ある日、ラインにて。
「『あまちゃん』って全部で何時間なの?」
「156回でひとつ15分だから39時間か。連ドラ3クール分ってあたり」
「で、それを何回観てるの?」
「記憶が確かなら5周目」
「あまちゃんに費やした時間は、約200時間ってことか」
「(゜Д゜)」
だが後悔はしていない。
というのも、再放送始まってからほとんど同じことを言っているのですが、何度見ても見飽きないってこと。
前述のとおり200時間もの時間を費やしているので、この先の展開も最終回での結末もだいたい頭に入ってます。
ではなぜ繰り返し見てしまうのか。
つまらないどころか、同じ場面・人物・セリフに本放送とは違う味わいがあります。
それが脚本力・演出力なのか、役者さんたちの渾身の演技力なのか、それとも視聴している自分が変わったからなのか、あるいはすべてが重なったうえでの結果なのか。
どれが正しいのかはわからないのだけれど、ひとつだけ言えるのは、再放送・再読のたびに違った感想を持てる作品はそう多くないってこと。
作ってみた(Twitterのアイコン変えてみた)
関連のエントリー
・『あまちゃん』&『まれ』
・『あまちゃん』再放送に思うあれやこれや。
以下は2013年本放送当時のもの
・あまちゃんで朝から号泣
・あまちゃんの勇気
・切れないミサンガ、終わらない復興
■すっと入りこんだ。
25年前のあの夜に帰って本心をぶつけあった春子さんと夏ばっぱ。
母娘のわだかまりがほどける瞬間。
いい芝居って、手も止まるし言葉が何も出てこなくて、代わりに出てくるのは涙だ。
なんで、こんなに泣くんだろうな。
■原石を託されたミズタク
……組合長、よくよく聞いたらそれはまるでミズタク自身がアイドルみたいじゃないか……
いや間違ってはいないんだけども…
■背中を押してほしかった人
「あんたなら何とかなるかもしんない。あんたと私は違う。だから、アイドルになれる。かもしんない。頑張んな」
アキが一番励ましてほしかったのは春子だったんだよね。
だからこんなに嬉しそうな笑顔なんだろうな。
■ユイパパ……
「疲れたから先帰った」、「頭が痛いんだよ」となんてことのない言葉が伏線になっていた衝撃。
ユイちゃんパパが倒れる前に机に広げていたのは、お座敷列車の思い出のアルバム。
ユイちゃんパパはユイちゃんの上京を反対していたわけではなかったし、放任していたわけでもなかった。
それでも足立家はここから壊れていく。
終盤にアキが出演する番組に「見つけてこわそう」があるけれど、あのとき足立家のことが脳裏をよぎった。
『壊れる』ものはせめて物だけでいい、直せるものだけでいいって思った。
結果として足立家も再生したから、家族は直せるものなんだなっても思った。
■あたたかい場所
駅で海女クラブのみんなに見送られるアキ。
弥生さんたちがしばりつけたミサンガ。
そのミサンガが切れたのは、震災の日。
あの日、海女クラブに犠牲者は出なかった。
もしかしたらミサンガのひとつが守ったのかもしれない。
そんなアキの表情に、こみあげてくるものがある。
アキ、もう泣きぞうじゃね"ぇが(T ^ T)
(おまえが泣きそうじゃないか)
■あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。
「私、1年前と変わった?」
「変わってないわよアキは。
昔のままで地味で暗くて向上心も協調性も存在感も花も個性もパッとしない娘だったけど、
だけどみんなに好かれた。
こっちに来てみんなに好かれた。
あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。
自信持ちなさい。これはすごいことなんだからね」
2日前の春子さんと夏ばっぱの母娘の和解と深い絆のシーンがあったことを踏まえると、今度はアキと春子さんの母娘の深い絆が印象深い。
いつもは散々なこと言ってる(いや前半なかなか散々だけど)春子さんの言葉が、テレビ越しにしみてくる。
自分はアキなのか、それとも春子なのか。
ここまで入り込めるドラマはなかなかない。
25年という歳月、濃厚な1年間。
やはり春子さんも変わったのだなと思う。
■ファインプレーばっぱ
臨時貸切に間違って乗り込んじゃったファインプレーばっぱ、中居梅子さんて言うのね。(クレジットより)
ここでばっぱが吉田に話しかけて、吉田の注意がばっぱにいったから、アキは浜にいる夏ばっぱに気づけたのかもしれない。
大吉との対照性を感じるシーン。
夏ばっぱは言わずもがな、他にも鈴木のばっぱたち、とにかく『ばっぱたち』が素敵に描かれる作品。
■大漁旗と軽快な音楽に涙が堪え切れない
