核抑止論を排撃する突破口を、感情ーー核兵器への恐怖の感情ーーに求める
ことができるのではないか。きのうのブログで、私はそう書いた。年に1度
のこととはいえ、ヒロシマの残酷な記憶を思い起こすことは、核兵器への恐
怖の感情にリアリティーを持たせる方途として、決して意味のないことでは
ない。私はそう考える。
この私の見解に対しては、次のような反論があるかも知れない。いや、むし
ろ核抑止論を生み出し、これを支えているものこそ、核兵器への恐怖のリア
リティーではないのか。北朝鮮の首脳が「核は アメリカの軍事攻撃に対する
強力な抑止力になる」と考えたとき、この首脳は核兵器を、恐るべき破壊力
を持った最強の兵器としてイメージしていたに違いない。核ミサイルを打ち
込んだあとに訪れる敵国の状況を、彼は1945年8月6日にヒロシマを
覆ったような、酷たらしい地獄絵の光景としてイメージしていたに違いな
い。そうでなかったら、彼は核兵器が「大国の軍事攻撃に対する強力な抑止
力」になりうるとは見なさなかっただろう。この兵器の開発を、多くの犠牲
を払っても達成すべき最優先の課題だとは考えなかっただろう。
以上の反論の説得力を認めるのに 私はやぶさかではないが、私が注目するの
は、この反論の想定する状況が(あくまでも想定上の出来事として)MAD
(Mutual Assured Destruction;相互確証破壊)と呼ばれる「つぶし合
いの可能性に充ちた状態」へと転化し、やがては「恐怖に充ちた核の均衡状
態」に至ることである。
共倒れへの恐怖から、どの国も核兵器が使用できないこの状態は、「核抑止
論」が機能している拮抗状態と言えるが、この拮抗状態は、人為的なミスや
機器の故障など ちょっとしたことがきっかけで崩れ去る、実に危ういバラン
スの上に成り立った状態である。想定外の自然現象によって、ある国の核ミサ
イル自動発射装置が思いがけず作動し、これを機に核ミサイルの打ち合いが起
こって、地球上の人類が滅亡するといった事態も考えられなくはない。
こうして人類が滅亡の危機に立たされる、その恐怖がリアリティーを持った
形で多くの人々に共有されるようになれば、そのとき国際社会は、「核兵器
は是非とも廃絶すべきだ」と考え、「核兵器禁止条約」の発効に向けて躍起
になり始めるだろう。
きのうの本ブログで、私は次のように書いた。「核戦争を忌避し、『核戦争
はなんとしても無くすべきだ』と思う人が多数派を占めるようになれば、為
政者も民衆のこの声に従わざるを得なくなるだろう」。ここで言われる「多
数派」には、(想像力が豊かなために)人類滅亡への恐怖を肌で感じる人々
も含まれると考えるべきだろう。
ことができるのではないか。きのうのブログで、私はそう書いた。年に1度
のこととはいえ、ヒロシマの残酷な記憶を思い起こすことは、核兵器への恐
怖の感情にリアリティーを持たせる方途として、決して意味のないことでは
ない。私はそう考える。
この私の見解に対しては、次のような反論があるかも知れない。いや、むし
ろ核抑止論を生み出し、これを支えているものこそ、核兵器への恐怖のリア
リティーではないのか。北朝鮮の首脳が「核は アメリカの軍事攻撃に対する
強力な抑止力になる」と考えたとき、この首脳は核兵器を、恐るべき破壊力
を持った最強の兵器としてイメージしていたに違いない。核ミサイルを打ち
込んだあとに訪れる敵国の状況を、彼は1945年8月6日にヒロシマを
覆ったような、酷たらしい地獄絵の光景としてイメージしていたに違いな
い。そうでなかったら、彼は核兵器が「大国の軍事攻撃に対する強力な抑止
力」になりうるとは見なさなかっただろう。この兵器の開発を、多くの犠牲
を払っても達成すべき最優先の課題だとは考えなかっただろう。
以上の反論の説得力を認めるのに 私はやぶさかではないが、私が注目するの
は、この反論の想定する状況が(あくまでも想定上の出来事として)MAD
(Mutual Assured Destruction;相互確証破壊)と呼ばれる「つぶし合
いの可能性に充ちた状態」へと転化し、やがては「恐怖に充ちた核の均衡状
態」に至ることである。
共倒れへの恐怖から、どの国も核兵器が使用できないこの状態は、「核抑止
論」が機能している拮抗状態と言えるが、この拮抗状態は、人為的なミスや
機器の故障など ちょっとしたことがきっかけで崩れ去る、実に危ういバラン
スの上に成り立った状態である。想定外の自然現象によって、ある国の核ミサ
イル自動発射装置が思いがけず作動し、これを機に核ミサイルの打ち合いが起
こって、地球上の人類が滅亡するといった事態も考えられなくはない。
こうして人類が滅亡の危機に立たされる、その恐怖がリアリティーを持った
形で多くの人々に共有されるようになれば、そのとき国際社会は、「核兵器
は是非とも廃絶すべきだ」と考え、「核兵器禁止条約」の発効に向けて躍起
になり始めるだろう。
きのうの本ブログで、私は次のように書いた。「核戦争を忌避し、『核戦争
はなんとしても無くすべきだ』と思う人が多数派を占めるようになれば、為
政者も民衆のこの声に従わざるを得なくなるだろう」。ここで言われる「多
数派」には、(想像力が豊かなために)人類滅亡への恐怖を肌で感じる人々
も含まれると考えるべきだろう。