斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

13 【……………】

2016年11月29日 | 言葉
 最初にお断わり
 前々回の「11 梅に鶯」で、筆者が北アルプスの下山路でツキノワグマに出合ったと書いたところ、何人かの人に非常に珍しがられた。おおむね「50メートルの近い距離で遭遇して、よく怖くなかったネ」という驚きの声だった。そこで、この時のことを、もう少し詳しく書いてみたい。この回に限ってコトノハとは関係のない内容なので題名も無しに、つまり【………】とさせてもらった。ご了解ください。

 とんでもない、怖かった!
 その年の夏は、友人の土田君と2人で北アルプスを歩いた。上高地から入って涸沢の山小屋で1泊し、2日目は北穂高岳から縦走して奥穂高岳の山荘で2泊目。最終日の3日目は奥穂高岳から前穂高岳と歩き、岳沢沿いに上高地へ下りた。2日目午前中の北穂高岳への登りで小雨に降られたくらいで、おおむね快晴に恵まれた山旅。満足感に浸りながら岳沢沿いの下山路を歩いていた時、50メートルほど先に1頭のツキノワグマを見た。道の真ん中で何やら頭を地面にこすりつけている。体長1・5メートルほどで意外に小さく感じたが、ツキノワグマは成長してもヒグマのようには大きくならないから、小熊ではなかっただろう。それでも黒い塊は、ゆうに我々2人分の体重を超すほどに見えた。
 迫力十分。とっさに「死んだふり」という言葉を思い出し、その場に寝転がろうかと考えた。そんな恐怖心を見透かしたように、土田君が落ち着き払って言った。
「立ち止まって大声で話しているふりをしよう。先に気づかせよう。大丈夫、心配ない、あっちも人間が怖いンだ!」
 高校、大学と山岳部に籍を置いた土田君は冷静だった。すぐにガサガサッという物音がして黒い塊は下山路脇の急斜面へ消えた。少し待ってクマが地面に頭をこすりつけていた場所まで行くと、青い毛編みの手袋が落ちていた。クマは登山客が落とした手袋の臭いを嗅いでいたようだ。山の幸が豊富な夏場、それも1日に千人を超える登山者が行き来する夏山シーズン真っ盛りの登山道で、クマが出没するとは予想も出来ない。登山客の食べ残す弁当目当ての、人慣れたツキノワグマだったのかもしれない。

 単独行のヤブ山でクマに震えた体験
 実は筆者は、これより先にも山でツキノワグマに遭遇した経験がある。「4【春水満四田】」にも書いたが、新聞社の新潟県六日町通信部に勤務していた当時のこと。住居兼仕事場である通信部の2階から、頂上近くに巨岩を戴く山が見えた。金城山(きんじょうさん、標高1、369メートル)。市街地に近いせいか当時は登山する人の滅多にない山だった。しかし一般にヤブ山と言われる山でも、雪をかぶると神々しく見えるもの。初雪の朝に山頂付近の岩峰が白く輝く光景には、胸を躍らせる新鮮さがあり、思わず手を合わせてしまうほどだった。
 それまでも金城山の奥に位置する巻機山(まきはたやま、1、967メートル)へは何回も登っていた。だが、金城山へは登ったことがなかった。とりたてて魅力のない山に思えたことが1つ。もう1つ、登ることを躊躇(ためら)った理由は、地元の人から「あの山はクマが出る」と聞いていたからだ。しかし登山への誘惑には勝てず、春のよく晴れた朝、意を決し単独行でリュックを背に出発した。

 何の音か?
 あまり登られていない山なので、それと分かる登山道は見当たらない。そこで南へ延びる稜線に一度出て、これを目印に登ることに決めた。山肌のちょっとした窪みには黒ずんだ残雪が一面に固くこびりついていたが、陽のよく当たる斜面は前年の落ち葉もすっかり乾き、歩けばガサリゴソリと音を立てた。関東の冬枯れの低山を歩いている気分だった。テンポよく高度を稼ぎ、2時間弱で9合目付近の岩峰直下にさしかかった。
 人の気配らしきものに気づいたのは、その時。タオルで顔の汗を拭おうと足を止めると、何かも足を止めた(ように思えた)。落ち葉を踏みしめるガサリの音が、ワンテンポ遅れて聞こえた。最初は「他に登山者がいるのだな」と思ったが、こちらが歩きだすと、やはりワンテンポ遅れてガサリゴソリの音がする。登山客なら、こちらの動きに合わせて歩くはずがない。つまり人間ではない。次に考えたのは、自分の足音が岩峰で反響しているのか、ということだった。たぶん、それに間違いあるまい、と。
 だが同時に「クマか?」という考えも頭をかすめた。こちらは単独行であるし、一太刀反撃しようにもピッケル1つ持参していない。それでなくとも、こんな時は臆病風に吹かれがちだ。多少の迷いはあったが、頂上を目前にして登山を諦め、引き返すことにした。
 直後、稜線に出ると、眼下のクマザサ斜面を転がるように駆け下りる黒い塊が見えた。クマも慌てて逃げたのだ。引き返せば金城山の頂上に立てると思ったが、クマにならって(?)こちらも出直すことにした。帰りの稜線をたどりながら、あの時はクマの方でも「自分の足音が岩でハネ返って聞こえたのか? それともクマと見ればテッポーを撃つドウモウなニンゲンか?」と迷ったのだろうか、と考えた。急にクマに友情を感じた。

 変わったのはクマか人間か?
 谷川山系や越後三山など、六日町のある南魚沼盆地は2千メートル級の山に囲まれている。冬眠から目覚める春先や、冬眠前の秋には、クマが里近くに下りて来ることがあった。特に冬眠前はしっかり栄養を摂り込んでおかなければならず、冷夏などで“山の幸”が不作の秋には麓の農民たちも「今年は下りて来そうだ、気をつけるベ」と警戒し合う。夏が寒いと山のドングリなどの堅果類が十分に実らず、飢えたクマが庭先の柿の実などを狙うからだ。クマが人を襲うときは、立ち上がった姿勢から、ツメを立てた前足を振り下ろす。一撃は強烈で顔に当たれば頭蓋骨が砕けた。六日町通信部に勤務当時、人が山に入る春の山菜採りや秋のキノコ採りシーズンになると、必ず被害事故の原稿を書いたものだ。

