ささやんの天邪鬼 ほぼ隔日刊

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

検事総長の過去

2020-05-24 12:12:30 | 日記
興味深いネット記事を見かけた。サイト「デイリー新潮」に5月22日付で掲載された記事《「黒川検事長」に異議 松尾元総長の“捜査ストップ”指令を公安関係者が告白》である。
この記事のタイトルを見て、私はこう考えたのだ。「黒川検事長が検事総長に仕立てられる前にも、『官邸の番犬』として”捜査ストップ”の指令を出した検事総長がいたというわけか。やっぱりなあ」

私が思い浮かべたのは、テレビドラマの刑事ものによく見られる、次のようなプロットである。正義感に燃える所轄の刑事Aが、ある殺人事件を捜査する過程で、この事件の背後に大物政治家Bが絡んでいることを知るに至る。この大物政治家の正体を突き止めようとする寸前に、突然、本庁のトップCから「捜査ストップ」の指令が下される。実は、この指令は本庁のトップCに大物政治家Bから圧力が加えられたためであり、云々。

こうした刑事もののドラマでは、大物政治家Bは悪の権化のような存在として、また、本庁のトップCはその手先として描かれるのが通例だが、最近盛り上がりを見せた「#検察庁法改正案に抗議します」ツイッターデモの、その根っこにあったのも、これと同様のとらえ方だと言えるだろう。
このデモの参加者たちは、安倍政権という「大物政治家B」が黒川検事長を検事総長の座にすえることによって、彼を「本庁のトップC」と同類の「手先=番犬」に仕立てることが許せなかったのである。

「デイリー新潮」の記事は、次のように書いている。

「この法案(検察庁法改正案)でテーマとなっている、あるいは政府の側からいえば、テーマとされてしまっているのは、『検察人事への政治介入』。検察は首相だって逮捕する特権を与えられている以上、政治のみならず色んな勢力から独立しているべきだという建前だ。裏返せば、検察は清く正しく美しくあってほしいという国民の願いが見え隠れする。」

この記事の言い方を借りるなら、私も「検察は清く正しく美しくあってほしい」という願いを持っている。黒川検事長の賭けマージャンに対して、私は本ブログで二度ほど自分なりの解釈を試みたが、この解釈も同じ願いから出ている。

さて、「デイリー新潮」の記事の中身であるが、これは私がそのタイトルから期待したのとは似て非なる、とんだ食わせ物だった。「検察庁法改正案に反対を表明した検察OBの松尾邦弘元検事総長は、その昔、現役の検事総長だった頃、警視庁公安部の刑事たちが(革マル派の息がかかった)JR東労組の事実上トップ・松崎明を横領、特別背任などの容疑で逮捕しようと血眼になっていたにもかかわらず、彼を逮捕する予定の日の前日に、捜査中止の指令を下した。“被害者がいないし、公判を維持するのは大変苦労するから”というのが、彼が指令を下した理由だった。」

それだけのことである。ここには「大物政治家B」の影もなければ、検事総長がその影に忖度した気配もない。あるのは、松尾検事総長によって自分の努力を踏みにじられた、現場捜査官の怨みつらみだけである。この記事を書いた記者自身が、これは「政治が捜査に介入したわけではない」と書いているが、取りようによっては、松尾検事総長は公安捜査官にストップの指令を出すことで、公安警察の暴走を阻止しようとしたとも考えられるのである。怨みつらみから、松尾元検事総長をダークな存在に仕立てようとした元公安捜査官のもくろみは、少々無理筋のように思える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする