ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

太陽を愛したひとから

2018-08-23 11:41:36 | 日記
昨夜はテレビドラマ「太陽を愛したひと」を見た。「1964年の東京パラリン
ピックを成功に導いた伝説の医師・中村裕の生涯を描く」というキャッチフ
レーズに惹かれたのだ。パラリンピックといえば、オリンピックと並ぶ、身
体障害者の国際スポーツ大会。片麻痺の障害をかかえる私にも、とても興味
深い題材だった。いつも見ている「高嶺の花」はあとでスマホのTVerで見る
ことにして、チャンネルをNHKに切り替えた。

メッセージ性の強いドラマだったが、作者のメッセージはただ一つ。「失っ
たものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ!
」。
これは主人公の整形外科医・中村が研修先のイギリスで、スポーツを取り入
れた障害者医療を学んだ時、そこで出会った言葉である。この言葉はその後
の彼の人生の原動力になったという。

魅力的な言葉だが、私はこの言葉をすでに知っていた。曖昧な記憶だが、私
はこの言葉をどこかで聞いたような気がするのだ。何かで読んだのか、誰か
に言われたのか、それは憶えていない。ただ、この言葉を初めて知ったと
き、深い感動が私をとらえたことは、はっきり憶えている。

私が失ったもの、その最大のものは自由に出歩く歩行能力だが、幸い私に
は、(衰えつつあるとはいえ、まだまだ活発な)思考能力と、キーボードを
たたく右手の動作能力が残っている。

私がブログ書きを始めたとき、私は、この残された能力を最大限に生かそ
う、などと考えたわけではない。私は自室で、有り余るヒマを持て余し、無
聊を慰めるためにそうせざるを得なかったのだ。今になって考えれば、私を
ブログ書きへと突き動かしたもの、それは言葉でいえば、まさに「残ってい
るものを最大限に生かそう」という思いだったに違いない。

このドラマには、主人公がこう述懐する場面が出てくる。「障害者を特別扱
いして、いたわるのは止めにしよう。特別扱いすることで、私は障害者を見
下し、差別していたのだ」。
この言葉も私の心に響いた。思えば私は、障害者になってから、特別扱いさ
れることに慣れ、それを当然だと思うようになってしまっていなかったか。
妻が私を特別扱いし、優しく接してくれないことに、腹を立てたりしたこと
はなかっただろうか。

優しくしないことが妻の優しさなのだ、と今にして知った私であるが、それ
だけではない。私自身が自分自身を特別扱いし、「こんな身体だから、しょ
うがない」、「こんな歳だから、しょうがない」と、自分を甘やかしていな
かっただろうか。

ハードルの高いあの歯科医院への通院は、あと7回。これも逃げずに、向き
合ってみようか。アプローチの困難さを思うと、それだけで冷や汗が出る
が、あの階段のカニ歩き昇りも、回を重ねれれば、徐々に慣れてくることだ
ろう。そうやって自分を甘やかさずに、難儀しながら、それこそ一歩一歩
着実に健常者の生活に近づくことだ、ーーそういう目標を立てるのも、悪く
はないかも知れない。
コメント
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