筑紫文化財研究所

筑紫における歴史的文化の探求と漫遊

野間焼について13 -名残の遺構2-

2013-04-20 23:40:02 | 野間焼

この工房建物の外は草地になっていますが、
よくよく見ると小型のガス窯が放置されたままに朽ちかけています。

ここは故岡本光山氏の工房跡で、昭和50年代までは
屋外に粘土を水簸する大きな水槽があり、
レンガで築かれた円筒型の空吹き窯が3基以上ありました。
工房も写真の建物は本体の添え屋のごときもので、
この建物の左側に2倍以上の長い工房の本体があり、
工房の中には電動の轆轤が何台も据えられ、製品の石膏型や製品見本などが
無造作に沢山置かれていました。

野間焼について12 -名残の遺構1-

2013-04-17 22:44:22 | 野間焼

 『大町遺跡-西日本鉄道株式会社太宰府駅駅舎改築に伴う埋蔵文化財発掘調查報告書-』太宰府市育委員会1992年に収められた「筑前野間焼について」の編集時点では野間焼としては岡本光山窯が操業していたが、その後に岡本氏が死去し、産地としては命脈を絶ってしまった。
その時点では5か所で窯の遺構が知られていた。


報告書に所要された窯跡分布図のうちD地点に当たる個所に残された工房建物です。
唯一残された工房遺構です。
30年ほど前までは、表に生地が長い板に載せて干してありました。

野間焼について10

2013-04-04 22:40:41 | 野間焼

山王神社鳥居から見た今回の工事現場です。
ここには工事の前までは小林家があった場所で、
野間焼を構成する窯が築かれていた場所です。


現場の東側から西を臨む。
太宰府市教育委員会刊行の『大町遺跡』に収容されている
「筑前野間焼について」で報告されている野間焼のB地点が
この絵柄の左正面に当たります。


現場の東側から北西を臨む。
今回はこの絵柄の左側の遺物包含層と
右奥のコンクリート壁の前後にあった物原より
遺物が出ていました。


野間焼について9

2013-04-03 23:00:51 | 野間焼

山王神社の拝殿に掲げられた絵馬です。
近年古い絵に手が加えられてマンガになってしまいました。
下ろされて廃棄されるよりも数段よいことなのですが、
こうでなければ、という感覚がこんな状態なのかと
ついため息をついてしまいました。


そんなことはどうでも、注目は寄進者の名前です。
高尾は博多の素焼師の系統で絵馬の挙げられた
昭和54年では博多人形の生地製造に従事していました。
吉原、小林、岡本は陶器製造に従事した家です。