あなたから一番遠いブログ

自分が生きている世界に違和感を感じている。誰にも言えない本音を、世界の片隅になすりつけるように書きつけよう。

安部談話と「三つの視点」

2015年08月17日 23時41分13秒 | Weblog
 安倍首相の戦後70年談話について、リベラル派の一部にも評価する声がある。たとえば次のような部分だ。

「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」
「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。21世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります」

 もちろんこの文言自体を否定するつもりはないし、評価する論者を批判するつもりもない。しかし、当然ながら、問題なのはこのことをどのように実現しようとしているのか、またしてきたかである。ぼくたちが見てきたのは、従軍慰安婦の「公的な」存在を否定し、国家としての責任を否定し、慰安婦問題を報道するマスコミを偏向として攻撃し続けてきた安倍氏と政権与党の姿勢である。談話が発表されたのとタイミングを合わせるかのようにフィリピンの元従軍慰安婦による日本政府批判のデモが行われたのは象徴的である。
 ましてや、国際社会の中でも特に男女差別が激しいと言われている日本において、女性の社会進出に対して否定的な言辞を発するのはまさに安倍氏が総裁を務める自民党系の人士が多いのではないだろうか。
 政治家においては言葉が全てだと言う人もいるが、その言葉がその人の現実とかけ離れた空疎なものであったら、それは無意味を通り越して罪悪でしかない。

 今回の談話で特に注目を集めているのが次の一文である。

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」

 まず第一に間違ってはいけないのは、どの国も日本の民衆、若者に戦争責任を問うているのではないということだ。問われているのは、日本という国家である。国家には継承性が存在する。その国が対外的に結んだ外交条約は、それが破棄されない限り何世代でも有効である。国家による対外債務・債権も同様だ。いかに「あの戦争には何ら関わりがない」と言おうと、国家間の問題にはそれこそ関係がない。
 前回のブログでも書いたように、許すか許さないかは被害者が決めるしかないことである。加害者が「許すべきだ」「許されて当然だ」などと言えるはずがない。加害者にできることはただ謝罪し続けることだけである。その誠意が伝わったときに恩讐は初めて消える。こうした考え方は日本文化における美意識の一つでさえある。なぜそれが侵略の問題になると理解できなくなるのか。そこには、あえて言うが、民族差別的な意識が存在していると思わざるを得ない。いまだに(戦争に負けたにもかかわらず)中国人や朝鮮人を見下しているのである。その意識が透けて見えていたら相手が許す気になるはずがない。

 さて、日曜の日本テレビ「真相報道バンキシャ!」で、今回の安倍氏の首相談話と、その祖父である岸信介が戦犯として収容されていた巣鴨プリズンで書いた手記との間に、酷似した部分が存在していることが指摘されていた。岸信介の手記は次のようなものである。

「大東亜戦争を以て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。(中略)先進国の二世紀に亘る世界侵略に依る既得権益の確保を目指す世界政策が後進の興隆民族に課したる桎梏、之れを打破せんとする後進興隆民族の台頭、之れその遠因たり。日米交渉に於ける日本の動きの取れぬ窮境、之れその近因たり。(中略)而して吾々は過去に於て未だ嘗て所謂侵略戦争を為したるの歴史を有せず。現在も然り。又将来も断じてあるべからず。」

 つまり…
 15年戦争(日中戦争~太平洋戦争)を日本の侵略戦争だと言われるのは許せない。欧米先進諸国がが200年にわたって世界中で侵略を行い既得権益を確保しようとしたために、アジアなど後進地域の民族は押さえつけられた。(戦争の発生は)それを打破しようとする後進民族の台頭が根本原因であり、日米交渉において日本が身動きのとれない状況に追い込まれたのが直接的原因であった。そういう訳だから、日本が行ったのは侵略戦争ではなく、現在も将来も断じて侵略戦争をすることなどない、
 と言うのである。

 一方の安倍談話は次のように言っている。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました」
「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」

