斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

16 【武士道】

2016年12月30日 | 言葉
 「武士道とは何か?」と考えて少しその方面の本を読むと、時代により武士道のイメージが異なることに気づく。新渡戸稲造の『武士道』は入門の書としておなじみで、筆者も若い頃に最初に手にした、この分野の本だった。当時は感銘を受けたが物足りなさも感じた。明治の時代、専門外の農業経済学者が、病気療養中のアメリカで、欧米人向けに英文出版した書である。新渡戸は序文で執筆のきっかけについて、ベルギーの著名な法学者に「日本に宗教教育がないなら、日本人はどのように道徳教育をするのか?」と問われたことだと明かしている。キリスト教的倫理観が生活全般に浸透している欧米人なら、当然抱くはずの疑問かもしれない。問われた新渡戸は、幼い頃からなじんだ盛岡藩士たちの倫理観、すなわち武士道の教えに思い至った。キリスト教的倫理観やヨーロッパ騎士道精神を念頭に入れつつ、武士の倫理観を論じれば、競わんとして理想化された内容になりがちだ。すでに武士階級の存在しない明治の世だから、往時を懐かしみ、美化しがちな気持にもなっただろう。
 武士道なる言葉を初めて聞く外国人にとって平易で便利な解説書でも、多少の知識がある日本人には、武士社会がかくもシンプルで美しかったなどとは、きれい事に過ぎるように思える。同時代の書であれば筆者などは『阿部一族』など森鷗外の歴史小説に生き生きとした武士群像を見る思いがするが、これは単に小説好きであるせいかもしれない。

 三島由紀夫が武士道の書として山本常朝の『葉隠』を盛んに論じ、推奨したのは1960年代の後半であった。岩波文庫のはしがきで古川哲史氏が「どこを切っても鮮血のほとばしるやうな本だと言へる」と解説している。確かに「気違ひ」や「死狂い」「思ひ死に」といった過激な表現が多い。言葉の過激さこそが、この書の特徴であり魅力である。
 戦(いくさ)のなかった平穏な時代、刀は敵に対してより、おのれの腹を裂くために使われた。「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」は、すでに戦場での心構えが不要になってしまった時代の教えである。「武辺は敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたがるが手柄なり」は、忠を尽くすための心構えだ。主従関係に比重を置き過ぎると、武士道はこのように、主君に対する従者の忠君規範となる。言葉は良くないが幾昔か前のサラリーマン道である。 
 常朝はまた「命を捨つるが衆道の極意なり」とも「恋の至極は忍恋なり。思い死に極るが至極なり」とも書いている。衆道とは男色のこと。男色も恋も結構であるし、過激な表現は常朝の癖かもしれないが、こうも「死」の言葉が多用されると「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」の名文句も軽くなる。菅野覚明氏は『武士道の逆襲』という著書の中で「常朝の言葉が過激なのは、時代がまさに太平の世だからである。本当に合戦の日々を送っている者たちにとって観念修行も言葉による自覚も無用なもののはずだ。彼らは現に生死の境を事実として駆け抜けている」と指摘している。平和な時代に特有の、観念の先走りと過激化である。
 常朝は、別のところでは「人間一生誠にわずかの事なり。好いた事をして暮らすべきなり。夢の間の世の中に、苦を見て暮らすは愚かなる事なり。我は寝る事が好きなり。寝て暮らすべしと思うなり」とユーモアたっぷりだ。また「時代の風と云ふものは、かへられぬ事なり。されば、その時代々々にて、よき様にするが肝要なり」と意外な柔軟性も見せている。

