斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

26 【唱歌「夏は来ぬ」】

2017年06月10日 | 言葉
 一、卯(う)の花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)はやも来鳴きて 忍び音(ね)もらす 夏は来ぬ 
 二、五月雨(さみだれ)の注ぐ山田に 早乙女(さおとめ)が裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ
(作詞・佐佐木信綱、作曲・小山作之助)

 夏の鳥といえば、現代人はどんな鳥を思い起こすのだろうか。春にはウグイス、野にあればヒバリ。秋は雁やカモ。晩秋のカラスや冬のモズ。これらの鳥も自然に縁遠い都会や近郊では、あまりお目にかからなくなった。まして夏のホトトギスとなると、山好きな人でもなければ、まず無縁の鳥かもしれない。古歌に多く詠まれ、トウキョウ、トッキョ、キョカキョクの鳴き声で有名だが、名前の割には姿を見たことがなく、また鳴き声も聞いたこともないという人が大半ではないかと思う。
 都内ながらまだ緑濃い筆者の自宅周辺では、毎年5月の連休から梅雨入り前後にかけて、同じ夏告鳥であるカッコウの鳴き声を聞くことができた。閑古鳥の別名もあって「もの寂しい鳴き声の小鳥」とされるカッコウだが、日に日に緑が濃くなる樹林のてっぺん辺りから、高く、よく通る声を聞くのは爽やかなものだ。ところが今年も含めここ2年ほどは、さっぱり聞かない。南北に走る大きな道路の工事が始まり、農家の屋敷林が伐採された影響だろうと想像しているが、本当のところは分からない。
 
 唱歌『夏は来ぬ』の夏告鳥はカッコウ目、カッコウ科、カッコウ属、ホトトギス種のホトトギス。卯(う)の花は卯月(うづき=4月)のウツギの花だが、旧暦4月のことだから、やはり初夏の花ということになる。茎の中心が空洞になっているので空木(うつき、うづき)と名付けられ、白い花を咲かせる。筆者の自宅には紅白に咲くハコネウツギが植えてある。茎はやはり中空だが、スイカズラ科、タニウツギ属になる。身近なところではアジサイの茎も中空構造だが、こちらもウツギとは異なりアジサイ科のアジサイ属である。

 三、橘の薫る軒端(のきば)の 窓近く蛍飛びかい 怠り諫(いさ)むる 夏は来ぬ
 四、楝(おうち)散る川辺の宿の 門(かど)遠く水鶏(くいな)声して 夕月涼しき 夏は来ぬ
 五、さつきやみ蛍飛びかい 水鶏鳴き卯の花咲きて 早苗植えわたす 夏は来ぬ


 ウツギの垣根は昔なら珍しくなかったようだが、今では農家が畑の境い目などに植えている程度だろうか。問題は「匂う」である。いつかネットの書き込みに「いくら鼻を近づけても、うの花は臭いがしなかった」とあるのを見かけた。国語辞書には<「匂う」は良い香り、「臭う」は悪臭の場合に使う>と載っているが、古語の「匂う」は「美しく映えて見える」の意味、つまり嗅覚ではなく視覚を表現するコトバ。歌詞は「うの花が美しく咲く垣根に、ホトトギスが早々と来て鳴いている」という意味だ。
 よく知られている「匂う」の用例には江戸期の国学者、本居宣長の「しきしまの大和心(やまとごころ)を人問(ひとと)わば 朝日に匂う山桜花」という短歌がある。「朝日に照り映える山桜の花こそ、やまと心の象徴である」の意味。南北朝の対立で奈良・吉野山に拠った後醍醐天皇を「朝日」にたとえ、後醍醐天皇を支えようと忠誠を尽くす楠木正成らを「山桜」にたとえて、「やまと心は、かくありたいものだ」言っている。朝日新聞の題字デザインは「朝日」の字と山桜の花とで構成され、宣長の歌に由来する。
 ちなみに筆者が卒業した埼玉県南の小学校の校歌は、「ムラサキ匂う、武蔵野の……」という歌い出し。校歌に結構多いフレーズのようだ。万葉の昔から染料に用いられ、やはり初夏から夏にかけて白い小さな花を咲かせるムラサキ。歌詞など覚えようと努力したわけでもないのに、幼い頃の記憶はしっかり残っている。