 今秋、東京・青梅市の民家にクマが出没したとのニュースをテレビで見た。最近は夏の天候に関係なくクマが人里に下りて来るようだ。クマが人間の生活圏を脅(おびや)かすのか、人間がクマの生息環境を脅かす結果なのか。クマたちにとっても、生きにくい時代であることは間違いないようだ。

12 【ヨシとアシ】

2016年11月25日 | 言葉
 別の植物?
 身近な人に「植物のヨシとアシはどう違うか?」と問うと、ほぼ半数が「同じ植物さ!」と答えた。「まともに答えるのもヨシアシだなア」という意味不明の答えもあった。2人に1人は別の植物だと思っていたらしい。『漢語林』(大修館書店)によれば「葦」も「芦」も「葭」も、読み方は「あし」と「よし」の2通り。他に「蘆」と書かれることもある。『広辞苑』は「あし」の説明に重点を置き、「よし」の方は「アシの音が<悪ぁし>に通ずるのを忌んで<良し>に因んでいう。あし(葦)に同じ」と簡単に済ませている(第七版)。
 イネ科の植物には間違いやすいものが多い。荻(おぎ)とススキは同じススキ属だが、オギは河川敷などの低湿地を好み、ススキは水捌(は)けのよい山地や丘陵を好む。穂の密生度はオギが濃く、ススキはまばらなので、ひと目で区別できる。野口雨情作詞、中山晋平作曲の歌に<俺は河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき……>という歌詞の『船頭小唄』(別名『枯れすすき』)があるが、正確に言えば「俺は河原の枯れオギ」だろう。あくまで「正確に言えば」の話で、「同じススキ属なのだから、そこまで厳密にならなくとも良いのでは?」という意見もありそうだ。
 茅葺(かやぶき)の茅(かや=「萱」とも書く)もススキのことで、チガヤを含めて茅葺屋根に使う材料を総称する場合もある。ともかくも、そんなふうにイネ科の植物は外観が似ているうえに呼び名と漢字が複数ある例も多いので、よけいに紛らわしい。であればヨシとアシが別々の植物だと勘違いする人がいても不思議ではない。

 「悪(あ)し」から「良し」へ
 ご存知のように古代の日本は「豊葦原(とよあしはら)の国」(『日本書紀』)だった。低湿地の平野部が多く、アシ野原が一面に広がっていたのだろう。「とよあしはら」のごとく古くは「アシ」であって「ヨシ」ではない。では、いつ頃から「ヨシ」とも呼ばれるようになったのか。「平安時代から」や「江戸期から」などの説があり、一方で「西日本ではアシ、東日本ではヨシと呼ばれた」と地域の違いを指摘する説もある。どちらにしても「アシ」は「悪し」に通じるので縁起が悪く、「ヨシ」なら「良し」だから良い――との考え方が理由となった。
 とはいえ植物の名が「アシ」から「ヨシ」に切り替わったということではなく、現代でも「アシ」と「ヨシ」の両方が使われている。言葉は時代とともに変わるものだが、縁起の「良し悪し」が植物の名前にまで影響を及ぼした例は、ほかにあまり聞かない。

 今に残るアシ原、渡良瀬遊水地
 開発が進んだ現代ではアシ原も少なくなった。昔、旅行記事の取材で琵琶湖水郷(滋賀県近江八幡市)を訪れたことがある。今に残る全国有数のアシ原だ。この地のアシで作った葦簀(よしず)や簾(すだれ)は、かつて近江商人の手により各地に広く流通した。今も西の湖北岸では、アシを加工した高級夏用建具が製造されていると聞いた。葦原を分けて遊覧する観光船に乗ったのは、ちょうど春先の<氷とけ去り アシは角(つの)ぐむ>(『早春賦』)季節。歌詞の通り<春は名のみの風の寒さ>で、湖上を渡る風が刺すように冷たかった。船頭さんの用意してくれた練炭火鉢にしがみつき、船を降りても歯がガチガチと音を立てた。それでも一面のアシ原には日本の原風景を見る楽しさがあった。
 関東にも利根川沿いや霞ケ浦などアシ原で知られる地は多い。筆者がよく行くのは栃木、群馬、埼玉、茨城の4県に接する渡良瀬遊水地(わたらせゆうすいち)。24、5年前に城山三郎の小説『辛酸』を読んで田中正造という人を知り、荒畑寒村の『谷中村滅亡史』や木下尚江の『木下尚江全集第10巻 田中正造翁』などの関連本を読みあさった。今では足遠くなったが、それでも春夏秋冬の年に4度くらいは行く。旧谷中村の家屋一斉撤去(強制廃村)は1906年6月29日のこと。この季節、梅雨の晴れ間に遊水地内の谷中村跡地を訪れると、アシの高く茂る一面の野で「行行子」の別名もある小鳥のヨシキリが「ギョギョシ、ギョギョシ」と騒がしく鳴いている。ヨシキリはアシの茎を割いて中の虫を食べる習性から「ヨシ切り」の名になったようだ。<能なしの眠むたし我をぎやうぎやうし(行々子)>(芭蕉『嵯峨日記』)の句ではないが、硬骨漢正造が生きた時代に思いを馳せながら木陰で休んでいると、芭蕉の安眠を妨げた「ギョギョシ」の声さえ、平和な世の子守唄のように聞こえる。