 一方、戦国大名、武田信玄・勝頼2代の兵法書である『甲陽軍鑑』は、戦(いくさ)の時代の武士の姿と心構えをダイナミックに伝えている。死と向かい合わせの日常だけに現実的で厳しく、観念が先走りしている余裕はない。例えば「侍が武略をするときは、もっぱら虚言を用いるものなり。これを嘘偽りと申すは、合戦を知らない武士なり」「大将が国を奪うのも、昔が今に至るまで、切り取り、強盗、盗っ人とは申し難し。国を奪うにつきての虚言を計略と申して、苦しからずというは道理」といった、騙し討ち肯定の論である。平良文と源充が一騎打ちを演じたのは、はるか昔の出来事であり、正々堂々を重んじる風潮からは遠い。
 興味深い言葉が「脇差心(わきざしごころ)」だ。ある時、信玄家中の侍2人が、口論から取っ組み合いの喧嘩になった。一方が他方を取り押さえて詮議の段になる。ここで信玄が怒った。「口論で終わったのならともかく、相手に手を出す事態になりながら、なぜ脇差を抜いて突くなり斬るなりしなかったのか」と。それでは侍が脇差を腰に差す意味がない。また、組み打ちで終わるのでは周囲が止めに入るのを期待するようなものである、という理由だ。「脇差心」を持たぬ侍への処断は厳しく、2人はともに斬首された。主従関係の忠誠より、実戦に役立つ心の在り方、考え方が重視された時代であった。
 ちなみに「脇差心」の強調は喧嘩奨励のごとくに聞こえるが、そういうことではない。喧嘩は「是非に及ばず」両成敗にするのが原則で、厳しく禁じられた。一方で、手出しされても「堪忍」つまり我慢し通せば、罪に問われないのが『甲州法度之次第』の定めでもあった。

 信玄の時代と同じ謀略と騙し討ちの時代ながら、畠山重忠の時代の「弓矢取る者」の道には不思議なおおらかさが感じられる。江戸期の武士道が藩主から末端藩士までの低く狭い関係で論じられるのに対し、重忠の時代のそれは、武家トップの頼朝と有力御家人との高い次元であることが、理由の一つだ。あえて江戸期へ置き換えるなら、徳川将軍(頼朝)と藩主(御家人)の間の武士道である。重忠に忠誠を尽くす郎党のあるべき姿といった話には、なりにくい。
 各時代それぞれに武士(もののふ)の理想の姿がある。山本常朝の言うように、いつの世にも「かへられぬ時代の風」が吹いていた。ならば武士道の原点を見詰め直す必要がある。原点とは、歴史の表舞台へ武士が躍り出た時代の、重忠ら雄鷹たちの姿である。武士道論でなく、現にあった姿から武士道の原点を読み取っていただくことが、この小説の眼目である。

 98歳で逝った母から「私は武士の娘だから」という言葉を何度か聞いた。大正4年の生まれなので正確には「孫」か「曾孫」だろう。旧式のガス風呂釜の事故で全身大やけどを負った時など、自分に死の影を見た折に漏らした言葉だ。元気な時に聞いた記憶はない。母にとれば自身を勇気づけるための言葉だったはずだ。
 武士道の現実は、明治の知識人が欧米人にPRしようとしたほど美しい世界ではないが、人々を勇気づけた覚悟や誇りは、肯定し得る徳目かもしれない。一方、おのれの命に固執しない心構えは、他人の生命の軽視へと変転しがちだから、現代人には受け入れ難いだろう。畠山重忠の時代と同じように、現代には現代の「かへられぬ時代の風」が吹いているのである。武士道の崇高さとともに、その愚かしさを読み取ってもらえれば幸いだ。
  (近刊、斉東野人『雄鷹たちの日々--畠山重忠と東国もののふ群伝』「あとがき」から抜粋)

15 【立憲主義】

2016年12月10日 | 言葉
 言葉の攻防
 言葉の大きな特徴は、流行(はや)りと廃(すた)りがあることだ。政治的な思惑から意識的に無視される言葉がある一方で、その逆の場合もある。憲法改正問題に絡んで、ここ最近の国会質疑では「立憲主義」という語が頻繁に登場した。憲法改正を推進する、あるいは条文解釈の余地拡大を目指す政権与党には、概して「立憲主義」の語を遠ざけたがる傾向がある。これに対し改正に反対する護憲勢力は「立憲主義」の語を前面に押し立て、政権に否を唱える。攻防の軸は「立憲主義」の語だ。
 時代や国により考え方に多少の違いはあるが、「立憲主義」とは「憲法によって支配者の恣意的な権力を制限しようとする思想および制度」(『大辞泉』小学館)、あるいは「憲法に基づいて政治を行うという原理」(『大辞林』三省堂)のこと。別々のことを言っているように思えるが、要は「国家権力を、憲法という最高法規の下で制約する(従わせる)政治原理」である。政治学や憲法学の本なら、もっと詳しく解説してくれそうだ。

