ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

広島原爆の日によせて(後編)

2018-08-07 15:02:47 | 日記
核抑止論を排撃する突破口を、感情ーー核兵器への恐怖の感情ーーに求める
ことができるのではないか。きのうのブログで、私はそう書いた。年に1度
のこととはいえ、ヒロシマの残酷な記憶を思い起こすことは、核兵器への恐
怖の感情にリアリティーを持たせる方途として、決して意味のないことでは
ない。私はそう考える。

この私の見解に対しては、次のような反論があるかも知れない。いや、むし
ろ核抑止論を生み出し、これを支えているものこそ、核兵器への恐怖のリア
リティーではないのか。北朝鮮の首脳が「核は アメリカの軍事攻撃に対する
強力な抑止力になる」と考えたとき、この首脳は核兵器を、恐るべき破壊力
を持った最強の兵器としてイメージしていたに違いない。核ミサイルを打ち
込んだあとに訪れる敵国の状況を、彼は1945年8月6日にヒロシマを
覆ったような、酷たらしい地獄絵の光景としてイメージしていたに違いな
い。そうでなかったら、彼は核兵器が「大国の軍事攻撃に対する強力な抑止
力」になりうるとは見なさなかっただろう。この兵器の開発を、多くの犠牲
を払っても達成すべき最優先の課題だとは考えなかっただろう。

以上の反論の説得力を認めるのに 私はやぶさかではないが、私が注目するの
は、この反論の想定する状況が(あくまでも想定上の出来事として)MAD
(Mutual Assured Destruction;相互確証破壊)と呼ばれる「つぶし合
いの可能性に充ちた状態」へと転化し、やがては「恐怖に充ちた核の均衡状
態」に至ることである。

共倒れへの恐怖から、どの国も核兵器が使用できないこの状態は、「核抑止
論」が機能している拮抗状態と言えるが、この拮抗状態は、人為的なミスや
機器の故障など ちょっとしたことがきっかけで崩れ去る、実に危ういバラン
スの上に成り立った状態である。想定外の自然現象によって、ある国の核ミサ
イル自動発射装置が思いがけず作動し、これを機に核ミサイルの打ち合いが起
こって、地球上の人類が滅亡するといった事態も考えられなくはない。

こうして人類が滅亡の危機に立たされる、その恐怖がリアリティーを持った
形で多くの人々に共有されるようになれば、そのとき国際社会は、「核兵器
は是非とも廃絶すべきだ」と考え、「核兵器禁止条約」の発効に向けて躍起
になり始めるだろう。

きのうの本ブログで、私は次のように書いた。「核戦争を忌避し、『核戦争
はなんとしても無くすべきだ』と思う人が多数派を占めるようになれば、為
政者も民衆のこの声に従わざるを得なくなるだろう」。ここで言われる「多
数派」には、(想像力が豊かなために)人類滅亡への恐怖を肌で感じる人々
も含まれると考えるべきだろう。
コメント
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