 そしてこの文脈の先に、

「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない」

 と語られている。
 今回の談話は冗長な上に、様々な文言があちこちにちりばめられ、しかも主語が大変わかりづらい。もちろんわざと分かりづらくしているのだ。だからこのように文脈を切り分けて読んでいってはじめて、この談話における「侵略」という言葉が、主に欧米諸国が行った19世紀から20世紀の世界侵略を指していることがわかるし、その侵略の被害を受けた日本がそれを振り払う自衛のための戦争を起こさざるを得なかったのだ、と言いたいのだということがわかる。
 もう少し斟酌したとしても、ようするに日本が侵略と言われるのなら、欧米の方がずっとひどい侵略をやったでしょ、と言っているのである。この辺りの歴史観は、まさに祖父の岸信介の主張と同じだと言えるだろう。安倍談話において本来「侵略」と言うべき部分は「新世界秩序への挑戦」に言い換えられている。

 さらに、談話発表直後の記者会見で安倍氏は次のようなことも言っている。

「(21世紀構想懇談会の)報告書の中にもあるとおり、(日本のやったことの)中には侵略と評価される行為もあったと思います。先の大戦における日本の行いが侵略という言葉の定義に当てはまれば駄目だが、当てはまらなければ許されるというものではありません」

 つまり、どうしても日本がやったことを自分からは侵略と言いたくないのだ。侵略ではなかったが許される行為ではなかったと言い換えているのである。この点は岸手記とは違っているが、とは言ってもアメリカにおもねるために「反省」ポーズをとらざるを得ないだけなのだろう。考えてみれば、岸も後に総理大臣となったときにはアメリカのポチとなって日米安保再締結を強行したのである。

 ただ、安倍氏はこのように今回の談話を分析的に読まれることをあらかじめけん制している。同じ記者会見で御丁寧にも次のように釘を刺している。

「より幅広い国民とメッセージを共有するという観点からは、一部だけを切り取って強調することよりも、談話全体としてのメッセージを御覧いただきたい、受け取っていただきたいと思います」

 そもそも談話全体が何を言いたいのかわからない、と言うより、わからないように作ってあるのだから、よく言うよというしかない。
 また記者会見では安倍氏は次のようにも述べている。

「私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ…」

 新たなるブロック化であるTPP締結に全力を尽くしている総理大臣の言葉であることを考えると暗然とせざるを得ない。まさにTPPは大国と大企業の意向によって各国の自由と公正を破壊するシステムではないのか。この続きはこうだ。

「途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります」

 まさにTPPが「持てる者」「強い者」にとって一方的に有利な条件を固定化する策動であり、それが国際的、国内的格差をさらに拡大させるものであることは明らかである。この矛盾を安倍氏にはぜひ説明してもらいたい。

 もう一度、話を元に戻す。
 安倍氏は「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせては」ならないと言う。「あの戦争には何ら関わり」がないからという論理だ。しかし「あの戦争には何ら関わり」がないというのはどういう意味だろうか。
 談話の中で安倍氏は「(戦争の)これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある」と述べている。現在の日本人が戦争と全く関係ないなどとは言っていないのである。この部分はあきらかに論理矛盾である。
 それでは「謝罪を続ける宿命を背負」わないで許される条件とは何か。それは敗戦前までの日本の政治思想と政策からの断絶である。よく比較されるドイツでは徹底的にナチス時代を自己批判し、自らがナチスの罪悪を暴き続けることをもって近隣諸国からの「許し」を得た。しかもそれは現在までずっと続けられている。今でも戦犯の摘発が行われ、戦争協力者への糾弾が行われる。振り返って日本ではどうか。見てきたとおり、安倍氏は開戦の詔勅に署名した紛う事なき戦争責任者である岸信介の思想と歴史観をそのまま引き継いでいる。そこには全く断絶がないのである。それで戦争責任を不問にされるはずがない。
 安倍氏が主張するように、この問題は過去にとらわれるべきではなく、未来志向でなければならないし、事実、問題は日本の現在と未来に対して問われているのである。過去の問題は起こってしまったこと、つまり安倍氏が言うとおり「歴史とは実に取り返しのつかない」ものなのだから、問題にされているのは実際には現在と未来の日本が何をするのかと言うことなのである。しかし、その現在の日本の(しかも未来の政治指導者になるかもしれない)若い国会議員が次のようなことを公然と言うような現状ではどうしようもない。

「SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。」(武藤貴也衆院議員による7/30付ツイート)
「そもそも「日本精神」が失われてしまった原因は、戦後もたらされた「欧米の思想」にあると私は考えている。そしてその「欧米の思想」の教科書ともいうべきものが「日本国憲法」であると私は思う。/日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。(中略)むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。」(同議員による2012/7/23付ブログ)