 ないがしろにされる言葉
 昨年2015年6月に開かれた衆議院憲法審査会では、参考人として出席した3人の憲法学者が、そろって集団的自衛権行使を可能にする“戦争法案”を「違憲である」と述べた。自民党推薦の参考人だった長谷部恭男・早大教授も「違憲であり、立憲主義に反する」と述べ、注目を集めた。護憲論の立場に立つ法律学者はもちろんのこと、改憲論を支持する法律学者も含めて、純粋な法理論に照らして「合憲である」と主張する学者は皆無ではないか。「合憲を主張する改憲論者」というのは、言い方として論理の破綻であり、言葉の矛盾である。3人の憲法学者の意見陳述では、学者と政治家の憲法観の“段差”を見せつけられた。
 これより先の2012年4月、自民党が会見草案を発表し、法律家たちの間から「立憲主義に反するのでは?」との批判が出た。すると同党憲法改正推進本部の事務局長だった磯崎陽輔・首相補佐官がツイッターで「(立憲主義は)学生時代の憲法講義でも聞いたことがない。昔からある学説なのでしょうか」と、つぶやいた。よりによって憲法改正草案の作成に当たっている実質的な責任者が「立憲主義」なる語を知らないとは、どういうことなのだろう。本当は知っているが、知らないふりをして批判の矛(ほこ)先をかわそうとした、ということか。しかし当事者の「知らないふり」など、このような場で通るものではない。理解に苦しむ。

 不用意かつ不可解な安倍首相発言
 磯崎氏の発言も、好意的に解釈すれば、言わんとした真意は別のところにあったのかもしれない。しかしその後も同じように首をかしげたくなる発言が相次いだ。今度は憲法改正の最終責任者である安倍首相の口から飛び出した。
「憲法については、考え方の1つとして、いわば国家権力を縛るものだという考え方はありますが、しかしそれは、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方であって、憲法というのは日本という国の形、そして理想と未来を語るものではないかと思います」
 2014年2月の衆院予算委員会での、安倍首相の発言。磯崎氏と違い発言の自由度が増すためか、思うままに発言した印象がある。すぐに護憲勢力の側から「憲法と立憲主義について、あまりに無知で無理解」との批判の声が上がった。国のトップに立つ者として、危うい認識であることは確かだ。前段の「かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」という部分。後段の「憲法というのは、日本という国の形、そして理想の未来を語るものではないか」とした件(くだり)だ。
 前段では「立憲主義」を、かなり強引に「かつて王権が絶対権力を持っていた時代」に遡(さかのぼ)らせてしまっている。王権が盛んだった時代に、王権に制限を加える必要から「立憲主義」が唱えられたのは事実だが、市民革命を経て政治の主権が市民の手に移った後も、為政者の独走を縛る必要から「立憲主義」の原理が継承された。独立戦争を経て1788年に成立したアメリカ合衆国憲法は6条で「立憲主義」を謳(うた)い、王権とは関係のないフランスやドイツも「立憲主義」の国であることは変わらない。後段の「日本という国の形、理想の未来」にしても、このような“努力目標”にしてしまえば、権力の座にある者は、ずいぶん気が楽になるに違いない。安倍首相の願望の表明に過ぎないと、国民の多くは受けとめたはずだ。

