妄想ジャンキー。202x

人生はネタだらけ、と書き続けてはや20年以上が経ちました。

先輩と私と後輩と

2007-10-31 12:16:31 | 日記
あれから1年だとか、もう3年も経っただとかどうしようもないことを考えたりするのが好きです。
それなりの今日を重ねてそれなりの明日をむかえて、それなりの1年を過ごしたんだろうけども、何となく不意に考えてしまうんです。
節目、みたいなものなんでしょう。


卒業というのは4回目になるのだけれど、やっぱり卒業が近くなるとこの『節目』を感じてしまいます。
色々なものの代替わりを迎えるせいでしょうか。
もうお呼びではないと冷たくあしらわれているカンジがして、それは妙に寂しかったりもします。

『六番目の小夜子』では学校生活を玩具の駒のように例えていましたが、まさにその通りだなと実感する限りです。
多分学校生活だけじゃなくて、人生だとか世界そのものもバトンのようなものなのかもしれません。
ライフステージはライフステージとしてそこにあり、人間たちがかわるがわる入れ替わっていくだけなのかもしれません。

慕ってくれる後輩というのはやっぱり嬉しいものです。
私が先輩を兄や姉のように慕っていたのと同じふうに、妹あるいは弟みたいな感覚です。
したがって彼らや彼女らが元気でしっかりやってる姿をみると勿論嬉しいです。

しかしどこか寂しいものがあるのも本音です。
あのときあんなに頼りなさげで子供っぽくて、本当にこの子たちに任せていいのかとしか思えなかった後輩の子たちが、気付いたらこんなに立派になってる。
じゃあ私はどうなんだろうか──きっとこれが寂しさの正体です。

もちろん寂しさを感じさせてくれる後輩のほうがいいです。
だって大好きな妹弟的な後輩が、目の前で成長していくんですから。
この寂しさは大きな喜びでもあるんです。
現に8月に行ったサークルの引退合宿、後輩たちがさらに後輩たちに代を引き継いだのを目の当たりにして、嬉しくてニヤついてしまいましたよ。
年頃の男女が10人近く。
すったもんだは当然あっただろうけど、なんか頼もしくなったねえって。
上から目線というよりも、姉の気分です。

大学時代に限らず、「新人」だった当初に見上げていた先輩たちは絶対的な大人でした。
1年経ち、2年経ち、3年経ち、その先輩たちと同じ歳になっても、どうも違和感しか感じません。
ライフステージの入れ替わりで自分が先輩になったとき、どう贔屓目に見ても、あのころ見ていた先輩たちのような大人になりきれていない。
かといってどうこう出来るものでもないことはわかっています。
先輩みたくなろうとしたけれど、なれなかった。
届かなかった。

それでも先輩は永遠の憧れです。
だって先人ですから。
温故知新なんて言うと怒られそうだけど、永遠に憧れであり永遠に尊敬していると思います。
これは来年も再来年に限った話ではなく、きっと一生続くものです。

そんな先輩たちに近づけるかどうか判らないけれど。
多分これから先もそれなりの今日を過ごしてそれなりの明日を迎えて、それなりの1年を過ごすのだと思います。
あの時見てた先輩たちは今の私よりずっと大人だったけれど、まあそれもいいかもしれない。
そんなことを呟いてます。


憧れの先輩、寂しさを感じさせてくれる後輩、そんな素晴らしい先輩後輩と出会えた学生生活。
体育会系の縦社会もなかなか捨てたもんじゃないですね。

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