 武藤氏は言わずと知れた弱冠36歳ながら強固な「安倍晋三親衛隊員」である。もっとも当の安倍氏が談話発表の記者会見で次のように述べているのはお笑いというか、もはや悲劇であろう。

「我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し(中略)世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」

 ただ、この問題は実は掘り下げてみれば大変複雑な構造を持っている。その意味では、日本の近代史を総括するということが非常に難しく、混乱するのも仕方ない面がある。
 先にドイツの戦争総括について取り上げた。ドイツはナチス時代を否定し決別している。一方の日本は昭和ファシズム時代との連続性をあいまいにし続けている。しかし本当の問題はそこにあるのだろうか。戦争総括についていつも一番大きな問題になるのは中国や韓国の反応である。そうした国々はいったい何を問題にしているのか。もちろんそれは日本の侵略と植民地化の歴史である。それではその日本の侵略と植民地化の歴史はどこから始まったのか。安倍談話では次のように語られている。

「100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、19世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」

 日本の近代化というのは別の言い方をすれば帝国主義化である。まさに明治の大日本帝国の成立が対外侵略政策の開始であったと言って良い。明治政府内の征韓論は誰でも聞いたことがあるだろう。談話で触れられている日露戦争もその大きな一環であった。たとえば日本語版ウィキペディアの「日露戦争」の項目の冒頭を見てみよう。

「日露戦争は、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島とロシア主権下の満洲南部と、日本海を主戦場として発生した戦争である」

 「日露」戦争とは言っても、別に日本やロシアを戦場に闘われた戦争ではない。ようするに日本とロシアによる朝鮮半島と中国東北部の奪い合いだったのだ。ちなみにこの前段にはもちろん日清戦争がある。同じくウィキペディアを引用してみる。

「日清戦争は、1894年(明治27年)7月(光緒20年6月)から1895年(明治28年)3月(光緒21年2月)にかけて行われた主に朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる大日本帝国と大清国の戦争である。」

 つまり日清戦争もまた朝鮮半島など植民地の奪い合いだったのだ。日本は日清戦争によって台湾を、日露戦争によって朝鮮半島を併合することとなった。もちろんこうした植民地支配は当時にあっても全ての日本人が肯定したわけではない。石川啄木はそのことを不正と感じ有名な一首を詠んだ。

「地図の上朝鮮国に黒々と墨をぬりつつ秋風を聞く」

 日本は欧米列強の脅威を言い訳にして、自らが帝国主義としてアジア各国、各地域の植民地化を目指したのである。岸が書き残した言葉に従えば「世界侵略に依る既得権益の確保を目指す世界政策」をとったのだ。
 こうした侵略政策が、右翼が主張するような「欧米の侵略からのアジア諸国防衛」などにあったわけではないという興味深い記述が残されている。安倍首相が国会演説にも引用するほど心酔する福沢諭吉の文章である。

「奥羽・函館の戦争もすでに平定し、諸藩の兵隊はいずれも東京に集まりたるに(中略)、互いにあい争わんとするの勢いあり。(中略)時の参議・木戸準一郎(孝允)氏はここに一策を案じ、『(中略)兵隊の矛を外に向けてその思想を一に集むるのほかに、策あるべからず。…』」
「『…外に向けるとあれば、その方向はとりあえず朝鮮なり(中略)』」
「…内の人心を一致せしむるために外に対して事端を開くは、政治家の時に行うところの政略…」
「…人心を外に転じせしめるの方便としては、南洋諸島に植民地を開くの策もなきにあらず」
「(しかし)…植民の事業はあまりに尋常の計画にして、一時に人心を転じて内の紛争忘れしむるの効果少なかるべきがゆえに…」
「…我輩はやはり木戸氏のひそみにならうて、朝鮮攻略を主張せざるを得ず」
(福沢諭吉「一大英断を要す」1892/7 なお、引用はIWJ Independent Web Journal「(再掲)2014/01/04 【岩上安身のツイ録】「圧制もまた愉快なるかな」~福沢諭吉の「時事新報」論説を読む 「栄光の明治」の延長としての「暴走の昭和」、そして現代」http://iwj.co.jp/wj/open/archives/118697を参照させていただきました) 

