スーちゃんシリーズが図書館にあったので借りてきました。
30代独身のスーちゃんと、あとさわ子さんが、現在と未来の現実を考えながら日々暮らしていく話。
コミックなのでとっても読みやすいし、絵柄もなんだか暖かみがあって好きです。
個人的にスーちゃんちの変な形の机が気に入りました。
三十路ともなれば周りの友達は結婚なり出産なりして気づいたらもうひとりもんの友人の数のほうが圧倒的に少ない。
「晩婚化なんてウソじゃん」
と毒づく毎日に、プチセクハラ、プチマリハラの嵐ももう慣れっこ。
こんな荒んだ根性のせいか、スーちゃんやさわ子さんの言葉がスッと入ってきました。
特に、老後を考えるシーン。
歳を重ねることに対して不安を抱きつつ、結婚と合わせて実親の介護という問題を考え始めたスーちゃんのこの言葉。
おばあさんになってもあたしはあたし。
そうだよね。
おばあちゃんになってもあたしはあたし、他の誰でもなくあたしなんだよね。
今だってあたしはあたしだし、過去だってあたしはあたしだった。
その繰り返しに老後があるのなら、やっぱりおばあちゃんになってもあたしはあたしなんだろうと。
世の中のおばあちゃんがこう願っていられる社会がいいなと。
さわ子さんは実家暮らしのOLさん。
お母さん、それから要介護のおばあちゃんと一緒に暮らしてます。
一人暮らしは考えなくもないけれど、祖母の介護をしている母親のことを考えると躊躇してしまうさわ子さん。
優しい人なんだなあって思います。
「ねえ、さわ子。おばあちゃんあんなふうになっちゃったけどね、一日でも長く生きてほしいってお母さん思ってるの。娘のあたしのこと、もう忘れてるのにね。でもいいのよ、それでも。変よねえ」
そう言ったお母さんに対して、さわ子さんは
「変じゃないよ」
と。
そうだった。
お母さんは自分のお母さんに忘れられてるんだ。
それが、どんなに淋しいことか、あたし考えたことなかった。
考えたことなかったんだよ。
お母さん。
おばあちゃんは、お母さんを「姉」って思うことで、きっと甘えることができるんじゃないかな。
それは、おばあちゃんの娘への最後の優しさなんじゃないかって、あたしは思ったのです。
老いること、介護が必要なことや、認知症であること、普通なら忌み嫌われるようなことが「優しさ」である、と。
家庭を内から支えてきた母が病に倒れ生活に人の手が必要になったとき、自分の娘の顔もわからなくなったとき、それまで強くたくましく立っていた母が、娘の私に甘えてくれる。
それって、そんなに悪いことではないよね。
さわ子さんのおばあちゃんに会ったスーちゃんの帰り道。
将来の不安はあるけれど。
遠い未来のために、今、何をしたらいいのか、よくわからないけれど。
未来のためだけに今を決めすぎることもない。
「だってまだ、今なんだし」
スーちゃんがずっと抱いていた老後への不安は、さわ子さんのおばあちゃんに会うことで少し和らいだみたいです。
それは多分、おばあちゃんが今を生きていたから。
お母さんやさわ子さんも今も生きていたから。
遠い未来のことを案じ過ぎて今が窮屈になるなんてつまらない。
「だって今だし」
この一言だけで充分心に響きました。
スーちゃんシリーズ好きだな。
30代独身のスーちゃんと、あとさわ子さんが、現在と未来の現実を考えながら日々暮らしていく話。
コミックなのでとっても読みやすいし、絵柄もなんだか暖かみがあって好きです。
個人的にスーちゃんちの変な形の机が気に入りました。
三十路ともなれば周りの友達は結婚なり出産なりして気づいたらもうひとりもんの友人の数のほうが圧倒的に少ない。
「晩婚化なんてウソじゃん」
と毒づく毎日に、プチセクハラ、プチマリハラの嵐ももう慣れっこ。
こんな荒んだ根性のせいか、スーちゃんやさわ子さんの言葉がスッと入ってきました。
特に、老後を考えるシーン。
歳を重ねることに対して不安を抱きつつ、結婚と合わせて実親の介護という問題を考え始めたスーちゃんのこの言葉。
おばあさんになってもあたしはあたし。
そうだよね。
おばあちゃんになってもあたしはあたし、他の誰でもなくあたしなんだよね。
今だってあたしはあたしだし、過去だってあたしはあたしだった。
その繰り返しに老後があるのなら、やっぱりおばあちゃんになってもあたしはあたしなんだろうと。
世の中のおばあちゃんがこう願っていられる社会がいいなと。
さわ子さんは実家暮らしのOLさん。
お母さん、それから要介護のおばあちゃんと一緒に暮らしてます。
一人暮らしは考えなくもないけれど、祖母の介護をしている母親のことを考えると躊躇してしまうさわ子さん。
優しい人なんだなあって思います。
「ねえ、さわ子。おばあちゃんあんなふうになっちゃったけどね、一日でも長く生きてほしいってお母さん思ってるの。娘のあたしのこと、もう忘れてるのにね。でもいいのよ、それでも。変よねえ」
そう言ったお母さんに対して、さわ子さんは
「変じゃないよ」
と。
そうだった。
お母さんは自分のお母さんに忘れられてるんだ。
それが、どんなに淋しいことか、あたし考えたことなかった。
考えたことなかったんだよ。
お母さん。
おばあちゃんは、お母さんを「姉」って思うことで、きっと甘えることができるんじゃないかな。
それは、おばあちゃんの娘への最後の優しさなんじゃないかって、あたしは思ったのです。
老いること、介護が必要なことや、認知症であること、普通なら忌み嫌われるようなことが「優しさ」である、と。
家庭を内から支えてきた母が病に倒れ生活に人の手が必要になったとき、自分の娘の顔もわからなくなったとき、それまで強くたくましく立っていた母が、娘の私に甘えてくれる。
それって、そんなに悪いことではないよね。
さわ子さんのおばあちゃんに会ったスーちゃんの帰り道。
将来の不安はあるけれど。
遠い未来のために、今、何をしたらいいのか、よくわからないけれど。
未来のためだけに今を決めすぎることもない。
「だってまだ、今なんだし」
スーちゃんがずっと抱いていた老後への不安は、さわ子さんのおばあちゃんに会うことで少し和らいだみたいです。
それは多分、おばあちゃんが今を生きていたから。
お母さんやさわ子さんも今も生きていたから。
遠い未来のことを案じ過ぎて今が窮屈になるなんてつまらない。
「だって今だし」
この一言だけで充分心に響きました。
スーちゃんシリーズ好きだな。
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