 『夏は来ぬ』の歌詞の特徴
 記者時代に唱歌『夏は来ぬ』について取材したことがある。カラーの別刷り紙面「日曜版」の連載企画で、企画の発案者も担当デスクも筆者だった。初夏スタートの連載だったので、初回に『夏は来ぬ』を予定し、とりあえず見本をと筆者が原稿を書くことにした。ところが筆者は「うの花」について誤解しているところがあり、急きょ島崎藤村作詞の『椰子の実』を書いて差し替え、『夏は来ぬ』は後回しにすることにした。そんなドタバタがあったせいで『夏は来ぬ』の取材のことも、よく憶えている。(この時の連載は現在、岩波現代文庫『唱歌・童謡ものがたり』として本になっています。よろしければ、ご参照ください)
 近代歌壇の巨星にして万葉集研究の第一人者だった佐佐木信綱は、明治5年、三重県鈴鹿市の生まれ。代々が歌詠みの家系だったので4、5歳の頃から万葉、古今、山家集などの秀歌を暗唱させられた。暗唱は古くから歌道の指導法で、この唱歌の作詞にも大きな意味を持った。信綱の秘書だった村田邦夫氏によると、万葉集には「うの花」を歌ったものが22例あり、うち17例が「ほととぎす」との組み合わせだという。つまり「うの花」の垣根で「ほととぎす」が鳴く構図は、万葉の昔からの伝統的なものであった。他にも二番の歌詞「五月雨(さみだれ)のそそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が裳裾(もすそ)濡らして」は、「五月雨に裳裾濡らして植うる田を 君が千歳(ちとせ)のみまくさにせむ」という『栄花集』の古歌に似ているし、三番歌詞にある「橘の薫(かお)る軒端(のきば)の」と五番歌詞「五月闇(さつきやみ)ほたる飛びかい」は『詞花集』の古歌「五月闇花橘に吹く風は たが里までかにほいゆくらん」の「橘」と「五月闇」の組み合わせに似ている。また『源氏物語』の「花散里(はなちるさと)の巻」には「橘」と「ほととぎす」の、「澪標(みおつくし)の巻」には「五月闇」と「水鶏(くいな=四番歌詞)」の組み合わせがあり、『夏は来ぬ』との共通点が顕著だ。
 つまり『夏は来ぬ』の歌詞は、見聞した情景を佐佐木氏がゼロから描写したのではなく、すでにある伝統的な美意識を組み合わせて作ったのである。古歌を知り尽した佐佐木信綱氏であればこそ、書けた歌詞だったと言える。『夏は来ぬ』に伝わる京都や奈良の古都の空気や、古歌の雅(みやび)なトーンの背景には、そのような事情があった。

 現代語と古語
 「匂う」の語に限らず、明治や大正期の唱歌には古語が使われたものが多い。たとえば「真白き富士の根 緑の江の島……」という歌い出しの唱歌『真白き富士の根』。連載当時、読者から「どうして『根』なのですか?」と電話で質問されたことがあった。高低で言うと反対の印象だが、古語の「根」には「嶺」「峰」の意味がある。日光白根山や草津白根山のほか南アルプスの白根三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)など。「白い嶺」つまり山頂に雪をかぶる高山の意味だ。幼い頃に丸暗記で覚えた唱歌も、改めてその歌詞を調べ直してみると、思わぬ発見があって楽しい。
(本稿は、岩波現代文庫『唱歌・童謡ものがたり』の中から、当時筆者が執筆した「夏は来ぬ」の項を、書き改めたものです)

3 コメント

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Unknown (FH)
2023-05-23 18:16:45
初めまして!
古い記事へのコメントで申し訳ございません_(_^_)_

この季節になると思い出す歌詞もメロディーも大好きな曲です。
この歌詞を読むと、最近の酷暑を迎えるのが少しは楽に思えます。

2番・「早乙女」になったのはいつ頃のことなのでしょうか?
作者自身の変更だったのでしょうか?
ご存じであれば教えてくださいませ。

蛇足ですが、3番が「門、近く」になっています💦
Unknown (FH)
2023-05-23 18:26:59
「門」は4番でした😢
Unknown (斉東野人)
2023-05-23 20:51:06
FHさん、ご指摘感謝します。正しくは3番が「窓近く」、4番が「門遠く」でしたね。4番の方を訂正させてもらいました。「早乙女」が最初「賤女(しづのめ)」だったとは承知していますが、いつごろからかについては存じません。

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