てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

自殺と切腹

2010年03月01日 23時32分25秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
今月3月は自殺対策強化月間だそうで・・・

このような月間を設けなければいけないほど、
今の日本の現状は深刻なわけで・・・

今夜はこのヘビーな問題について、
あえて視点をかえた形で
私なりの意見を投稿したいと申したいと思います。

あえて誤解を恐れずに言わせてもらうと、
経済苦、人間関係、病苦(*)
いろいろ理由があるにせよ、
現在の自殺とは、苦しみから逃れる為の
手段あるいは結果である。
そう究極の逃避行為なのだ。

かって、武士がいた時代。
切腹といわれる行為があった。
切腹といいながら、当人は自分で死を行うので
見方によっては自殺である。
しかし、切腹を自殺とは言わない。
切腹とは、己の責任を取る為の行為とされた。
なかには、上の立場の者からも言い渡された場合もある。
いずれにしても、周りが直接的にあるいは期待的に
その者の死を求めたのである。

さらにもっと過去に遡れば、殉死・殉葬という行為があった。
王が死ぬと、その王に仕えていた者があの世でも
その王に仕えるために追死したのである。
あるいは周りから強要されたりもした。
夫人、重臣、女官
あまりにも悲しい死である。

太平洋戦争末期、神風特攻隊や人間魚雷回天などの
自爆行為があった。
天皇の為、国家の為、家族の為、
あまりにも若すぎる若者が、海に散った。
彼らのことを自殺者と呼べるはずもない。
これらの行為も結局のところ周りから
自然と死を強要されていたのである。

これらの過去の特殊な死の形態は、いずれにしても
逃避行為ではない。
彼らはなにかから逃げたくて死んだのではないのだ。

彼らのほとんどが、
我々より若いものが多かったはずである。

価値観、文化いろいろな理由があったんだろうと思う。
そのような文化があることじたい、
当時の社会ではそのような行為が求められた証である。
彼らは死にたくて死んだとは思えない。
また、なにかから逃れたくて死んだのでもない。
彼らは周りから死を求められて死んだ。

我々が生きる今の世は、命の価値も過去に比べ格段に高くなり、
また、過去のそのような死も周りから求めらもしない。
そんな中、いかなる理由があろうと
自ら死を選ぶということは、
過去のそのような死に方をせざるをえなかった人に対して
あまりにも自身の心が弱すぎで、
本心では生きたくても、周りが認めず生きることができなかった
彼らはどう思うだろうか?

自殺を考えている人の前に、彼らが目の前に表れたら
「バカモン!」と一喝する気がしてならない。続いて
「周りから命を大事に、と言われる
恵まれた時代に君は生きていながら、
あえて自分で命を絶つなんて、バカモン!」とも

オイラは思うのである。
ここだけは個人主義は捨てるばきだ。
たとえ、どんなにつらくても
自ら死を選ぶということは、
彼らに対し、申し訳けがたたないのである。
【ヒゲ親父】
(*)病苦のうち、肉体的激烈な痛みを伴う苦しみを持つ場合は、
私自身正直言って本内容のすべてが適当とは思いません。
だからといって自ら命を絶つことも正しいとも思いません。

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