ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

監視社会化への懸念

2020-05-05 11:58:02 | 日記
コロナ禍によってさまざまな社会現象が生じ、さまざまな懸念が生じる。この懸念が現実のものになるのを見るのは悲しく、嘆かわしいことだが、そうそう嘆いてばかりもいられない。この現実を不可避の運命としてしかと受け止め、そのうえでこれを克服する方策を立てなければならない。

さて現在、我が日本政府は、スマホで収集された位置情報を利用して、コロナ感染者の感染経路を特定するシステム(「スマホ型追跡システム」)を導入しようとしている。ここから大きな懸念が生じる。以前、本ブログで書いたように、政府がこのシステムを導入すると、「プライバシーの侵害」が避けられず、全体主義的な監視社会の到来が避けられないからである。この私の懸念は、ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harai)の(日本経済新聞に寄稿した)論考に基づいたものであり、生活実感というより、イデオロギー的な(青臭い)書生気質から来たものだった。私のように大学紛争を経験した世代の人間は、「全体主義」とか「監視社会」という言葉を聞くと、条件反射的につよいアレルギー反応を起こすのである。

今ごろになってわざわざこんなことを書くのは、曽我部真裕氏(京都大学教授、憲法・情報法)が朝日新聞に寄稿した論考(4月30日付《「監視VS.個人情報」の誤解》)を読み、目から鱗が落ちる思いにとらわれたからである。曽我部氏はこの論考の中で、「スマホ型追跡システム」の導入にこと寄せ「監視社会かプライバシーか」の二元論的な議論を展開して、監視社会化への懸念を煽ろうとする一部の(朝日新聞にも見られる)動きにはっきりと釘を刺している。

曽我部氏によれば、日本には「個人情報保護法」があり、そうである以上、政府が同意もなく詳細な個人情報を収集・利用するやり方は、許されるはずがない。

曽我部氏はこう述べるのだが、私はなるほど、尤もだと思う一方、氏の見方は多分にオプティミスティックに過ぎ、甘すぎるのではないかとの思いも禁じ得なかった。なにしろ憲法第9条を形骸化し、強引に安保法制を成立させた前科を持つ安倍自民党政権である。専制への傾向をつよく持つこのような政権は、やがて個人情報保護法をも形骸化し、個人のプライバシー権を平然と踏みにじるだろうと容易に予想できるからである。

スマホ型追跡システムへの私の懸念は、こうして、自民党政権の今後への懸念へと広がり、際限がない。憂鬱な天邪鬼爺のステイホームの昨今である。
コメント
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