もう20年以上前、インターネットが流行りはじめた頃の話。
漫画家や小説家の公式ホームページがあちこちにあって、BBSやチャットで先生方ご本人と交流することができた。
宗田理先生はその一人。
BBSに投稿した拙い感想に返信を頂いたとき、飛び上がるくらいに嬉しかったのをよく覚えている。
先生がぼくらシリーズの新刊(たしか悪魔教師)の準備をされていた時期。
「主人公の教師に生徒たちがイタズラをしかけるのだけれど、どんなイタズラがいいだろうか?」と先生がBBSで聞いていたことがあった。
そのとき何気なく送った、『先生の家に行く逆家庭訪問』。
このアイデアが採用されたのだ。
大好きなシリーズの新作に?
憧れの先生が私の考えたアイデアを使う??
えっ本当の話?
当時の大きなPCの前で興奮した。
その後先生から直接メッセージを頂いて、何回かやりとりをした。
モニターの先のインターネット回線の向こうに憧れの先生が座っていて、私の話に耳を傾けている。
失礼がないようにと言葉を選びながらも、興奮は抑えきれなかった。
後日、近所の書店で発売された新刊を手に取った。
先生と話した『イタズラ』は、確かに小説の一部になっていた。
すごい!
自分の頭の中で考えていたことが、言葉になって、文になって、本になって書店に並んでいる。
もちろん執筆しているのは宗田先生だし、私の名前が特に紹介されているわけでもない。
それでも自分の頭の中の言葉が、活字として並んでる光景に思わず震えた。
これはすごいことだ、と。
「思いを言葉にして、活字に残すことはとても大変です。でも、とても楽しいことです」
先生の言葉を思い出す。
私も小説を書いてみたい。
思いを言葉にして、活字にしたい。
12歳の私はそう思って、パソコンのキーボードに手を乗せた。
それから20年以上、いくつかの作品を書き上げては投稿したり応募したりしている。
小説家になる云々よりも、小説含めた文章を書くことがライフワークの一つになりつつある。
読書好きの少女がおばさんになるまでの四半世紀。
紆余曲折いろいろなことがあったけれど、挫けずに歩いてここまでこれたのは、小説の楽しさがあったからかもしれない。
それは長い長い道の先にある道標。
最初に教えてくれたのが、宗田理先生だった。
宗田先生はもう旅立たれてしまった。
感謝の気持ちを伝える術はない。
いつか、どこかで会えるだろうか。
会えたら、伝えよう。
先生。
先生の言葉が、私を支えてくれました。
ありがとうございます。
書棚に並ぶ『ぼくらシリーズ』をパラパラとめくる。
あの頃、活字に輝かせていた自分がいた。
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