斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

63 【暗号資産(仮想通貨)と石貨】

2019年08月01日 | 言葉
 「リブラ」への賛否
 米フェイスブック社が発行計画を進めている暗号資産(仮想通貨)「リブラ」に対し、各国政府や金融機関の間で、懐疑的な意見が強くなっているようだ。当然かもしれない。世界27億人のFB加入者が送金・決済サービスに利用するようになれば、買い物や公共料金の支払い、給与の振り込みなど、金融機関が担ってきた業務や役割も一変する。そんな大事なことを国家とは別の1民間業者(団体)に委ねて良いものか、どうか。万一の時の責任は誰が取るのか、また取り得るのか。

 リブラは価値の変動幅が少なく、何かと問題視されてきたビットコインに比較して安定感がある。”裏付け資産”のないビットコインに対して、リブラは米ドルやユーロ、円、英ポンドといった法定通貨や公債により保証されているためだ。投機対象にされやすいビットコインには躊躇(ためらい)いを覚える人も、円をドルに換える程度のリスク感覚で仲介業者から購入出来る。現在までのところ新聞など日本のメディアはリブラをビットコインと同列の暗号資産としているが、法律(資金決済法)上の扱いは、法定通貨の裏付けがあるという理由で「暗号資産」の範疇には入れない。金融庁の見解も「リブラは暗号資産ではない」だ。
 もちろん危惧される点もある。資金洗浄に使われやすく、脱税や闇市場にも利用されやすい。いわゆる「電磁パルス攻撃」など、非常事態ではデータ消失の危険もあるという。仲介業者への各国政府の管理・規制体制も、十分に整っているとは言えない。

 ドルや円といった一般的な貨幣(money)からプリペイドカードのような電子マネーへ、さらに仮想通貨(virtual currency)へ。プリペイドカード辺りまでは多くの人の理解を得られても、仮想通貨(=暗号資産、ここではリブラを含む)の未来像となると、予測はつけ難い。日々流れて来るリブラ関連のニュースに、世の貨幣観の急激な変化を実感することだけは確かだ。唐突で恐縮ながら、思い出したのは新聞記者時代に取材した石貨である。

 石貨の成り立ち
 古いスクラップブック(記事切り抜き帳、デジタル時代の現代は死語か?)のホコリを払い、取材した記事を探した。「1992年10月4日」付けとあり、30年近く前の記事。月日が経つのは早いもの、などというアタリマエのことは言いたくないが、正直、それ以外にコトバが出ない。日曜日付け別刷りカラー紙面、いわゆる日曜版の第1面いっぱいに、ミクロネシア連邦ヤップ島のビンロウジ(檳榔子)の木陰で憩う、元教師で酋長のケニメド老人と幼児、背丈より高い石貨の写真が載っている。同行したカメラマンの労作。添えられた拙文の横で「ドルがなければ長者の島じゃ」のタテ見出しと「石貨の重さは信頼の証文」のヨコ見出しが躍っている。
 
 記事から石貨の成り立ちを再考してみよう--。石貨の原石となる結晶石灰岩はヤップ島にないため、南へ400キロ離れたパラオ諸島まで採りに行く。数十人が1年近くかけ、カヌーと筏(いかだ)で大海原を運んだ。パラオ側から石切りの許可が出ず戦争になったり、海上を運搬中に命を落とす島民もいて、そうした困難さの謂(いわ)れが即、各石貨の価値になった。驚くべきは、島民の皆が個々の石貨の謂れを知っていること。19世紀後半以後、ヨーロッパの近代船が沖を行き来し、重い石貨が容易に運搬出来るようになると、石貨を切り出しに行く島民はいなくなった。困難さの謂れがなければ、どれほど大きくても価値はないからだ。

 石貨は「善意と信頼の証文」
 直径30センチほどの小ぶりな石貨はいまもドルに併用して頻繁に使われている。結婚や家の新築など縁起の絡む支出には欠かせない。ここで、ある種チグハグなところが気になった。家の新築で支払ったはずの石貨がケニメド老人宅の庭に残り、老人の石貨も隣村の誰それさんの庭にあるらしい。どちらも大きくて高価な石貨だという。そこでケニメド老人に尋ねた。

「変かい? 誰かを手伝えばまた自分のものになるんだし、動かすことはない。誰のものかが分かっていれば、それでいいんだ」
 それに、いくつもの石貨が庭や沿道に無造作に置かれていた。
「盗まれる心配だって? はッ、はッ、は」
 老人は豪快に笑い飛ばした。なるほど、善意や信頼を盗む者はいない。

 豊かさに向かって進んでいるのか・・・ 
「ドルが入って、ヤップの人間は皆、貧乏になったんだ」
 筆者が宿泊したホテルの経営者、タマグ老人が話してくれた。働きながらホノルルの大学に学び、ヤップに戻ってホテルやスーパーを経営する。ヤップ有数の高額納税者だった。
「好きな時に働いて、好きな時に遊んで、それで何にも不自由しない。それがミリオネアー(百万長者)の条件なら、魚や果物の豊富なヤップは皆がミリオネアーだ。ところがドルが入るようになると冷蔵庫が欲しい、車が欲しいと、皆がドルを欲しがるようになり、たちまち貧乏人ばかりの島になった。石貨とドルの違い? 石貨は力を貸した証文で、ドルとは違う」
 
 主食のタロイモ(サトイモ科の根菜)なら島でいくらでも採れるし、周囲は新鮮な魚だらけ。アルコールを手に入れるにはドルが必要だが、ビンロウジの実を噛めば酔った気分になれる。少し前まで男も女も上半身裸でコト足りた--。
 石貨が善意と相互扶助の対価なら、円やドルは労働やサービスの対価。根は一緒だが、一方は人をミリオネアー気分で満たし、他方はさらなる消費欲をかきたてる。そしていま、キャッシュレスのリブラ時代へ。人類は豊かさに向かって進んでいるのだろうか。