2014年6月23日月曜日。
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
『腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】』
『腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】』
の続きです。
------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------
退院の予定だった母ですが、その前に血液検査の結果が悪く、退院が取りやめになってしまいました。
「退院まであと◯日だからね、頑張ろうね」と気力をふるわせていた母には衝撃的だったらしく、かなり落ち込んでしまいました。
そうこうしているうちに、治医の先生が出張とかで、1週間ほどいないという事で、代わりの先生がつきました。
新しい先生とお話ししていて、主治医の先生とは違うお話をされました。
先生「何か食べていますか?」
私「主治医の先生には飴だけと言われていたので何も食べてません」
先生「食べたい物があったら、少しくらい食べても大丈夫ですよ」
私「この前、トロが食べたいとか言ってましたけど……笑」
先生「生ものは、感染症とかの心配もあるのでちょっと……」
……って、食べてもいいんかい。
食べた所で、鼻のチューブから出てきちゃうんですけどね。
先生「お母さんの状態は非常に悪いです。本人が帰る事を望んでいるので、家に帰ってみてはどうですか?」
私「帰っていいなら、帰らせたいです」
先生「今帰らないと、帰れなくなっちゃいますもんね」
主治医のいない間に退院しちゃうってどうなんだろうとは思いましたが、帰っていいというならつれて帰りたい。
ずっと帰りたいと言っていた母でした。
ということで、2日後か、3日後(忘れちゃいました)に退院する事になりました。
一度入れた介護ベッド等を回収する方向で(退院が中止になったから)手続きしていたのを、慌ててもう一度電話して使用しますと連絡。
バタバタと用意しました。
そんな状況の中。
翌日だったかな……、母が暴れて困るという電話が病院からありました。
点滴も抜いてしまうし、指につけているセンサーも取ってしまう。
鼻に通しているチューブも抜いてしまうというので、ただ事じゃない。
慌てて病院に行きました。
なんて言うんでしょうか……。
母であって、母でない感じ。
痛さとか、そういうのは感じていないようでした。
意識はあるけど、私たちの言う事を聞いてくれない。
どこかに行こうとする。
すごい力。
とりあえず、私が泊まって様子を見ることになりました。
鼻のチューブは何度入れても抜いてしまうので、なしで。
でも、鼻のチューブがないので、すぐに吐いてしまいます。
前触れもなく吐くので、キャッチするのも一苦労。
定額でおむつ使い放題の契約をしていたので、おむつとかパットを使ってキャッチします。
夜なのに、寝ません。
私のことは認識しているようです。
「さあ、いくよ、ほら」って言います。
「どこに行くのよ」
って言うと、睨んできます
何度も何度も、「行くよ」って言います。
「◯◯(仕事の道具。名前は忘れちゃいました)取って!」
と言って、体温計を取ると、テーブルを叩き始めます。
……母は仕事をしていました。
大工の父と一緒に仕事をしていた母は、こんな時にも、仕事をしているんです。
病気になる前までずっと、仕事をしていました。
癌がわかってからは、行っちゃダメ、と言われて行ってなかったんですが……。
どうしても手が足りないと言う父について、1回だけ仕事にも行ってました。
若い頃からずっと働き詰めだったので、意識がない今、無意識に働いてしまうんでしょうね。
本当に、あの時は泣けました。
その翌日も同じような状態が続いて、その次の日から、母の意識はなくなりました。
退院の日。
意識のない母を病院の方々の手を借りて車に乗せました。
ベッドから起き上がって車椅子に乗せる時。
意識はないけど、母は自分で立ち上がろうとしていました。
家では介護用品を貸してくれたAさんと、訪問看護の看護師さんが待っていてくれました。
みんなで母を運ぶのを手伝ってくれました。
今回、関わって下さった皆さんは本当に良くしてくれて、とても感謝しています。
こういう時の人の優しさは、本当に身にしみました。
自分の力なんて本当に小さいなと思います。
長くなりましたので、続きはまた後日。
おつきあいありがとうございます。
にほんブログ村
私の母が、卵巣癌で息を引き取りました。