 
 遠ざかる明治の熱気
 明治憲法(大日本帝国憲法)は1889年(明治22年)2月11日、発布された。発布前の1年間、枢密院では憲法草案をめぐって熱い論争が繰り広げられた。なかでも有名なのは、首相から枢密院議長に転じていた伊藤博文と、文部大臣・森有礼との間の「臣民の権利」論争だ。
(森)「『臣民の権利義務』ではなく『臣民の分際(責任の意)』と改めるべきではないか」
(伊藤)「憲法を創設するの精神は第一に君権(王権)を制限し、第二に臣民の権利を保護するにあり。もし憲法に臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし。臣民の権利を保護せず、また君主権を制限せざるときは、臣民に無限の責任有り、君主に無限の権力あり。これを称して君主専制国という」
(森)「臣民の財産及び言論の自由は、人民の天然に所持するところのものにして、憲法おいて生まれたるもののごとく唱えることは不可なるがごとし」
 森の反論には分かりにくい面があるが、生来持つ権利を憲法に明記すれば、条文を削って権利を取り上げることも可能になるので、最初から明記しない方が良い――というもの。論争は熱いだけでなく、高度かつ内容豊かで感心させられる。

 もう少し勉強を
 この頃の政党名には「立憲」や「憲政」の語が目立つ。1882年に立憲改進党と立憲帝政党、90年に立憲自由党、その後も憲政党、憲政本党、立憲政友会など。「立憲」と「憲政」の言葉がなければ夜も日も明けないのかと思えるほどだ。新聞社に勤めていた筆者は当時の新聞に目を通す機会があったが、強く印象に残ったのは、むしろ政治家より庶民たちの熱気だった。
 「立憲主義? 昔からある学説でしょうか?」とつぶやく与党憲法改正推進本部事務局長氏。憲法を“努力目標”と考えたがる(?)安倍首相。政治家としての器を明治の元勲と比べることは無茶というものだろうが、それにしても、もう少し勉強してくれないものか。

14 【都民ファースト】

2016年12月04日 | 言葉
 新知事の存在感
 東京都知事選で小池百合子氏が勝利したのは7月末。以来かれこれ5か月、小池知事は存在感を十分過ぎるほど示し続けてきた。1つは豊洲市場への移転問題、もう1つは東京五輪・パラリンピック会場の見直し問題だ。片や「食の安全と安心」、此方(こなた)「巨額建設経費削減」だから、どちらの案件にも成り行きを見守る都民の関心は高い。
 当初本命と見られた役人出身の自民党推薦候補が当選していたら、有能な役人らしく(?)唯々諾々と周囲に協調するばかりで、こうしたことは問題にならなかったはずだ。そうなると有害物質が地中からにじみ出す豊洲市場の危険性は一般には広く知らされず、予定通り開場に至っていたかもしれない。ゾッとする。当初は問題なく開場したとしても、オープン後数年を経てから汚染が明るみに出れば、事態は最悪である。仮移転と再工事の総費用は、さらに嵩(かさ)んでしまうに違いない。それを思えば、事前にストップをかけただけでも評価に値する。
 五輪関連も然り。招致に際した日本側のアッピールポイントは「半径○○キロ圏内の既存競技施設で、どの競技もカバーできる経済性」だったが、現在では「整備費総額2兆円超」「いや3兆円」の数字さえ聞こえて来る。誰かがストップをかけなければならない事態。小池知事の見直しにより、東京五輪3会場の整備費削減は、12月初めの時点で404億円に達した。

 
 チームプレー?
 ある日のテレビニュースで、小池知事との会談を終えた競技団体幹部が、感想を述べる映像が流れた。
「小池知事にはスタンドプレーでなく、チームプレーでと、お願いしたいですね……」
 スポーツ競技では、特に団体競技では「チームプレー」の言葉は金科玉条だろう。しかし東京都と政府、JOC、IOCの4者協議の場で「チームプレー」に徹することは、みずからの主張を抑えることを意味する。小池知事にとれば悩ましい。都知事選で自民党相手に戦って勝利した経緯のせいなのか、政府側からは積極的な発言が聞こえてこない。ここで従順に「チームプレー」に徹しているようでは、お役人出身の自民党推薦候補が知事に就いた場合と変わらない。「スタンドプレー」は印象の悪い言葉だが、こんな時にはあえて「スタンドプレーで孤軍奮闘」が大事だ。

