最近、録りだめしておいた「白い巨塔」(唐沢版)を見ている。確か今日で最終回だったはず。
誰が正義でもない。誰が悪の権化でもない。
システムが構成され、それが動き始めたとき、希望に溢れるその陰で、小さな不都合が芽を出す。(「不都合」という単語を貶めたアル=ゴア、FUCK!!)
やがて大きく育った不都合は組織に根を張り、組織そのものとなる。そしてそれは取り除くことの出来ない弊害となる。
個人の良識は組織を救えない。救えるのは予め組織の設計図に組み込まれた選良のみ。選良を送る適正な手段が設計されていない場合は、独裁者による改革を望む衆愚が待っている。
現代のこの国において、衆愚は決して反省されることが無い。めくらである。
大衆のお行儀が良いので、なんとかなったのだろうが、これから厳しくなるパワーゲームの中では、もう通用しないのだろう。
覇権の波間で勝つことに全力を注いでも、ある日見るのは沖へ流された我が身かもしれない。
では、どうすれば?
プレーヤーが「持続可能な」「循環型」修正資本主義というものは、個人の良識に拠る。
誰が正義でもない。誰が悪の権化でもない。
システムが構成され、それが動き始めたとき、希望に溢れるその陰で、小さな不都合が芽を出す。(「不都合」という単語を貶めたアル=ゴア、FUCK!!)
やがて大きく育った不都合は組織に根を張り、組織そのものとなる。そしてそれは取り除くことの出来ない弊害となる。
個人の良識は組織を救えない。救えるのは予め組織の設計図に組み込まれた選良のみ。選良を送る適正な手段が設計されていない場合は、独裁者による改革を望む衆愚が待っている。
現代のこの国において、衆愚は決して反省されることが無い。めくらである。
大衆のお行儀が良いので、なんとかなったのだろうが、これから厳しくなるパワーゲームの中では、もう通用しないのだろう。
覇権の波間で勝つことに全力を注いでも、ある日見るのは沖へ流された我が身かもしれない。
では、どうすれば?
プレーヤーが「持続可能な」「循環型」修正資本主義というものは、個人の良識に拠る。