60歳と2ヶ月でした。
母の卵巣癌が見つかってから亡くなるまでのことを、私の記録として、そして今も癌と闘っている誰かのために書き残したいと思います。
『腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その1】』
『腸閉塞(イレウス)と最後の入院【その2】』
の続きです。
------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------ ◇ ------
退院の予定だった母ですが、その前に血液検査の結果が悪く、退院が取りやめになってしまいました。
「退院まであと◯日だからね、頑張ろうね」と気力をふるわせていた母には衝撃的だったらしく、かなり落ち込んでしまいました。
そうこうしているうちに、治医の先生が出張とかで、1週間ほどいないという事で、代わりの先生がつきました。
新しい先生とお話ししていて、主治医の先生とは違うお話をされました。
先生「何か食べていますか?」
私「主治医の先生には飴だけと言われていたので何も食べてません」
先生「食べたい物があったら、少しくらい食べても大丈夫ですよ」
私「この前、トロが食べたいとか言ってましたけど……笑」
先生「生ものは、感染症とかの心配もあるのでちょっと……」
……って、食べてもいいんかい。
食べた所で、鼻のチューブから出てきちゃうんですけどね。
先生「お母さんの状態は非常に悪いです。本人が帰る事を望んでいるので、家に帰ってみてはどうですか?」
私「帰っていいなら、帰らせたいです」
先生「今帰らないと、帰れなくなっちゃいますもんね」
主治医のいない間に退院しちゃうってどうなんだろうとは思いましたが、帰っていいというならつれて帰りたい。
ずっと帰りたいと言っていた母でした。
ということで、2日後か、3日後(忘れちゃいました)に退院する事になりました。
一度入れた介護ベッド等を回収する方向で(退院が中止になったから)手続きしていたのを、慌ててもう一度電話して使用しますと連絡。
バタバタと用意しました。
そんな状況の中。
翌日だったかな……、母が暴れて困るという電話が病院からありました。
点滴も抜いてしまうし、指につけているセンサーも取ってしまう。
鼻に通しているチューブも抜いてしまうというので、ただ事じゃない。
慌てて病院に行きました。
なんて言うんでしょうか……。
母であって、母でない感じ。
痛さとか、そういうのは感じていないようでした。
意識はあるけど、私たちの言う事を聞いてくれない。
どこかに行こうとする。
すごい力。
とりあえず、私が泊まって様子を見ることになりました。
鼻のチューブは何度入れても抜いてしまうので、なしで。
でも、鼻のチューブがないので、すぐに吐いてしまいます。
前触れもなく吐くので、キャッチするのも一苦労。
定額でおむつ使い放題の契約をしていたので、おむつとかパットを使ってキャッチします。
夜なのに、寝ません。
私のことは認識しているようです。
「さあ、いくよ、ほら」って言います。
「どこに行くのよ」
って言うと、睨んできます
何度も何度も、「行くよ」って言います。
「◯◯(仕事の道具。名前は忘れちゃいました)取って!」
と言って、体温計を取ると、テーブルを叩き始めます。
……母は仕事をしていました。
大工の父と一緒に仕事をしていた母は、こんな時にも、仕事をしているんです。
病気になる前までずっと、仕事をしていました。
癌がわかってからは、行っちゃダメ、と言われて行ってなかったんですが……。
どうしても手が足りないと言う父について、1回だけ仕事にも行ってました。
若い頃からずっと働き詰めだったので、意識がない今、無意識に働いてしまうんでしょうね。
本当に、あの時は泣けました。
その翌日も同じような状態が続いて、その次の日から、母の意識はなくなりました。
退院の日。
意識のない母を病院の方々の手を借りて車に乗せました。
ベッドから起き上がって車椅子に乗せる時。
意識はないけど、母は自分で立ち上がろうとしていました。
家では介護用品を貸してくれたAさんと、訪問看護の看護師さんが待っていてくれました。
みんなで母を運ぶのを手伝ってくれました。
今回、関わって下さった皆さんは本当に良くしてくれて、とても感謝しています。
こういう時の人の優しさは、本当に身にしみました。
自分の力なんて本当に小さいなと思います。
長くなりましたので、続きはまた後日。
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