4月に入りました。
昨日は、枚方市立小学校の入学式がありました。
朝 道場に向かう途中で 沢山な ピカピカの1年生に出会いました。
母親の手につながれて 緊張した面持ちの子供たちばかりです。
年は違いますが 孫娘も 今年から 大学生になりました。
また沢山な 新卒の社会人が 誕生したでありましょう。
新しい門出が始まります。
これからの人生に乾杯したくなります。
しかし、今年もーーーーー
重い空気に覆われた世界!!!!
そんな、世の中に船出する若者たち。
人類史の大きな大きな1ページ。
彼らにとって、生涯忘れられないこの時であると思います。
思い起こせば、60年以上も前には自分も旅立ったのです。 高校卒業でしたが、今の高卒生と比べるとずいぶん幼い子供でした。
勤め先は、名古屋にある金融機関でした。3月の寒い日に、両親と共に実家の尼崎から近鉄電車に揺られ、名古屋まで行きました。
何故、近鉄電車? で、大阪から名古屋まで?
実は、昔の話になりますが、あの頃の私鉄の従業員同士は、他の私鉄に家族ともども運賃無料で乗車出来たのですよ。
従って、その時は、親父と母と私の3人が大阪上六から近鉄名古屋駅までタダで行きました。
(近鉄の始発は、今は難波ですが、その頃は上六が始発駅でした。)
驚きでしょう、まー、おおらかな時代だったと思います。 まだバルブ景気になる前でした。
単身寮に入いるためです。 両親は私一人では、心もとないと思ったのでしょうね。
単身寮の寮母さんに挨拶をし、先に送ってあったお布団他の荷物の整理をしてくれて、帰っていきました。
三月の中頃でしたので、まだ寒いころで、粉雪が降っていました。
その頃の名古屋には、まだ、市電が走っていました。
市電の停留所で、電車に乗る両親と別れました。 粉雪の降る中を両親に手を振り別れを告げたのです。
両親は、どんな気持であったのでしょうかね。 父親はとっくの昔に亡くなりました。
母親は、97歳になり、老人ホームにお世話になっています。
高卒の私の財産は「0」円でした。
それほど、家は貧乏でした。
それではかわいそうと思ったのでしょう、祖母は、私が名古屋へ旅立つ前日に1500円を渡してくれました。
それが私にとっての全財産でありました。
(参考に、その頃の単身寮の寮費は1か月2000円から多い人で5000円位でした。
寮費の多い寮生はアルコール類を飲んでいたためです。 因みに私はアルコールは全然ダメです)
遠い昔の話でした。
今の若い方たちは、私達の時代と違ってしっかりしています。
でも、心配なのは、世の中が世知辛くなり、無関心層が増えています。
それに、今の世界情勢は、のんびりと生活をさせてくれません。
武漢コロナは いつまで続くのでしょうね?
それだけに、若者たちに、「頑張れ」と声をかけたいですね。
いずれにしても、若者よ失敗にひるまず、前を向いて歩こう!!!
※ 一口メモ ※
< 名 歌 >
『 年の内に 春はきにけり ひととせを
こぞとやいはん ことしとやいはん 』
( 在 原 元 方 古今和歌集 )
では、――閑題ーーーです。
今日の漢字は 次の一文字を 読んでください。
① 鯱 ② 嚔 ③ 嘴 ➃ 楔 ⑤ 朔
⑥ 靄 ⑦ 鰓 ⑧ 椹 ⑨ 鱧 ⑩ 撥
以上です。
では、昨日のブログ「反日謝罪男 その9」の問題の答えです。
① 切磋琢磨 ② 言行一致 ③ 取捨選択 ➃ 緊急事態 ⑤ 厚顔無恥
⑥ 生老病死 ⑦ 金融緩和 ⑧ 意思疎通 ⑨ 阿鼻叫喚 ⑩ 合従連衡
以上でした。
お読みいただきありがとうございました。
ではまた。!!!
ではまた!!!