子どもの頃に図書館の本棚から取り出していたのは取っていたのはズッコケ三人組だった。
長いシリーズだが、刊行されてる分は読み切った。
読み切った直後は爽快な結末に浸っていたが、すぐに気づく。
これは虚構だ。
私はハチベエにはなれないし、モーちゃんやハカセみたいに頼りになる仲間もいない。
クラスの中にもしかしたらズッコケ3人組はいたのかもしれないけれど、モブキャラの私には関係はない。
ドラマチックな事件は起こらない。
それが現実だ。
それをわかりながら、本を愛していた。
虚構の中の登場人物はいつも世界を生きていた。
本を開いて、活字を覗き込めば、そこに世界が広がる。
その心持ちは、教室の片隅にあったメダカの水槽を覗き込んでる気分によく似ていた。
寝る時間も食べる時間も、歩く時間すら惜しんで本を開いた。
下校中歩きながら読んでは、何回か危ない思いもした。
思春期を乗り越えて、モラトリアム期間にも終わりが見えはじめた20代冒頭。
モブはモブなりに、自分のことをそれなりに愛せるようになった。
ここに至るまでに長い時間がかかったし、その時間の中でもう思い出したくもない失敗も多く重ねたのだが。
半年後には社会人になるその秋。
あの頃と同じかそれ以上に本を欲してやまなかった。
自分に近い世界も、遠い世界も。
活字の向こうに広がっている。
小さい頃はメダカの水槽に思えたいた活字の世界は、もっと広かった。
虚構だと思っていた世界こそが現実であると知った。
ハチベエたちをメダカだと思っていたけれど、実は自分がメダカであることにうっすら気づきはじめている。
本棚から1冊。
今日は何を読もうかな。
電車に乗って、都内の大学まで小一時間。
気持ち良い揺れを感じながら、本を開く。
電車の扉が開閉するたびに、金木犀の香りが漂ってくる。
メダカはもうすぐ水槽の外に飛び出す。
でも今はもう少し、もう少しだけ、水槽の中で揺られていたい。
そんなメダカも15年近い歳月を経て、親メダカとなった。
あの頃欠かさずに持っていた文庫本は、もう何年も開いてすらいない。
たまに開いたとしても、長い文を読むのに倍以上の時間がかかる。
横書き、箇条書き、短文なんかに慣れてしまったせいもあるだろうが、単純に加齢と疲労もあるのだろう。
カツ丼やケーキ食べ放題は胃が元気な若いうちに行っておけ、とは昔よく言われていたのを覚えている。
カツ丼もケーキ食べ放題も30代後半の胃袋にはかなり難しい。
でもまさか読書にまで難しくなるとはなあ、とレンズのピントを合わせた。
読みたいと思って購入した文庫本も、もう2年以上読めていない。
出産する前に読んでおけばよかったと悔しく思わなくもないけれど、「これ読んで」と2歳になった息子が絵本を持ってくればそんな後悔は一瞬で消える。
大好きな『おさるのジョージ』の絵本。
大きな文字と短文で、非常に読みやすい。
「ジョージがパンケーキを食べてるよ」
「パンケーキ!食べたい!」
2歳児の吸収とレスポンスの速さに思わず笑い出す。
この子は今ジョージと一緒に生きている。
でもいつか、ジョージも黄色い帽子のおじさんも物語の中にしかいないと知ることになる。
ジョージと自分の間にはガラスの壁があることを知る。
もう少し大きくなったら、どこかでハチベエたちと出会うかもしれない。
やがて思春期を迎え、覗き込む水槽と現実とのギャップに戸惑うときもあるだろう。
いつか自分自身がメダカであると気づき、そして水槽から飛び出すときがくる。
そのとき、彼の隣にどんな本1冊があるだろうか。
しばし息子の読書体験に伴走することになる。
その先のステージではどんな本が待っているのだろう。
「その頃には老眼鏡にも慣れてるかな」
なんてぼやくと、あの頃の金木犀の香りが鼻の奥で笑った。