 遊郭・吉原も元はアシ原
 鉱毒被害の歴史的経緯もあり渡良瀬遊水地を管理する国交省・関東地方整備局は、アシの植物としての浄化機能を水質改善に生かす「ヨシ原浄化施設」として、アシ原全体を保護している。「アシ」と「ヨシ」の表記が混在して読みにくい点を、ご容赦願いたい。植物学上の正式名称が「ヨシ属」なので、官公庁は「ヨシ」の表記を選択しているのだろう。
 葦簀(よしず)も「あし(悪し)ず」では製品の欠陥を認めるようで、商人は売りにくいはずだ。ヨシキリが「アシキリ」では「足切り」になってしまい、いくら鳴き声が騒々しくても可愛い小鳥には残酷かもしれない。
 江戸の初期から続いた遊郭・吉原も最初は「葦屋町」(現在の日本橋人形町の一角)にあった。その頃は海岸にも近く、一帯がアシ原の低湿地帯。「葦屋」や「芦屋」はアシで葺(ふ)いた家屋の意で、兵庫県・芦屋市などと同じく「アシ」にちなんだ地名由来である。明暦大火を挟んだ明暦年間、葦屋町の遊郭群は浅草寺に近い元吉原と新吉原とに移る。「アシ」は縁起が悪いと「ヨシ」と読むことになり、やはり吉凶の縁起から「吉」の字が充てられた。遊郭には「悪所(あくしょ)」という婉曲(えんきょく)な呼び名もあり、余計に「悪(あ)し」の字は嫌われたのだろう。古来、日本人は地名などの固有名詞を大事にしてきたから、こうした機会でもなければ、また遊郭のような場所柄でもなければ、変えにくかったかもしれない。

 「アシ」派も根強い
 植物学上の分類が「イネ目イネ科ヨシ属ヨシ種」でも、日本語としての用法は別である。「吉原」と決めた江戸時代の遊郭関係者のアイデアを受け継がなければならない道理もない。そんな理屈が通じているのかどうか、依然として「アシ」派は根強い。冒頭で紹介した「豊葦原の国」を「とよ“よし”はらのくに」と読む人はいないし、パスカルの<人間は考える葦である>を「考える“よし”」と読む人もいない。城山三郎の小説『辛酸』の表記も「芦(あし)」で統一している。
 興味深いのは俳句の季語。『日本大歳時記』(講談社刊)によると、「アシ」と読む季語は「蘆刈(あしかり)」や「葦雀(ヨシキリのこと)」などの24語。一方「ヨシ」と読むのは「葭切(よしきり)」や「葭簀(よしず)」などの16語である。文学や伝統文化の分野では「アシ」派が、わずかに優位のようだ。

11 【梅に鶯(うぐいす)】

2016年11月19日 | 言葉
 梅にウグイス、それともメジロ?
 梅一輪と、囀(さえず)るウグイスの声。どちらも春先の長閑(のどか)さを象徴する語だ。二つの言葉の組み合わせは都々逸(どどいつ)や長唄、端唄の題材にもなってきた。ところが、この組み合わせには、しばしば異論を聞く。
「昔はメジロとウグイスを混同していたのさ。花札に描かれた梅にウグイスの絵柄だって、どう見たってウグイスには見えないからね!」
「そう言えば、梅の木にとまったメジロなら見かけるが、ウグイスがとまっているところは見たことがない。ウグイスは警戒心が強いからだろう」
 花札のウグイスは派手な原色の緑色と黄色。しかし目の周りが白くないのでメジロにも見えない。図案化は目立つことが第一条件で、緑灰色の地味な外観のウグイスをリアルに描いても花札の絵柄にはなりにくいだろう。それに里ではウグイスよりメジロが圧倒的に多い。地味で目立たないウグイスは見過ごされやすく、メジロなら目につきやすい。組み合わせに異論の出る背景には、そうした理由もありそうだ。

 意外に人懐(なつ)っこいウグイス
 還暦も過ぎた夏、高校時代からの友人である土田君と中房温泉から燕(つばくろ)岳、表銀座縦走、槍が岳のコースで北アルプスを歩いた。燕岳直下の急登の葛(つづら)折りでのこと。登山道の10メートルほど先を、ピョンピョン跳ねながら山頂方向へ移動する小鳥に気づいた。重い登山靴でドタリドタリと音を立てながら近づいても、驚いて飛び立つ気配がない。間隔をとりながら、まるで我々を先導するように登山道を跳ね登って行く。最初は「燕岳だからツバメだろうか?」とも考えたが、よく見れば間違いなくウグイスだ。何と“道案内”は100メートル以上も続いた。「こんな間近に、こんな形でウグイスを見るとは!」と驚く一方で、幸運にも感謝した。もっとも、当のウグイスは「あの時の人間どもはシツコかったなア。いくら逃げても追って来たなア」とでも思っていたかもしれない。
 前年の夏、やはり土田君と北穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳と縦走した時のこと。縦走を終えて岳沢から上高地へ下る道で、ウグイスの囀りを聞いた。歩きながら口真似で応えると、ウグイスも応えて鳴き返す(ように思えた)。面白くなって鳴き真似を繰り返す。アチラも囀りを繰り返した。そんなふうに遊びながら(あるいは遊ばれながら)1キロ近くウグイスと歩いた。この時はツキノワグマにも50メートルほどの距離で遭遇した。楽しい思い出だ。
 ウグイスは意外に人懐っこい小鳥だ。埼玉県北部・深谷市の荒川に「鶯の瀬」と呼ばれる名所がある。鎌倉武将の畠山重忠が豪雨で増水した荒川を渡れずに困っていると、1羽のウグイスが飛んで来て、鳴きながら水面を跳ねて行く。「そうか、川石の上を跳ねているのだな。すると跳ねた所が浅瀬か!」と、ウグイスの後を追い、無事渡り切ることが出来た。燕岳での体験は、この伝承に似ている。ちなみに筆者の近刊の長編歴史小説『雄鷹(ゆうよう)たちの日々』は重忠が主人公で、この「鶯の瀬」のくだりも登場する。