春子さんを送り出す時は決意に満ちた悲壮感漂う姿で大漁旗を振っていた夏ばっぱ。
四半世紀が経ち、孫のアキを見送るときは満面の笑み(旗もグレードアップ)
25年前とは違う表情、足元、そして風景。
夏ばっぱも、変わった。
夏ばっぱをも、変えた。
風景さえも味方につけるのがプロなんだなって本放送当時に思ったのをよく覚えている。
このとき流れているのはオープニングテーマ。
いつもなら明るい気分で聴くこの曲をこのシーンで挿入してくる演出。
一緒に行くはずだったユイちゃんも不在で不安のアキを励ますような『東京編のオープニング』。
別れを悲しむことはない、いつもみたいにジャンプすればいい。
そうすればなんだって超えられる。
この回であのオープニングテーマに乗せられた思いに、暗喩的でも気づけていたからこそ、
最終話に流れたとき、悲しい涙ではなく切ない涙でもなく、笑いながら泣くことができた。
■橋本愛ちゃん、渾身の演技/strong>
「ユイちゃん悔しいだろうな」
という本放送当時の感想から一転、この先ずっとユイちゃんは行けない(本編中では)ことを思うと、
ユイちゃんの中の人・橋本愛ちゃんの叫びに鳥肌が立つ。
本放送では味わえない、こみあげる圧倒的な何か。
泣き叫ぶユイちゃんを突き放すように北鉄は速度を増して、トンネルへ入っていく。
そこはかつてユイちゃんが「アイドルになりたい!」と叫んだトンネル。
2011年3月11日に、ユイちゃんたちの命を守ったトンネル。
最終話、アキと一緒に走り抜けたトンネル。
一瞬なんだけれども、アキの乗った臨時便がトンネルを抜けたカット。(本放送のときにはこれ気づかなかった)
この演出にこめられている隠喩的表現に、制作陣にも圧倒されている再放送。
ユイちゃん、大丈夫。
ユイちゃん、東京行けるから。
紅白出れるから。
この先長い長いトンネルが待ってるかもしれない。
トンネル抜けかけてトンネルかもしれない。
けれどまた笑顔になれるから。
必ずトンネルを抜けるから。
……(´;д;`)
さあ、泣いても笑っても、明日から東京編です。
太巻、鈴鹿さん、マスター、ミズタク。
そして『暦の上ではディセンバー』。
本放送のときは怪我しててあまり踊れなかったからね。
よし、忘年会に向けて今から練習しておこうね。
おまけ
能年ちゃん可愛過ぎる。
でも勉さんはもっと可愛過ぎる
「『あまちゃん』って全部で何時間なの?」
「156回でひとつ15分だから39時間か。連ドラ3クール分ってあたり」
「で、それを何回観てるの?」
「記憶が確かなら5周目」
「あまちゃんに費やした時間は、約200時間ってことか」
「(゜Д゜)」
だが後悔はしていない。
というのも、再放送始まってからほとんど同じことを言っているのですが、何度見ても見飽きないってこと。
前述のとおり200時間もの時間を費やしているので、この先の展開も最終回での結末もだいたい頭に入ってます。
ではなぜ繰り返し見てしまうのか。
つまらないどころか、同じ場面・人物・セリフに本放送とは違う味わいがあります。
それが脚本力・演出力なのか、役者さんたちの渾身の演技力なのか、それとも視聴している自分が変わったからなのか、あるいはすべてが重なったうえでの結果なのか。
どれが正しいのかはわからないのだけれど、ひとつだけ言えるのは、再放送・再読のたびに違った感想を持てる作品はそう多くないってこと。
作ってみた(Twitterのアイコン変えてみた)
関連のエントリー
・『あまちゃん』&『まれ』
・『あまちゃん』再放送に思うあれやこれや。
以下は2013年本放送当時のもの
・あまちゃんで朝から号泣
・あまちゃんの勇気
・切れないミサンガ、終わらない復興
■すっと入りこんだ。
25年前のあの夜に帰って本心をぶつけあった春子さんと夏ばっぱ。
母娘のわだかまりがほどける瞬間。
いい芝居って、手も止まるし言葉が何も出てこなくて、代わりに出てくるのは涙だ。
なんで、こんなに泣くんだろうな。
■原石を託されたミズタク
……組合長、よくよく聞いたらそれはまるでミズタク自身がアイドルみたいじゃないか……
いや間違ってはいないんだけども…
■背中を押してほしかった人
「あんたなら何とかなるかもしんない。あんたと私は違う。だから、アイドルになれる。かもしんない。頑張んな」
アキが一番励ましてほしかったのは春子だったんだよね。
だからこんなに嬉しそうな笑顔なんだろうな。
■ユイパパ……
「疲れたから先帰った」、「頭が痛いんだよ」となんてことのない言葉が伏線になっていた衝撃。
ユイちゃんパパが倒れる前に机に広げていたのは、お座敷列車の思い出のアルバム。
ユイちゃんパパはユイちゃんの上京を反対していたわけではなかったし、放任していたわけでもなかった。