 
 効果的な「都民ファースト」の言葉
 小池知事が常日ごろ口にするのが「都民ファースト」という言葉。思い出すのは革新都知事、美濃部亮吉氏の「都民党」なる語と、空色のシンボルカラーである。小池氏も選挙戦ではグリーンをシンボルカラーにした。立場は正反対に近そうだが、イメージは重なる。
 「都民ファースト」つまり「都民第一」。都民の利益を代表する立場が都知事だから、政策実施にあたっては自民党本部や「都議会のドン」の意向でなく、また競技団体の思惑でもなしに、都民の立場を第一に考える――。五輪開催が国家的プロジェクトであることは間違いないが、建設整備費の面では東京都の負担は大きい。巨額にふくれあがった建設コストを「都民ファースト」の目線で再点検する作業は、当然ながら必要である。
 すでに「都民ファースト」の語は、独り敵陣へ落下傘降下した新知事にとって効果的な武器となった感がある。自民党幹部や「都議会のドン」を黙らせる力があるのだろう。JOC側からは「アスリート・ファースト」なる対抗語が持ち出されたが、言葉としての迫力は落ちる。「レガシー(遺産)と誇れる立派な新施設を」とも競技団体側は主張するが、建設費がそのまま「負の遺産」つまり借金となる「レガシー」では、荷を背負わされる後続世代が可哀想だ。

 「都民ファースト」の難点
 留学経験があるためか小池知事にはカタカナ言葉が多い。当選直後の某メディアとのインタビューでは「利権追究は改革の大きな柱。いわゆるウィッスル・ブローイング、内部告発も含めて情報を届けていただく受け皿作りを進めたい」と答えていた。「ウィッスル・ブローイング=whistl-blowing」(内部告発者の意味)のような、都民の大多数が知らない言葉が飛び出すのも、この人らしいところだ。カタカナ言葉には清新さを印象付ける効果があり、イメージ戦略を大事にすることに通じる。安倍首相の「アベノミクス」もレーガン元米大統領の「レーガノミクス」に倣(なら)ったネーミングだろうが、国民は画期的で新鮮味のある経済戦略の印象を抱いたかもしれない。
 その「都民ファースト」も小池氏のオリジナルではなく、トランプ次期米大統領が口癖にした「アメリカ・ファースト」の二番煎(せん)じ。TPPの一方的離脱や日米同盟の揺らぎなど大統領選用とはいえ日本人には悪印象の残る言葉だ。そもそも「アメリカ・ファースト」もトランプ氏のオリジナルというより、先行したイギリス極右政党「ブリテン・ファースト」からの借りものである。「ブリテン・ファースト」はキリスト教原理主義から出発し、移民排斥・イスラム教徒排斥を訴える反グローバリズム集団(政党)。今年6月、EC離脱反対派の労働党女性議員を射殺した犯人も、犯行時に「ブリテン・ファースト」と叫んだ。「都民ファースト」も元をたどれば、あまり褒(ほ)められた言葉ではない。
 「スピード感をもって」や「ウインウインの関係で」など、ここ最近は政界で使われるカタカナ言葉が増えた。「スピード感をもって」は「迅速に」や「早急に」、また「ウインウインの関係で」は「相互利益の関係で」「互恵関係で」を言い替えたのに過ぎないが、「ウインウインの関係」などと聞くと、何か新しいコトが起きるのかと期待してしまう。言葉のマジックであり、トリックである。一方で「アジェンダ」のように、一政党の盛衰とともに短期間で浮沈したカタカナ言葉もある。

 言葉を超えて実質へ
 ここまでは新知事も孤軍奮闘、よくやってきた。味方となる都議が1人もいない現状を考えれば、高い評価が与えられて然るべきだろう。言葉としての「都民ファースト」の起源はともかく、都政改革と「利権構造の闇」を突くためなら、活用できる言葉はフルに活用した方が良い。新しい都政は、まだ始まったばかりだ。今後どこまで主張を通せるかを見守りたい。言葉を超えた真価の発揮は、これからだ。