 天神社では「梅にウソ」
 菅原道真を祀(まつ)る全国の天神社(天満宮)では、どこも境内に梅の木を植えており、梅の花が名物だ。<東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ>。教科書に載るほど、よく知られた道真の短歌。天神社と梅の花は切り離せない。
 ところがウグイスはどうかというと、天神社との密着度は梅ほどではないようだ。むしろ鷽(ウソ)との関わりが深い。頭が黒で首が赤い小鳥のウソ。大宰府天満宮や東京亀戸神社、大阪天満宮、道明寺天満宮などでは木彫りのウソの木像を「替えましょ、替えましょ」の掛け声とともに交換し合った「鷽替え神事」が有名だ。「鷽」は「嘘」に通じるとして、前年の凶事を「嘘」とみて当年を吉事の年にと祈願する。亀戸神社のホームページでは「鷽」と旧字の「學」は部首のカンムリが同じで、学問の神様菅原道真に通じる、と説明されている。

 梅花を好む鳥、梅花が似合う鳥
 ウグイスもウソも体長はスズメと同じ15センチ前後、メジロは少し小型で12センチほど。昆虫やクモ、柔らかい木の実などが主食のウグイスは、梅との縁が特に深いとは言えないが、市街地の公園に姿を見せることもある。梅の木にとまっていても不思議ではない。これに対してメジロは椿(ツバキ)や梅、桜の花蜜を好むので、梅の木にとまる姿をしばしば見かける。「梅花を好む鳥」の代表だろう。ウソも桜や梅の花芽を好んで食べるので梅との縁は深い。
  記者をしていた頃、東京・奥多摩湖の湖岸道路沿いのソメイヨシノが、ウソの大群に残らず花芽を食べられたことがあった。「ウソ被害で奥多摩湖の桜は全滅か」という記事を書いたが、その年もソメイヨシノは見事に咲いた。ウソ被害はウソ、というわけでもないが、ウソが花芽を食べることには、無駄な芽を摘み取る摘芽(てきが)の効果があるようだ。

 「梅にウグイス」の音風景
 筆者がよく行く公園の盆栽園では、春先に梅の盆栽を並べている。盆栽を眺めていると裏の竹やぶからウグイスの声が聞こえて来ることも珍しくない。ほのかな梅花の香りとウグイスの声は、長閑(のどか)な春景色によく似合う。「梅にウグイス」は、そのような「梅花が似合う鳥」を言葉にしたものだ。盆栽の枝にウグイスがとまっている必要はなく、むしろウグイスは姿を見せず、どこからともなく鳴き声だけが聞こえる方が春の風情にふさわしい。音風景(サウンドスケープ)である。日本庭園のどこかから琴の音が流れて来る、古い町屋の中から三味線のつま弾きが聞こえる――という場合と同じだ。鳴かないメジロが梅の枝にとまっていても、音風景を欠けば春の風情はいま一つ伝わらない。

  語調の良さも
 「梅」と「ウグイス」を図案化するなら、花札のような1枚に収めるよりほかにテはない。花札の原色は写実的でないが、描き手は必ずやウグイスとして描いたはずだ。言葉が先、図案は後である。図案をまず念頭に置き、言葉を後から考えると「ウグイスは間違いでは?」の疑問がわく。順序を逆にすると、思わぬトリックに引っ掛かる。
 語調の良し悪しも大事だ。七五調に慣れた日本人は、7字や5字のフレーズに親しみを覚えやすい。「ウメニウグイス」は7字、「ウメニウソ」は5字、「ウメニメジロ」は6字。「ウメニウグイス」がベストか。やはり「ウメニメジロ」は少し分(ぶ)が悪い。

10 【続・賦課方式】

2016年11月16日 | 言葉
 ヨーロッパで先行
 「賦課方式」の語も考え方も日本のオリジナルではない。人口の高齢化と年金制度の行き詰まりは欧米諸国も同様で、特にドイツやイタリアの高齢化率は日本と似ている。国連人口部が2015年にまとめた「主要先進国の人口年齢分布」によると、同年時点で日本の60-70代は全人口の33・1%で先進国中のトップ、ドイツは27・6%、イタリアは28・6%(世界平均は12・3%)である。また、0-14歳は日本とドイツが最少同率の12・9%、イタリアが13・7%(世界平均は26・0%)となっている。
 ドイツ、イタリアはもちろん、少子高齢化の比率が日本やドイツより低いイギリスやスウェーデンも、紆余曲折はあったものの「賦課方式」を導入し、維持している。他国も同様の悩みを「賦課方式」で乗り切ろうと対策に懸命だが、日本のように140兆円もの積立金を原資として高リスク投資につぎ込んでいる例はない。

 逆ピラミッドの怪
 日本年金機構のホームページによれば、2030年を想定した人口比率は、65歳以上が全人口の31・8%、2055年には40・5%に達する。65歳未満20歳以上の現役世代との対比で言えば、2030年は高齢者1人に対して現役世代が1・7人、2055年には1人対1・2人になる。現役世代全員が年金に加入しているわけでなく、高齢者すべてが年金を受給しているわけでもないが、年金を支払う側と受給する側との比率は、おおむね以上のような数字になると見てよい。この部分で比べれば、30年や55年に日本の年金制度が崩壊しているだろうとの懸念は、誰もが抱く。まして「賦課方式」で制度を維持するというのであれば、先行きの困難さは自明である。
 厚労省が2004年の公的年金制度改革で「世代間扶養」つまり「賦課方式」の方針を明確にしたことは、前回で触れた。逆ピラミッドの人口構成と「賦課方式」の語が同時に示されたことに、多くの人は不可解さを覚えたに違いない。ピラミッド図をひと目見れば、現役世代が高齢者の年金を「賦課方式」で支えることは困難だと分かるからだ。分かり切っているのに、なぜ厚労省は「賦課方式」を選択したのか。どのように考えても不自然であり、不自然さゆえに厚労省の“深謀”を感じてしまうのである。

