昨日読んだ「金子みすゞのこころ」のなかの 「こだまでしょうか」金子みすゞ作
この詩について、いろいろ考えさせられました。
こだまでしょうか
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか。
いいえ、誰でも、
一見、なんでもない詩のようですが、何回か読み返していると何か感じませんか。あたりまえのことを言っていて、人の心を言い得ている気がします。
著者、矢崎節夫氏の言葉を抜粋すると、
こだまとは ”丸ごと受け入れる”こと
「辛い」という字に一本横線を引くと「幸せ」になります。
辛いときは「辛い」と声に出してこだましてくれるまわりの人に話すことです。
と、あります。
丸ごと受け入れて、こだま出来ている自分だろうか・・・
しばし、考えてしまいました。
こだまできる人になれるよう、いえ、せめて、近づけれるようになりたいものと思います。
その他、「大漁」・「蜂と神さま」・「積もった雪」・「花のたましい」・「日の光」などの詩をあらためて鑑賞すると、金子みすゞという詩人の、深~いやさしさ、達観した宇宙観ともいえるような思いがみえてきます。
みすゞワールドにどっぷりと浸って、少ぉ~し心のお掃除ができた気のする二日間でした。