それでも足立家はここから壊れていく。
終盤にアキが出演する番組に「見つけてこわそう」があるけれど、あのとき足立家のことが脳裏をよぎった。
『壊れる』ものはせめて物だけでいい、直せるものだけでいいって思った。
結果として足立家も再生したから、家族は直せるものなんだなっても思った。
■あたたかい場所
駅で海女クラブのみんなに見送られるアキ。
弥生さんたちがしばりつけたミサンガ。
そのミサンガが切れたのは、震災の日。
あの日、海女クラブに犠牲者は出なかった。
もしかしたらミサンガのひとつが守ったのかもしれない。
そんなアキの表情に、こみあげてくるものがある。
アキ、もう泣きぞうじゃね"ぇが(T ^ T)
(おまえが泣きそうじゃないか)
■あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。
「私、1年前と変わった?」
「変わってないわよアキは。
昔のままで地味で暗くて向上心も協調性も存在感も花も個性もパッとしない娘だったけど、
だけどみんなに好かれた。
こっちに来てみんなに好かれた。
あんたじゃなくてみんなが変わったんだよ。
自信持ちなさい。これはすごいことなんだからね」
2日前の春子さんと夏ばっぱの母娘の和解と深い絆のシーンがあったことを踏まえると、今度はアキと春子さんの母娘の深い絆が印象深い。
いつもは散々なこと言ってる(いや前半なかなか散々だけど)春子さんの言葉が、テレビ越しにしみてくる。
自分はアキなのか、それとも春子なのか。
ここまで入り込めるドラマはなかなかない。
25年という歳月、濃厚な1年間。
やはり春子さんも変わったのだなと思う。
■ファインプレーばっぱ
臨時貸切に間違って乗り込んじゃったファインプレーばっぱ、中居梅子さんて言うのね。(クレジットより)
ここでばっぱが吉田に話しかけて、吉田の注意がばっぱにいったから、アキは浜にいる夏ばっぱに気づけたのかもしれない。
大吉との対照性を感じるシーン。
夏ばっぱは言わずもがな、他にも鈴木のばっぱたち、とにかく『ばっぱたち』が素敵に描かれる作品。
■大漁旗と軽快な音楽に涙が堪え切れない
春子さんを送り出す時は決意に満ちた悲壮感漂う姿で大漁旗を振っていた夏ばっぱ。
四半世紀が経ち、孫のアキを見送るときは満面の笑み(旗もグレードアップ)
25年前とは違う表情、足元、そして風景。
夏ばっぱも、変わった。
夏ばっぱをも、変えた。
風景さえも味方につけるのがプロなんだなって本放送当時に思ったのをよく覚えている。
このとき流れているのはオープニングテーマ。
いつもなら明るい気分で聴くこの曲をこのシーンで挿入してくる演出。
一緒に行くはずだったユイちゃんも不在で不安のアキを励ますような『東京編のオープニング』。
別れを悲しむことはない、いつもみたいにジャンプすればいい。
そうすればなんだって超えられる。
この回であのオープニングテーマに乗せられた思いに、暗喩的でも気づけていたからこそ、
最終話に流れたとき、悲しい涙ではなく切ない涙でもなく、笑いながら泣くことができた。
■橋本愛ちゃん、渾身の演技/strong>
「ユイちゃん悔しいだろうな」
という本放送当時の感想から一転、この先ずっとユイちゃんは行けない(本編中では)ことを思うと、
ユイちゃんの中の人・橋本愛ちゃんの叫びに鳥肌が立つ。
本放送では味わえない、こみあげる圧倒的な何か。
泣き叫ぶユイちゃんを突き放すように北鉄は速度を増して、トンネルへ入っていく。
そこはかつてユイちゃんが「アイドルになりたい!」と叫んだトンネル。
2011年3月11日に、ユイちゃんたちの命を守ったトンネル。
最終話、アキと一緒に走り抜けたトンネル。
一瞬なんだけれども、アキの乗った臨時便がトンネルを抜けたカット。(本放送のときにはこれ気づかなかった)
この演出にこめられている隠喩的表現に、制作陣にも圧倒されている再放送。
ユイちゃん、大丈夫。
ユイちゃん、東京行けるから。
紅白出れるから。
この先長い長いトンネルが待ってるかもしれない。
トンネル抜けかけてトンネルかもしれない。
けれどまた笑顔になれるから。
必ずトンネルを抜けるから。
……(´;д;`)
さあ、泣いても笑っても、明日から東京編です。
太巻、鈴鹿さん、マスター、ミズタク。
そして『暦の上ではディセンバー』。
本放送のときは怪我しててあまり踊れなかったからね。
よし、忘年会に向けて今から練習しておこうね。
おまけ
能年ちゃん可愛過ぎる。
でも勉さんはもっと可愛過ぎる
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