 ネライは株価の下支え
 巨額な「年金積立金」の株式運用を危ぶむ声は強い。2015年3月15日付の日本経済新聞は、会社の業績と無関係に株価が上がることを懸念する記事を載せた。16年8月にも、公的マネーによる日本株保有の急拡大について「GPIFと日銀を合わせた公的マネーが、東証1部上場企業の4社に1社の実質的な筆頭株主になっている」と報じた。株価下支えの効果がある一方で、会社の経営状況を選別する市場機能を低下させる弊害がある、と。政府の持ち株比率が不自然に高い点も、株式市場の健全な姿とは言い難い。
 同紙によると、東証1部全体でみた株式保有化率は7%強に及び、国内の民間株主で最大だった日本生命保険の約2%の3・5倍になったという。政府の市場介入を嫌うアメリカでは公的マネーの株式保有比率がほぼゼロ。ヨーロッパでは元国営企業の上場が多かった経緯があるが、株式保有比率は5%台。高リスク投資は日本独自のものだ。
 当然ながら株価押し上げの効果も顕著だった。GPIFと日銀の株式保有額は16年3月末の時点で約39兆円と、5年前の11年3月末より約25兆円増えた。この間、日経平均株価は約7割上昇している。明治大学教授の北岡孝義氏も『ジェネレーションフリーの社会』という著書の中で「政府はこの年金の積立金を使って、株式市場のテコ入れをしようとしているわけである」と喝破(かっぱ)している。

 安倍政権のネライと危険
 「アベノミクス」の目標の1つは、株価上昇をテコとした好況ムードの演出だ。巨額の「年金積立金」で株を買えば株価は確実に上がり、民間各企業の資産勘定は向上する。一方で投資した「年金積立金」も膨らむ。みずから株価を下支えした結果として得た運用収益増であるから、政府の運用が格別に良かった、というのではない。
 しかも上がるのは最初のうちだけだ。やがて株価は落ち着くべきところへ落ち着き、下がる局面も出て来る。下がればネライとは真逆になるが、傷を最小限にとどめようにも、巨額の株を売れば値崩れを起こすから、売るタイミングが難しい。最悪の事態は塩漬けである。「累積収益」をプラスに維持するには際限なく買い続けるより方法がなく、こちらの途を選べば待ち受けるのは破綻(はたん)の2文字ばかり。悪循環はバブル破裂の構図に似ている。
 言うまでもなく株で利益を得るには、タイミングよく買いタイミングよく売る、が鉄則だ。それでも利益を得ることは難しい。まして売るタイミングが制約されては「高リターン」は期待しにくい。日銀が金融緩和政策の一環として買い入れた6兆円(年間購入額)分の上場投資信託(ETF)にしても、緩和の「出口」が近づいた時点で売却せざるを得ないから、企業業績に関係なく株式の“売り”を膨らませてしまう可能性が強い。
 「27・7兆円の運用収益だった3年間」など高齢者の長い老後に比べれば短い。「アベノミクス」がうまく行けば問題はないが、最悪のシナリオも考えておく必要がある。さきの伊勢志摩サミットで欧米首脳を前に安倍首相が言ったように、現在の経済情勢が「リーマンショック前の状況に似ている」とすれば、うかうかしていられない。リーマンショック後の世界同時不況で日本の株価が暴落したように、27・7兆円の運用収益など一瞬で消し飛ぶはずだ。
 政権の座にある者は「アベノミクスは失敗した。すべて私の責任だ」と辞任すれば済むが、全国の高齢者は1首相の功名心と一緒に心中するわけには行かない。

 多くなった「積立方式」への再移行論
 「賦課方式」の見通し不安を反映して最近は「積立方式」への再移行論議が活発だ。ジグザグ蛇(だ)行の印象である。最大の難点は、若い世代が高齢者の年金を支えながら、みずからの分も積み立てなければならず、二重の負担を強いられること。財源として消費税や所得税の増額、相続税アップ等が考えられるが、相続税も含め実際に負担するのは若い世代になるから、二重の負担であることに変わりはない。解決策の立案は、くれぐれも細心に願いたい。とりあえず高リスク運用はやめることだ。

9 【賦課方式】

2016年11月14日 | 言葉
 少し違う
 日本の年金制度が論じられるとき、必ず登場する「賦課(ふか)方式」という語。現役世代が引退世代の年金支給をそっくり支える関係が「賦課方式」だ。メディアは逆ピラミッド型の世代構成図を添え、少子高齢化による現役世代と引退世代の不平等や、将来への制度的不安を指摘する。当然のごとく現役世代は、引退世代へ支給される年金は自分たちから集めた年金保険料だと考える。一方の引退世代も、現在受け取っている年金は現役世代が支払ったものだと思い込んでいる。実は少し違う。

 あいまいな言葉
 日本の年金制度に、いつから「賦課方式」が導入されたのかとなると明確な答えはない。1944年に厚生年金保険法が施行された当初は「積立方式」で、1954年の新厚生年金保険法により「修正積立方式」に改められたとされる。年金として将来受け取るための原資を現役時代に積み立てておくのが「積立方式」で、積立預貯金と同じ理屈だから分かりやすい。対する「修正積立方式」は現在の「賦課方式」を基本としつつ、実際には「年金制度が軌道に乗る(成熟化)まで」との条件付きで「積立方式」を併用する。まだ「賦課方式」という語は前面に謳(うた)われていない。2004年の公的年金制度改革では「世代間扶養」の語で「賦課方式」の方針が明確化された。「100年安心プラン」のキャッチフレーズが有名だ。この時をもって日本の年金制度は「賦課方式」へ転換したと言える。しかし同時に「年金積立金」を使いきるべく取り崩すことが前提とされたから、実際には「修正積立方式」とあまり変わらない。
 「賦課方式」はあいまいな言葉だ。というか、あいまいな性格のまま日本の年金制度は政治家たちのオモチャにされてきた、という方が真実に近い。「コトノハ」欄の趣旨に沿って言うなら「賦課方式」という語には、あいまいさゆえに成立するトリックがある。

