五感ーー。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。これら5つの感覚のうち、1つ
が欠けただけでも、人は大きな制約を受ける。きのうは歯科医院に出かけ、
ガーガー・シューシューの「口内工事」を施してもらったのだが、そこで私
が痛感したのは、このことだった。工事が始まってすぐ、私の目に覆いが掛
けられた。その途端に私は、自分がどういう状況におかれているか、自分が
どういう処置を施されているかがまったく「見え」なくなり、深い闇の中に
突き落とされた感覚の中で、途轍もなく大きな不安にとらわれたのである。
視覚が制約されると、行動も制約を受ける。私は片麻痺のせいで身体を自由
に動かすことができない。自由に周囲を見回すことができない。それだけで
私は、自分がどういう光景の中にいるのかが「見え」なくなり、そのせいで
か、行動の自由が奪われたみじめな気分になってしまうのである。
感覚の欠損は行動だけでなく、我々の意識の有り様にも大きな影響を及ぼ
す。今はだいぶ減ったが、脳出血で倒れて間もなく、リハビリ病院に入院し
ていた頃は、左足の靴を脱がないままベッドに横になってしまうことがよく
あった。左足が麻痺して、その感覚がないために、左足の靴がどうなってい
るかが意識に上らず、「靴を脱がなければ」と思うこともない。片麻痺の患
者は大半が「半側空間無視」という症状にとらわれるが、これが私の場合は、
「左足の靴の着脱無視」という形で出たということである。
感覚の欠如が意識に重大な影響を及ぼす、ーーこれは何も人間だけに限った
ことではないようだ。きょうの新聞のコラムに、「ノドグロ」という魚の養
殖をしている人の体験談が書かれていた。それによれば、養殖場の電源を落
とし、暗闇にすると、ノドグロたちはパニックに陥り、壁面に衝突して死ん
でしまうという。このノドグロたちの行動は、視覚の欠落によって引き起こ
されたものなのだろうか。周囲が真っ暗になることでノドグロたちが感じた
ものは、そもそも「視覚」というカテゴリーに分類できるものなのだろう
か。
視野を人類以外の動物にまで広げれば、他の動物は五感に限らず、10感、
20感と持っているかも知れない。20種類の感覚を持つ動物には、五感し
か持たないニンゲンは、さぞかしまだろっこしい生き物に「見える」に違い
ない。
が欠けただけでも、人は大きな制約を受ける。きのうは歯科医院に出かけ、
ガーガー・シューシューの「口内工事」を施してもらったのだが、そこで私
が痛感したのは、このことだった。工事が始まってすぐ、私の目に覆いが掛
けられた。その途端に私は、自分がどういう状況におかれているか、自分が
どういう処置を施されているかがまったく「見え」なくなり、深い闇の中に
突き落とされた感覚の中で、途轍もなく大きな不安にとらわれたのである。
視覚が制約されると、行動も制約を受ける。私は片麻痺のせいで身体を自由
に動かすことができない。自由に周囲を見回すことができない。それだけで
私は、自分がどういう光景の中にいるのかが「見え」なくなり、そのせいで
か、行動の自由が奪われたみじめな気分になってしまうのである。
感覚の欠損は行動だけでなく、我々の意識の有り様にも大きな影響を及ぼ
す。今はだいぶ減ったが、脳出血で倒れて間もなく、リハビリ病院に入院し
ていた頃は、左足の靴を脱がないままベッドに横になってしまうことがよく
あった。左足が麻痺して、その感覚がないために、左足の靴がどうなってい
るかが意識に上らず、「靴を脱がなければ」と思うこともない。片麻痺の患
者は大半が「半側空間無視」という症状にとらわれるが、これが私の場合は、
「左足の靴の着脱無視」という形で出たということである。
感覚の欠如が意識に重大な影響を及ぼす、ーーこれは何も人間だけに限った
ことではないようだ。きょうの新聞のコラムに、「ノドグロ」という魚の養
殖をしている人の体験談が書かれていた。それによれば、養殖場の電源を落
とし、暗闇にすると、ノドグロたちはパニックに陥り、壁面に衝突して死ん
でしまうという。このノドグロたちの行動は、視覚の欠落によって引き起こ
されたものなのだろうか。周囲が真っ暗になることでノドグロたちが感じた
ものは、そもそも「視覚」というカテゴリーに分類できるものなのだろう
か。
視野を人類以外の動物にまで広げれば、他の動物は五感に限らず、10感、
20感と持っているかも知れない。20種類の感覚を持つ動物には、五感し
か持たないニンゲンは、さぞかしまだろっこしい生き物に「見える」に違い
ない。