野間焼について18-名残の遺構7- 2013-06-07 22:59:19 | 野間焼 同じフィルムには92年時点の小林工房の状況も写っていました。 今回の工事着手直後の同じ個所の風景です。 『現在の日本民窯』昭和十七(1932)年柳宗悦編には 「山の麓の一軒が石炭窯で汽車土瓶を焼くが、 奥の二軒が行平だとか土瓶だとかの雑器を焼く。」 とあります。 小林工房はどちらかといえば丘の上にありますので、 「奥の二軒」のいずれかでしょうか? 行平の取手に「小林製」とあるものが 太宰府市の大町遺跡の報告書に見られますので、 先の記事とは内容が合うようです。
野間焼について17-名残の遺構6- 2013-06-06 22:36:20 | 野間焼 建物の92年2月の外観と現状の建物を並べると・・・ 瓦が下ろされトタン屋根になっていますが、 右奥の出窓の形や妻側の組み合わせの屋根構造が 写真上では同じに見えていますので、 この建物は岡本工房の名残の建物とした所以です。
野間焼について16-名残の遺構5- 2013-06-03 23:31:55 | 野間焼 工房内では石膏型を載せた轆轤台がありました。 外型は轆轤で回転し内型はハンドルで下がる あて具としての板が使われている状況でした。 これによって同じサイズの製品を多量に造ることができます。 この岡本窯ではホウロクや行平などが造られたようで、 小林窯では土瓶、行平、鉄道茶瓶などが多く造られたようです。
野間焼について15 -名残の遺構4- 2013-06-01 23:57:32 | 野間焼 野間焼の岡本工房内は横に長い構造で 低い窓が桁方向に並んでおり、その窓際に轆轤が並んでいたようです。 頭より上の高さは長い板が渡してあり、 生乾きの製品が干してありました。 この干し棚は表の軒下にもありました。
野間焼について14 -名残の遺構3- 2013-05-31 22:28:29 | 野間焼 実は同じ個所を1992年に撮影していました。 その時はこの工房の主であった岡本光山さんがご健在で 工房としては現役として機能していました。