 年金積立金は誰のもの?
 筆者のような団塊世代は社会人の仲間入りをした頃、年金については「退職後にもらう積立貯金のようなもの」と説明されてきた。在職中は年金のことなど気にもかけなかったから、知らないうちに「賦課方式」に変わっていた、というのが正直なところだ。
 ここで考えてみよう。「積立方式」であれば、年金支給に回してもなお残る剰余金は「年金積立金」つまり貯金しておいた分ということになる。団塊世代は文字通り人数が多く、高度経済成長の順風も吹いていた。定期の預貯金にすれば、放っておいても10年で2倍に増える高利息の時代だから、あえて運用をせずとも剰余金は巨額にのぼった。これらは基本的に預金者のお金であり、政府が自由に使えるお金ではない。といっても、いつから「賦課方式」に切り替わったのかが明快でなければ、どこからどこまでが貯金かという線引きは難しい。
 すっかり「賦課方式」に切り替わり、現役世代が退職世代を全面的に支えることになれば、これまで退職世代が積み上げてきた貯金分の「年金積立金」は宙に浮く。単純化して考えれば、の話だ。現実には、現役世代が支え切れない分を「年金積立金」から取り崩して充てているので、純粋な「賦課方式」ではない。あいまいさはトリックの生まれる背景である。

 政治家のオモチャだった「年金積立金」
 「年金積立金」は、2001年までは大蔵省(現・財務省)資金運用部を通じて、厚生省所管の年金福祉事業団が運用した。大蔵省に預託されて財政投融資資金とされ、郵便貯金とともに「第2の国家予算」と呼ばれた。本予算に匹敵する額にもかかわらず、税収でないから国会のチェックが入りにくい。巨額の資金は政治家や官僚の裁量により橋や道路、ダム建設などのインフラ整備に使われた。さすがに批判は多く、2001年に資金運用部は廃止された。
 想像してみて欲しい。国に預けたとはいえ預貯金としての性格がある「年金積立金」を、政治家や官僚がチェックなしに手を着ける。それだけでなく年金福祉事業団は返済不能の赤字事業にも貸し付けた。明るみに出ただけでも、公共の宿であるグリーンピア全国13か所で3798億円、検診施設ベアーレなど年金福祉施設265か所で1兆5697億円、社会保険庁職員宿舎建設や長官交際費・外国旅行旅費に1兆808億円を支出していた。これらの穴がその後税金などで補填(ほてん)されたという話は聞かない。

 危険なハイリスク運用
 2006年4月から「年金積立金」の運用は、厚生労働省が所管するGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が管理するようになった。運用資産は約140兆円。GPIFは2014年10月から、国債比率60%という手堅い運用方法を改めて35%に落とし、反対に株式の運用比率を50%(国内株、外国株が各25%)へ倍増させた。為替リスクの高い外国債券分15%を合わせると、実に全資産の65%が高リスク運用へと変更された。
 一般の家庭でも、ここまで無茶な投資はしない。まして国民の大事な老後の虎の子である。案の定、見直し後の14年10月から12月までの3か月間で6・6兆円の収益を上げたが、15年7月から9月までの3か月間では7・9兆円の巨額損失を出した。さらに15年10月から12月にかけて4・7兆円の利益を出すも、16年1月から3月までに4・8兆円の損失、同4月から6月までに5・2兆円の損失を出した。安倍首相は16年秋の臨時国会で「安倍政権の3年間の運用収益は27・7兆円。ある程度、長く見ないといけない」と胸を張ったが、問題は結果論のみではない。長くお年寄りたちを支える年金原資を、かくも変動の激しい高リスク投資に委ねて良いのか、という1点が問題なのである。

 「賦課方式」の語が隠すトリック
 高リスク投資により政権が目指すネライについては次回で詳述したい。要は「政治家のオモチャ」として公共事業に湯水のごとく使われた時代と、あまり変わっていないということだ。国民の預貯金である「年金積立金」が、アベノミクス政策推進のために使われている。「賦課方式」の語は、年代層別の逆ピラミッド図とともに「年金積立金」を増やす必要を国民にアッピールし、高リスク投資を正当化するために、ひと役買っている。
 「賦課方式」の語にトリックが潜(ひそ)むのではなく、政治家が「賦課方式」という語を小道具にして、手品を仕掛けているわけだ。

8 【シルバー民主主義と下流老人】

2016年11月08日 | 言葉
 2冊の新書
 高齢化社会に関して最近話題になった2冊の新刊本がある。八代尚宏氏の『シルバー民主主義』(中公新書)と藤田孝典氏の『下流老人』(朝日新書)だ。『下流老人』の出版は2015年6月、『シルバー民主主義』は2016年5月。相次いで出版と言えるかどうかは微妙だが、背景には年金改革や、頻繁に起きている生活困窮老人の自殺がある。
 2冊の内容は対照的。経済学者の八代氏は副題「高齢者優遇をどう克服するか」の通り年金財政改善が急務であること、そのための高齢者優遇ストップと若者層の負担軽減を、学者らしい視点で提唱している。オビの「老人に甘いツケは老人が払う」のキャッチコピーが刺激的だ。これに対して長くソーシャルワーカーとして貧困老人の相談相手となってきた藤田氏は、経験した諸ケースを紹介しつつ「一億総老後崩壊の衝撃」(副題)と警鐘を鳴らしている。学者の鋭い分析と提言に対し、現場からの生々しい報告。八代氏が政策を推し進める立場から、藤田氏が困窮老人の側からと、それぞれの立ち位置も好対照である。

