先日は太宰府館展示の津屋崎人形原田家作
古博多中の子系の内裏雛を紹介しました。
これは今でも津屋崎では生産されているようですが、
元は江戸末から明治期に博多中の子家で作り出された人形です。
中の子家は江戸後期には一族で分業体制を確立し、
型を同業者に頒布したために業界ができ、
博多が土人形の産地として成立しました。
その型は博多から津屋崎、西公園上田家、
そこから今宿へと・・・同業者間で広がっています。
ここに紹介したものは恐らく中の子家直販の遺作です。
とにかく白眉。変退色のないこのような状態は希有です。
よほど大切にされて来たのでしょう。
キャプションでは萩の山中家所蔵とされています。