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徒然草 第八十五段

2014-05-19 02:09:34 | essay
徒然草 第八十五段

【沢村訳】

人の心は素直でないから、偽るということが無いわけではない。
しかし、生来、正直な人なんてどこにいるだろうか(いや、どこにもいない)。
自分は素直ではないから、他人の賢さを見て羨ましがるのが普通である。
かなり愚かな人は、たまにいる賢い人を見て、妬んでしまう。
「大きな利益を得るために、小さな利益を得ず、嘘で自分を飾って名誉を得ようとする」と賢い人をけなしてしまう。
自分の心と賢い人の心 が違うので、このように嘲りを言ってしまうのである。
この人は、愚鈍な本性を脱することが出来ない。
相手を偽って、小さな利益を手に入れようとし、仮にも賢い人から学ぼうとはしない。

狂人の真似をして大通りを走れば、それは狂人そのものだ。
悪人の真似と言って人を殺せば、悪人だ。
一日に千里走る名馬に学べば、その馬は同じように名馬の類になる。
聖王の舜を真似したら舜と同様の名君になるだろう。
偽りでも賢さを学べば、その人を賢人と言うべきだろう。


【原文】

人の心すなほならねば、偽りなきにしもあらず。
されども、おのづから、正直の人、などかなからん。
己れすなほならねど、人の賢を見て羨むは、尋常なり。
至りて愚かなる人は、たまたま賢なる人を見て、これを憎む。
「大きなる利を得んがために、少しきの利を受けず、偽り飾りて名を立てんとす」と謗る。
己 れが心に違へるによりてこの嘲りをなすにて知りぬ、この人は、下愚の性移るべからず、偽りて小利をも辞すべからず、仮りにも賢を学ぶべからず。

狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。
悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり。
驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。
偽りても賢を学ばんを、賢といふべし。


(徒然草 第八十五段 吉田兼好)




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