長いシリーズだが、刊行されてる分は読み切った。
読み切った直後は爽快な結末に浸っていたが、すぐに気づく。
これは虚構だ。
私はハチベエにはなれないし、モーちゃんやハカセみたいに頼りになる仲間もいない。
クラスの中にもしかしたらズッコケ3人組はいたのかもしれないけれど、モブキャラの私には関係はない。
ドラマチックな事件は起こらない。
それが現実だ。
それをわかりながら、本を愛していた。
虚構の中の登場人物はいつも世界を生きていた。
本を開いて、活字を覗き込めば、そこに世界が広がる。
その心持ちは、教室の片隅にあったメダカの水槽を覗き込んでる気分によく似ていた。
寝る時間も食べる時間も、歩く時間すら惜しんで本を開いた。
下校中歩きながら読んでは、何回か危ない思いもした。
思春期を乗り越えて、モラトリアム期間にも終わりが見えはじめた20代冒頭。
モブはモブなりに、自分のことをそれなりに愛せるようになった。
ここに至るまでに長い時間がかかったし、その時間の中でもう思い出したくもない失敗も多く重ねたのだが。
半年後には社会人になるその秋。
あの頃と同じかそれ以上に本を欲してやまなかった。
自分に近い世界も、遠い世界も。
活字の向こうに広がっている。
小さい頃はメダカの水槽に思えたいた活字の世界は、もっと広かった。
虚構だと思っていた世界こそが現実であると知った。
ハチベエたちをメダカだと思っていたけれど、実は自分がメダカであることにうっすら気づきはじめている。
本棚から1冊。
今日は何を読もうかな。
電車に乗って、都内の大学まで小一時間。
気持ち良い揺れを感じながら、本を開く。
電車の扉が開閉するたびに、金木犀の香りが漂ってくる。
メダカはもうすぐ水槽の外に飛び出す。
でも今はもう少し、もう少しだけ、水槽の中で揺られていたい。
そんなメダカも15年近い歳月を経て、親メダカとなった。
あの頃欠かさずに持っていた文庫本は、もう何年も開いてすらいない。
たまに開いたとしても、長い文を読むのに倍以上の時間がかかる。
横書き、箇条書き、短文なんかに慣れてしまったせいもあるだろうが、単純に加齢と疲労もあるのだろう。
カツ丼やケーキ食べ放題は胃が元気な若いうちに行っておけ、とは昔よく言われていたのを覚えている。
カツ丼もケーキ食べ放題も30代後半の胃袋にはかなり難しい。
でもまさか読書にまで難しくなるとはなあ、とレンズのピントを合わせた。
読みたいと思って購入した文庫本も、もう2年以上読めていない。
出産する前に読んでおけばよかったと悔しく思わなくもないけれど、「これ読んで」と2歳になった息子が絵本を持ってくればそんな後悔は一瞬で消える。
大好きな『おさるのジョージ』の絵本。
大きな文字と短文で、非常に読みやすい。
「ジョージがパンケーキを食べてるよ」
「パンケーキ!食べたい!」
2歳児の吸収とレスポンスの速さに思わず笑い出す。
この子は今ジョージと一緒に生きている。
でもいつか、ジョージも黄色い帽子のおじさんも物語の中にしかいないと知ることになる。
ジョージと自分の間にはガラスの壁があることを知る。
もう少し大きくなったら、どこかでハチベエたちと出会うかもしれない。
やがて思春期を迎え、覗き込む水槽と現実とのギャップに戸惑うときもあるだろう。
いつか自分自身がメダカであると気づき、そして水槽から飛び出すときがくる。
そのとき、彼の隣にどんな本1冊があるだろうか。
しばし息子の読書体験に伴走することになる。
その先のステージではどんな本が待っているのだろう。
「その頃には老眼鏡にも慣れてるかな」
なんてぼやくと、あの頃の金木犀の香りが鼻の奥で笑った。
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