 つまり明治政府の木戸孝允は、明治維新の内戦が一段落ついたところで、このままでは再び旧藩勢力による内乱が起きないとも限らない、これを防ぐためには外に目を向けさせる必要があり、その目標は朝鮮半島侵略であると言ったというのだ。福沢はこうした方策を支持した上で、侵略をするなら簡単に植民地化できる南洋諸国より朝鮮半島がよいと述べている。現在では福沢諭吉が強固な民族差別者であり、格差を是認し、侵略戦争の旗振り役であったことは周知の事実である。実際に福沢が書いているものを読むと胸が悪くなる。

 さてこうして日本の歴史を見てみれば、中国や韓国が批判している日本とは昭和ファシズムの時代に限定されたものではなく、近代日本そのものであることが分かる。ここにドイツとの立場制の違いがある。ドイツが侵略した近隣諸国はそもそも先進国であったのだ。その意味では西洋近代の歴史を共有していた。ヨーロッパ諸国はドイツやイタリアのファシズムは否定できても、その直前にあった近代主義を否定できない。なぜならそれは自己否定になってしまうからである。ドイツは少なくとも周辺諸国からは近代帝国主義の植民地支配という本質的問題で責められることはなかったのである。
 もちろん20世紀後半の国際社会は帝国主義の植民地支配を否定し、植民地解放運動が広範に広がった。その過程でヨーロッパ諸国は批判にさらされることになったのだが、それは戦勝国、敗戦国の区別無く南北問題として表面化した。この部分ではナチス・ドイツを批判する各国とドイツはいわば同じ穴のムジナであった。
 この点で日本は、侵略を行った周辺諸国がそのままアジアの「後進国」であったために、ダイレクトにその近代化そのものが批判にさらされることになってしまったのである。今回の安倍談話への国際的評価の違いを見るとそれは一層明確になる。日本国内では賛否両論が渦巻くが、アメリカは好意的に評価し、中韓は否定的に評価した。これを図式的に描けば次のようになる。

 第一の視点は欧米の視点であり、それは近代帝国主義そのものは否定せず、ファシズムだけを否定する。第二の視点は復古主義者の視点で、帝国主義とファシズムの両方を肯定する。そして第三の視点が戦後民主主義の視点であり、近代帝国主義もファシズムも否定する立場である。第三の視点は、アジアやアフリカなど発展途上国的な視点であると同時に、日本の戦後民主主義の基本的視点であり、またいわゆるフラワーパワーなど戦後の国際的反戦運動、人権主義の視点でもある。
 こうした視点が複雑に絡み合うことで、問題は複雑化する。それが極右・民族主義者にある種の「不公平感」を感じさせてもいる。なぜ欧米と同じことをやっただけなのに日本だけが批判され続けるのか?というよく聞く反発である。

 日本はその近代史の特殊性から、敗戦後に社会の形式としては欧米的近代主義、精神的には戦後民主主義となった。このことはあえて言えば幸運なことであったと言えよう。たぶん最も理想的な近代の最先端の位置に自分たちを置くことができたのである。だがそのことは逆に、この先に進まなければ後に戻るしかないというところに立たされているのだとも言える。
 安倍総理は8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で、今年も「不戦の誓い」という言葉を使わず、アジア諸国への加害責任にも触れなかった。その一方で天皇は「過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に」という異例の文言を入れた。ここにはまさに逆行しようとする時代とそれを阻もうとする戦後民主主義のせめぎ合いがあった。
 先に戦争責任が問われているのは国家であって、民衆ではないと書いた。しかし、もしぼくたちが民主主義であろうとするのなら、国家の責任は有権者である国民が担うしかない。ぼくたちは自分たちがいったいどこから来たのか、そしてどこに行くべきかを主体的に自らを切開することの中から考えなくてはならない。それは残念ながら政治家たちが言うようなバラ色の未来につながるものではないだろう。どの道を選んでも茨の道だ。しかしだからこそ目をそらさずに前に進まねばならないのである。
 安倍首相も次のように言っている。言うまでもないが、この言葉を空疎な笑い話に済ますのか、それとも実体的な内容を持つものにするのか、それはぼくたちの問題である。

「歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります」
コメント (3)
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