前回、ギャンブル史に残る大勝を果たした流河(ルーガ)と胡(フー)は、一億円もの場代をベネチアンに払ったので、とうぜん特別な送迎を受けます。
2人はまずみんながよくやる様に、勝利を祝って運河に硬貨を投げ入れますが、これは両替所で一万円分の500円玉を作って1人10枚ずつ蒔くとします。
因みに500円玉は世界最高額の硬貨で、私はこれを「ご祝儀」とする麻雀を日々打っています。
その後2人はフードコートにも立ち寄り、そこで余りにも多くの食べ物が残されいるのを目にします。
流河は昔こうした食べ残しで生きていたので、放っては置けずベネチアンの職員に弁当箱を求めて自分で詰めます。
2人は更にもう一つベネチアンにリクエストをし、それは香港行きのチャーター船に乗せて貰うコトで、これは普通にサービスとして行われていました。
一昔前まではマカオ-香港間はパスポートチェック無しで行けましたが、争乱が起こってから香港は出入国が煩くなってしまいました。
それでも、ベネチアンのクルーザーが香港の離れ小島に来るのまでは取り締まれず、「お尋ね者」の2人はひなびた小島の砂浜に降ろして貰います。
こうして流河は初めて「自由世界」に足を踏み入れます。
香港は中国化が進んでいるとは言え、イギリス人街がまだ残っており、人々はみんな英語を話します。
図書館や本屋には英語と漢字の本が半々で置かれており、リテラシーの高さでは世界一とも言われています。
ルーガは自由な香港をとても気に入り、長逗留して英語を勉強したいとフーに告げます。
フーも香港は馴染みで友達も多くおり、クルーザーを一億円で譲ってもらってそこで暮らすコトにします。
私も香港には三回行って延べ3ヶ月ほど逗留し、中華圏では一番気に入っています。
そこには中国本土とは全く違った「自由な空気」があり、温かい地なので野宿も全く苦になりませんでした。
物価は日本並みに高いのでホテルやレストランは利用しませんでしたが、中華圏なのでフードコートの食べ残しは相当な量で、食べるのにお金は必要ありませんでした。
毎日買ったのはお酒くらいで、これも中華圏ならではの「酒税の低さ」から日本の半額位でした。
常宿にしたのは九龍(クーロン)と香港島の間の湾に面した公園で、ここでは朝まで若者達が酒を飲んで盛り上がっており、そのまま酔いつぶれて寝ちゃう者も多く居りました。
晴れた夜はピロティの上で寝て、そこからはとても綺麗な百万ドルの夜景が見渡せました。