に落下し、轟音を響かせます... 核爆発が起きなかったコトに皆は安堵しますが、一体何があったのだと大勢の人々が天安門広場へ集まって来ます。
次回はこの続きを、一人の留学生の目線から語ります。