 八代氏の「シルバー民主主義」
 「八代氏の」と冠した理由は、八代氏が最初に「シルバー民主主義」という語を使ったわけではないため。早大名誉教授だった内田満氏の1986年の著書『シルバー・デモクラシー』(有斐閣)が初出のようだ。有権者中に高齢者の占める比率が高くなると、政治家は高齢者を重視した政策を採用しがちになる。その結果、若い人向けの施策は軽んじられる――が内田氏の説いたポイント。八代氏の著『シルバー民主主義』は、この視座から高齢者の年金支給額や医療費を見直し、高齢者向け予算全体の抑制・削減を促そうとする内容だ。
 八代氏の論の背景には、現在の高齢者は金銭的に豊かだ、との認識があるようだ。一例として2014年総務省「全国消費実態調査」を示し、一世帯当たりの年間平均収入が60歳代(世帯平均人員2.67人)で606万円、70歳代(同2.36人)で462万円もある、と。なるほど「豊かな高齢者」の理由が肯けるが、信じがたい数字でもある。数字が跳ね上がった理由は、会社役員として高給をもらい続ける高齢者まで含めた平均値のため。高齢者は本当に豊かであるか。藤田氏の報告は、むしろ逆だ。

 下流老人
 藤田氏が『下流老人』の「はじめに」で断っているように、こちらの言葉は藤田氏の造語である。「下流老人という言葉に高齢者をバカにしたり、見下したりする意図はなく(中略)、下流老人という言葉を用いることで、高齢者の逼迫(ひっぱく)した生活とその裏側に潜む問題をあらわにしていくことが目的である」と。十分にインパクト感のある語だ。
 八代氏が紹介した「実態調査」と異なり、藤田氏が載せたのは厚生労働省の2013年「国民生活基礎調査」中の「高齢者世帯1年間の所得金額」。高齢者とは65歳以上を指す。それによると1世帯あたり平均所得金額は309万円。高額所得者も含めた平均値であり、真の意味で実態に近い中央値では250万円になる。これなら肯ける額かもしれない。
 貯蓄額も全高齢者の17%が「まったく貯蓄なし」で、「なし」に「貯蓄200万円以下」を加えると30%に達する。ガンになって何度か手術と入院を繰り返せば、たちまち貯蓄が底をつく層が3割いるわけだ。いわゆる「年金支給額カット法案」で一律に支給額が減った場合、3割の層は医療が受けられなくなる可能性もある。

 待ち受ける「下流老人」の可能性
 中央値である「年間所得金額250万円」は、大半が年金収入によるもの。老夫婦2人が持ち家で暮らす場合、一方が病気や事故で入院という事態にでもならない限り、つつましい暮らしなら成り立ちそうだ。だが人生に想定外の出来事は付きもの。気づけば「下流老人」に転落していたというケースは意外に多い。500万円の預貯金を糖尿病と腰痛の医療で使い果たし、月9万円の厚生年金では生活出来ず、道端の野草を食べて生活保護費受給までにこぎつけた元自衛官。うつ病の娘を抱えて医療費の支払いに追われ、月17万円の厚生年金では生活出来ずに、月9万円の赤字を埋めるため持ち家を手放した元金型工と妻。熟年離婚のため厚生年金が折半となり、月額12万円で暮らす元銀行員――など。高齢者の68%は病気持ち、とのデータもある。窮状不問の一律支給額カットは、病人を抱えた高齢者世帯をさらに追い詰める。一律カットは消費税と同じく、富者に有利で貧者に不利な方法だ。

 言葉のトリックとしての「シルバー民主主義」
 若い人が高齢者の年金を支える「賦課方式」に無理があることは、高齢者自身も知っている。できるなら孫子に迷惑をかけたくないと誰もが思っているだろう。だが今日食べるお金がない、医者にもかかれない、という時でも声を上げずに我慢すべきか。2015年5月、全日本年金者組合が「年金額引き下げは憲法違反」とする訴えを全国で起こした。これを「シルバー民主主義」の一例と断じて「最悪水準の政府債務をさらに悪化させ、社会保障制度改革を妨げる可能性がある」と見る論評さえあった。
 ある面「シルバー民主主義」の語は、高齢者層と若者層を反目させる言葉のトリックだと言える。高齢者間の所得格差から目を逸(そ)らし、対立の構図を「高齢者対若者」へと誤導する。事実、富裕な高齢者はいる。世代間の対立と捉える前に、なお会社役員として高給を取る高齢者の基礎年金支給停止など、他の改善策を探ってみてはどうなのか。

 危険な風潮の芽
 人数が多く投票率も高い高齢者の意向は政治に反映されやすい。そこで「シルバー民主主義」に警鐘を鳴らす論者の間には、高齢者の「1票」に制限を加えようとの主張がある。なかには余命に応じて「1票」の価値に差をつけ、若い人の意見をより多く政治に反映させる「余命比例投票」案もあるというから呆れる。
 年齢や性別、出生地、障害の有無といった一切を問わず、すべての人が等しく「1票」の権利を持つことは民主社会の基本だ。「1人1票」は政治の枠にとどまらず、平等と人権の精神でもある。麻生副総理の「90歳でこれから老後? いつまで生きるつもり」の発言や神奈川県相模原市で起きた障害者施設惨殺事件に「弱者不要論」の芽を感じる。惨殺犯も「医療費の無駄遣い」を口実にしていた。「シルバー民主主義」の語に、同じ根っこはないのだろうか。

7 【ポピュリズム】

2016年11月03日 | 言葉
 ポピュリズムの危うさ
 ポピュリズムの日本語訳は大衆迎合主義。衆愚政治と同じ意味で使われている。用語の起源は古代ローマ時代にさかのぼり、元老院中心の「エリート主義」に対して、シーザーやアウグストスら民衆の直接行動を重視する「大衆派」「人民派」を指した。
 「大衆迎合」は新鮮味に欠けるが、和訳した「ポヒュリズム」には人を振り向かせる力がある。最近この語がしばしばマスメディアに登場するようになった。多くの場合、一定の政治的な動きを「ポピュリズムの危うさ」として退(しりぞ)ける文脈で使われている。

