就職相談に訪れる若者に、「自己分析はしていますか?」と訊ねると・・・
「私には、何も自慢できるところはないし、何一つ成功した経験もありません。だから私は、自己分析をする意味がないと思うんです。」
「自己分析は一応しているけど、何も出てこないとゆーか、何を出すべきなのか分かりません。」
「自己分析は、けっこう真剣にやって来たつもりなんですが、結局自分のことがよく分からなくなってしまいました。」
「自己分析って、そもそも必要なのかがイマイチ分からなくって~。とりあえず~、お友達に聞いたりしている?みたいな。」
この様な回答をわりと多く耳にします。
皆さんは、この様に答える若者をどう思いますか?自己分析が出来ていないと思いますか?自己分析は必要だと思いますか?
はっきり言って、自己分析をあまりしていなくても就職する人は大勢います。つまり、自己分析は就活の必須項目ではありません。
しかし、私は自己分析はやるに越した事はないと思っています。
自己分析は、文字通り「分析」ですから、自己認識だけでなく、自分を客観的に観ることが要求されます。
しかも、様々な観点から自分の内面を観たり外から観たり、他人の目や心を通して観たらどう映るのかを聞いたり、さらに検査などで数値化した能力や特性をどう活用するのかなど、やればやるほど厄介なことに違いありません。
でも、やった方が良い。それは・・・
会社に入ったら、嫌だな~と感じる仕事でもしなくてはならないし、苦手だな~と思う人とでも上手く合わせないといけなくなる。
もしかしたら、自分に合わない職場かもしれない・・・(不安)
では、面白い!ずっとしたい!という仕事ならどうですか?しかも素敵な先輩たちに恵まれた職場なら・・・
毎日が楽しい仕事生活になることでしょう。
では、嫌な仕事と楽しい仕事、苦手な人と馬が合う人、それを決めるのは誰ですか? もちろん、自分自身ですよね。
ではさらに、嫌と楽しい、苦手と好きの違いは、自分のどこから生まれるのでしょうか?つまり判断基準ということです。
こうなったら嫌だな~、でもこんな事になったら楽しいだろうな~、いやいやでもこんな事が起こったらやっぱり嫌だな~・・・
こんな考え方、普段からしているでしょ。あれこれ想像していますよねぇ~。
勿論、その答えは人それぞれです。
でも実は、こういう風に考えて行くこと自体が自己分析だと、私は思うんです。
そして「こうなったらイヤ!」の「こうなった」とか「こんな人は好き!」の「こんな」というのは、全部過去の記憶の中にあります。
さらに、「こうなった時」に自分が取った行動やリアクションは、案外家族や周囲の人がよく観てくれているものです。
今までの人生、そうやって何事も判断して来たはずです。自分なりのパターンがあるはずなんです。
それを確かめるのが自己分析です。
ということは、自己分析自体は、そんなに難しいことではないということです。
もっと身近な例を挙げると、洋服を買う時などは実に緻密に自己分析をしていることになります。
まず自分の服のサイズを知っていること自体が立派な分析です。さらに好きなデザイン、色、用途、予算、買うタイミング、他の商品との比較、似合うかどうかの検証、本当に必要か、本当に欲しいのかの判断などなど、実に多くの事を巡らせて買っていることでしょう。
正に自己分析の極みみたいな行為を、普段の生活で無数に繰り返しているのが、私たち人間です。
じゃあ、何で就活の自己分析になると、冒頭のような答えになるのでしょうか?不思議ではないですか?
そう、このような答えを出せること自体が、実は分析の結果なんです。
自分のことを、「何も自慢できるところはないし、何一つ成功した経験がない。」と思っている。
自分は「何かを出ことを自己分析と言うのだ。」という考えを持っている。
自分は「自分のことを分からければいけない。」と思っている。
自分では「本当は必要ないのではないか?」と疑問を持っている。でも不安だから人には聞いておこう。
という、分析結果を言ってくれたのです。
つまり、みんな自己分析が出来ているんです。
但し、就活に活用するには不十分なだけです。だから、そこから色々加えて行きました。
かつて、こんな答えをくれた若者は、全員しっかり就職しました。
自己分析は決して難しくありません。ただ、就活に関しては「やり方」があります。
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