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何回か書きましたが、お爺ちゃんの代まで土地が三町七畝あったそうですが、
祖父が国鉄を55才で定年し77才でなくなるまでの22年間で、すべて売っ
て使い切りました。三町七畝は母の口癖で「うちが嫁いで来た時にゃあ三町七
畝あったんじゃけど、ねぇ・・・」と何回も溜息交じりに聞きました。ピンと
来ないので計算してみました。一町は10,999㎡、一畝は100㎡でしたので、三町
七畝は30,700㎡、1坪が3.31㎡なので、坪に直すと9,275です。いまその辺りの
坪単価が60万強なので、55億6,500万ですね。もっと地価は安かったでしょうが
22年間でよく使ったものです。
愛人に立派な総檜の家も建ててあげました。勿論元はうちの土地の上にw 祖
母が若く亡くなったのでそうなったようで、それまではスポーツマンで石部金
吉の国鉄マンだったらしいのですが・・・
古い家の柱に「〇〇(←愛人の苗字)恨む」と誰が彫ったのか疵がありました。
犯人は分かりませんが祖父以外の家族親戚、みんな〇〇が嫌いでしたが、よく
よく考えると、祖父が悪いんですよね。人を恨むんじゃなくて、最近やっとそ
う思えるようになりました。
ま、そんなこんなで私が生まれたころは貧乏でした。(今思えば普通、中の、
中くらいなのかも?)そして、家にあるものすべてが貧乏人の使うものだと思
い込んでいました。祖父や親父の飲む酒(福美人)は安酒。祖父や親父の吸う
たばこ(しんせい)も安物。洗濯石鹸はいつも花王のザブ。これもきっと貧乏
人の使う安物だろうと勝手に思っていました。とにかく家にあるものはすべて
他所で言ったら笑われるような安物ばっかしだと思っていました。今思えばそ
んなことないのにねw
なぜ思ったんだろう?それは、小さいころから「〇〇の孫じゃ」とか「昔はえ
っと土地持っとっちゃったらしいよ」と云う大人の陰口が、小さな子供の私の
耳にも入ることがあり、なんか恥ずかしい家の子的で、差別されてる感があり
劣等感の塊でした。
他にも、中1で147センチのチビでした。だから中1くらいまでは兎に角劣
等感の塊でした。しかし、そこからの2年間で30セチ伸び、中3の春には、
177センチになってたことと、中学では成績(順位)が出るので、学年で上
位いることがみんなにも知れてきて(運動もできたし)コンプレックスはほ
ぼ無くなり、逆に自惚れ人生がスタートしましたw
でも、中学以降も残った劣等感に(今は皮膚科で取ってもらったが)、両目の
下の大きな泣き黒子が嫌でした。そのせいで「ほくろ」というあだ名もあった。
子供の頃は、黒子を手で隠す癖もあったな~
もう1つ思い出した。今は言えるが、小学校低学年の頃「サ行」が抜けてて特
に「シ」が言えなかった。名前にあるのに聞きとれるように言えず、何回も、
「えっ、ひろち?」と、いつもいつも聞き返されるのが嫌で仕方がなかった。
今回の題は止めとけばよかった。なんか、暗くなったw
一句
色白に黒子の目立つ短日や ⑦パパ
いろじろにほくろのめだつたんじつや
季語は「短日」冬の時候の季語で、意味は、冬はあっと言う間に日が暮れてし
まい、昼が随分と短く感じられる。と云う様子です。映像を持たない時候の季
語を使う時は、映像を入れてあげると良いようです。
★1月の同じお題で書きましょうは、劣等感でお願いします。記事は20日
にアップしてください。よろしくお願いします。
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今思えばそんなことないのに、大人のこころない言葉で 強い思い込みができてしまうことって結構あるのではないかしら・・・私もそうだったように・・・
今回もありがとうございました。
子供の頃、近所のくそ婆連中の噂話は声がでかく
わざと聞こえるように言ってるような気がしたw
ザブに新生、仲間じゃw