 ポピュリズムを指摘する危うさ
 ヨーロッパ各国での移民受け入れ反対の動き、イギリスのEU離脱、トランプ米大統領候補の孤立主義的発言など、国外ではナショナリズムを背景にした右派的な動きを指すことが多い。移民優遇政策の陰で、雇用の機会を奪われる層の「不満」が典型的な例だ。この場合、雇用の確保が第一で「移民反対」は二次的な主張、つまり雇用が確保されれば即座に解消する主張である。「ナチス・ドイツを連想させるナショナリズムの右派的な動き」は付随的であって本質ではない。雇用の確保は労働組合の最優先課題だから、むしろ左派的な動きという側面もある。国の雇用政策の不十分さを棚上げして「ポピュリズム」の言葉で事態を否定するのなら問題のすり替えだ。
 国外のケースとは逆に、日本では右派的な主張の中で使われやすい。最近は特定の政治党派や政策を「ポピュリズム的」と謗(そし)る際に頻用される。いわゆるレッテル貼りだ。多数意見を「ポピュリズムの危うさ」として退けるのだから多数決原理に反する。意見の異なる政敵や大衆は、とかく蒙昧な存在に見えるもの。ポピュリズムを嗤(わら)うポピュリスト、とは笑えぬ事態である。つまりは「ポピュリズムの危うさ」を指摘すること自体が「危うい」こともある。

 
 「ポピュリズム」の日本での使われ方
 今年9月の某全国紙に、ある大学教授の寄稿原稿が載った。イギリスのEC離脱やアメリカ大統領選でのトランプ候補の言動を軸に、まず米欧での「ポピュリズム」台頭を論じたうえで、日本の「ポピュリズム」の現状に言及した。
 国内の「ポピュリズム」のくだりでは「日本は移民が少ないから、反グローバリズムを掲げたポピュリズムは広がらない。だが、別のポピュリズムなら、ありうる」として「ポピュリズムの支持基盤が高齢者になるだろう」と予測している。「なるだろう」だから将来の話だ。現実には起きていない「ポピュリズム」を先んじて論じることに、今後の高齢者の動きを封じる意図が感じ取れなくもない。
 焦点は「給付額引き下げの年金改革に対する反対」だという。年金制度改革に対する高齢者の動向は「シルバー民主主義」の語とともに、たびたび俎(そ)上に載るテーマなので、回を改めて触れたい。要は「ポピュリズム」という言葉は、少なくとも日本では好例が見当たらない、あるいは見つけにくい、ということのようだ。

 むしろ「反ポピュリズム」的だった民主党
 年金改革のくだりの後では「日本の民主党政権は、自民党への不満がテコとなった一種のポピュリスト政権だった。(自民党への政権移行は)国民がポピュリズムに懲(こ)りたからである」とも分析する。ここで首をかしげた。
 2009年の第45回総選挙で単独過半数の308議席を獲得した民主党は、2012年12月の46回総選挙で57議席にまで減らして惨敗した。民主党の敗因は、野田佳彦内閣が主導した「税と社会保障の一体改革」(12年6月、民主、自民、公明などの賛成多数で法案可決)に有権者が反発したため。とりわけ「一体改革」の柱となった8%への消費増税に有権者は反発した。それまでの民主党が消費増税反対を唱えてきたから、有権者は裏切られた気持になったのだ。選挙前から民主党内は分裂状態で、統一感のない党体質が嫌気された面も大きかった。
 今にして思えば、党内外の反対を押し切って「8%消費増税」を主導したことは「反ポピュリズム」的行動である。つまり民主党政権の敗因は「ポピュリズム」に抗したため、だと言える。「ポピュリズム」を語るのであれば、この点を取り違えてはいけない。
 自民党への政権移行の背景に民主党への「不満」があったことは確かだが、政権移行は常に前政権への「不満」の結果である。かつて自民党が政権の座から追われた理由も、国民の多数が自民党に「不満」を感じたためだ。一方を「ポピュリズム」と謗(そし)り、他方に「ポ」の字も出さないのは、言葉の政治的な利用、つまりコトノハのトリックである。

 ポスト・トルース
 10月初めの同じ全国紙に、さきの教授とは別の教授が、英国のEU離脱を理解するキーワードとしての「ポスト・トルース(真実後)」を論じていた。離脱派の政治宣伝は巧みで、さらに多くの虚偽情報があったという。「今や政治の世界では、虚偽を語っても検証されず、批判もされない。真実を語ることは、もはや重要ではなくなってきている」と。こちらの論考も国内の安保法制論議に及ぶと途端にナマ臭くなる。民主党(現・民進党)が「いつか徴兵制? 募る不安」という趣旨の政治パンフレットを配布しようとした(実際は党内の反対で未配布だったようだ)として「国民の恐怖を煽(あお)る戦略を選んだ」と論難した。
 これには驚く。いささかの不安や疑問を残さぬように論戦することこそ、国会の存在価値であり原理原則だ。まして重要な安保法制である。「恐怖を煽る」からと「臭いものにフタ」では、不安を不安のまま封じられる国民は、子供扱いされた気分だ。
 政治宣伝に誇張や虚偽は付きもの。「デマゴーグ」とは政治家のために存在する言葉で、政治家が嘘を言わない人種だとは誰も思っていない。せめて学者だけは政治の利害関係から離れて、党派に偏した政治宣伝に加担しないようにと願わずにはいられない。

 古代ギリシャの時代ではない
 古代ギリシャ時代と異なり、現代は活字メディアに電波メディア、インターネットなど自説を伝える手段が豊富だ。とりわけジャーナリストや学者は好環境下にある。少なくとも国内を論じる時は「ポピュリズムだ」とレッテルを貼る前に、なぜ煽っていると言えるのか、なぜ虚偽かについて、丁寧な説明で根拠を示してみてはどうか。説明を尽くせば安易なレッテル貼りは不要になる。