ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

広島原爆の日によせて

2018-08-06 17:07:05 | 日記
朝ドラを観ようとテレビをつけたら、式典会場の光景が映しだされた。ああ、
そうか。きょうは8月6日、広島原爆の日だったなと、すぐに思い当たった。
広島に米軍の手で原爆が投下され、瓦礫と化した街が むごたらしい地獄のよう
な惨状に覆われてから、もう73年が過ぎたことになる。我々日本人だけでも
こうして1年に1度、原爆の無残なリアリティーを思い起こすのは、とても意
義のあることだ。リアリティーが欠けた観念の世界で、抽象的な戦争論・戦術
論を戦わせるのは、ある意味 怖いことだと私は思っている。

核戦争のリアリティーをしっかり念頭においたまま、我々は「核抑止論」に向
き合わねばならない。ーーこう述べるとき、私は「核抑止論」にこだわってい
るのだが、その理由は本ブログで何度か書いたことがある(17年8月6日《原
爆忌に考える 核抑止論》)。それは、この「核抑止論」が、世界を奈落に落と
す諸悪の根源だと考えるからである。核兵器禁止条約の発効をはばみ、核廃絶
の実現を妨げ、米露間、米中間の軍事的緊張の原因となって、中露の「干渉国
家」となった北朝鮮の、その跳ね上がりを誘発しているのは、すべて「核抑止
論」だと私は理解している。

きのう本ブログで述べたことだが、米朝間の緊張が再度強まった昨今、世界は
ふたたび「出口なし」の状況に立たされた感がある。こうした危ない状況をも
たらしたものが「核抑止論」であるとすれば、この「核抑止論」をなんとして
も無意味化しなければ、と考えるのは、いわば論理の必然だろう。

北朝鮮はなぜ核開発に躍起になったのか。「核は、アメリカの軍事攻撃に対す
る強力な抑止力になる」と、この国の首脳が考えたからである。核戦力を保有
するようになった北朝鮮は、怖いもの知らずで、傍若無人にふるまうようにな
るだろう。「核抑止論」の横行を、我々は座視することはできない。

では、「核抑止論」を無意味化するには、我々はどうすればよいのか。以前の
本ブログで、私は18世紀のイギリスの哲学者ヒュームの考え方を援用した。
人間を行動へと動かすのは感情であり、「理性は感情の奴隷である」とヒュー
ムは考えた。この考え方を手掛かりにして、私は、「核抑止論」を打破する突
破口を、感情ーー核兵器への恐怖の感情ーーに求めることはできないか、と考
えたのである。

ヒロシマの平和記念資料館を覗けば分かるように、核兵器の使用は 目を覆いた
くなるような、筆舌に尽くし難い非人間的な惨状に 人類を陥れる。あのヒロシ
マの平和記念資料館の展示を見たあとで、核戦争が起こることを望む人はいな
いだろう。

核戦争を忌避し、「核戦争はなんとしても無くすべきだ」と思う人が多数派を
占めるようになれば、為政者も民衆のこの声に従わざるを得なくなるだろう。
だからこそ我々は、「民の声」に耳を傾ける政治家を、自国の指導者に選ばな
ければならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする