初めて文章というものを書いたのは、確か6歳のときに書いた夏休みの作文だった。
あのころ家の周りが1面の麦畑だった時代だ。
うちの畑も大きくて、私の大好きなサツマイモが植えられていた。
兼業農家の娘だからといって、生まれてこのかたずっと好き嫌い無しの胃袋優良児だったわけじゃない。
6歳当時、どうしたって人参が苦手でしかたなかった。
チャーハンに5mm四方で刻まれて混ぜられていたって、器用にはじいていたらしい。
その6歳当時に書いた作文が『にんじん』。
夏休みにはよく旅行に行く家族だったのだけれど、夏休み作文のネタに選んだのは、沖縄でも北海道でもなく、埼玉県にあるむさしの村。
どう考えてもサイズが小さいジェットコースターや小動物。
あまり魅力的とはいえないこの場所を作文の対象に選んだのは、多分一番最後に行った場所だったからだと思う。
餌から自分で収穫して自分であげるという、とことんロハスな動物園。
人参は嫌いで仕方なかったのだけれど、これを収穫しなければウサギに餌をあげられないと、6歳ながら嫌々とあの人参を引っこ抜いた。
思えば、このとき葉と根を切り分けた時点で気づくべきだったのだけれど
「ウサギさんはあとで根っこも食べるんだね」みたいな都合の良い幼心があった。
いざウサギに葉をあげようとしたときは、よくある平均台に座った私は足もつかず、それでも膝に抱いたウサギを懸命になでていたんだと思う。
問題はその度が過ぎたという点だ。
ウサギは急に暴れ周り、私はそのまま後ろにひっくり返った。
音もなかったので急に視界から消えた私に、母もびっくりしたという。
頭からひっくりかえったくせによくも無事だったな、と今でも考える。
ひとしきり泣いた後またウサギをなでてご機嫌を取り戻したのだけれど、泣きっつらに蜂とはよくいったもので。
勢い良く葉を食べていたウサギは、その勢いに任せて私の指もかじってきた。
ウサギの歯は思いのほかに鋭くて、このときばかりは音もなくというわけにはいかなかった。
また響き渡る私の怒号に、母もまたあせったという。
頭には大きなたんこぶを作り、指には度が過ぎてるんじゃないかというくらいの厚い包帯。
やってられないと車の中でフテ寝をしていたその日の夕飯は、ウサギが食べるはずだった人参の根のほうだった。
もうヤケクソになって食べて以来、人参嫌いは治ったらしい。
その代わりといっては何けれど、私を後ろに押し倒し指をかじり、さらには大嫌いだった人参を残しやがったウサギを嫌いになった。
散々な目に遭ったからこそ、余計に印象に残ったのか。
6歳の私が一体何を考えて、『にんじん』と作文を書いたのかはわからない。
しかし臨場感溢れる悲劇性が伝わったのか、その作文は市内のコンクールで入賞し、それどころかかなりの上位まで上り詰めた。
理不尽ながらも文章を評価されることに喜びを感じた私は、それ以来文章力をあげたいと読書に励むようになった。
人生、何が起こるかわからない。
あのころ家の周りが1面の麦畑だった時代だ。
うちの畑も大きくて、私の大好きなサツマイモが植えられていた。
兼業農家の娘だからといって、生まれてこのかたずっと好き嫌い無しの胃袋優良児だったわけじゃない。
6歳当時、どうしたって人参が苦手でしかたなかった。
チャーハンに5mm四方で刻まれて混ぜられていたって、器用にはじいていたらしい。
その6歳当時に書いた作文が『にんじん』。
夏休みにはよく旅行に行く家族だったのだけれど、夏休み作文のネタに選んだのは、沖縄でも北海道でもなく、埼玉県にあるむさしの村。
どう考えてもサイズが小さいジェットコースターや小動物。
あまり魅力的とはいえないこの場所を作文の対象に選んだのは、多分一番最後に行った場所だったからだと思う。
餌から自分で収穫して自分であげるという、とことんロハスな動物園。
人参は嫌いで仕方なかったのだけれど、これを収穫しなければウサギに餌をあげられないと、6歳ながら嫌々とあの人参を引っこ抜いた。
思えば、このとき葉と根を切り分けた時点で気づくべきだったのだけれど
「ウサギさんはあとで根っこも食べるんだね」みたいな都合の良い幼心があった。
いざウサギに葉をあげようとしたときは、よくある平均台に座った私は足もつかず、それでも膝に抱いたウサギを懸命になでていたんだと思う。
問題はその度が過ぎたという点だ。
ウサギは急に暴れ周り、私はそのまま後ろにひっくり返った。
音もなかったので急に視界から消えた私に、母もびっくりしたという。
頭からひっくりかえったくせによくも無事だったな、と今でも考える。
ひとしきり泣いた後またウサギをなでてご機嫌を取り戻したのだけれど、泣きっつらに蜂とはよくいったもので。
勢い良く葉を食べていたウサギは、その勢いに任せて私の指もかじってきた。
ウサギの歯は思いのほかに鋭くて、このときばかりは音もなくというわけにはいかなかった。
また響き渡る私の怒号に、母もまたあせったという。
頭には大きなたんこぶを作り、指には度が過ぎてるんじゃないかというくらいの厚い包帯。
やってられないと車の中でフテ寝をしていたその日の夕飯は、ウサギが食べるはずだった人参の根のほうだった。
もうヤケクソになって食べて以来、人参嫌いは治ったらしい。
その代わりといっては何けれど、私を後ろに押し倒し指をかじり、さらには大嫌いだった人参を残しやがったウサギを嫌いになった。
散々な目に遭ったからこそ、余計に印象に残ったのか。
6歳の私が一体何を考えて、『にんじん』と作文を書いたのかはわからない。
しかし臨場感溢れる悲劇性が伝わったのか、その作文は市内のコンクールで入賞し、それどころかかなりの上位まで上り詰めた。
理不尽ながらも文章を評価されることに喜びを感じた私は、それ以来文章力をあげたいと読書に励むようになった。
人生、何が起こるかわからない。
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