斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(13) 【フィジカルディスタンス】

2020年05月24日 | 言葉
 コロナ禍のもと、いくつかのカタカナ言葉が登場した<断想片々(10)参照>が、ここへ来てまた一つ「フィジカルディスタンス」の語を耳にするようになった。「ソーシャルディスタンス」の言い替え用語としてWHOも推奨しているらしい。確かにソーシャルディスタンスでは「社会と距離を置く」、つまり「孤立する」の意味に誤解されかねないから、人同士の心のつながりが必要なこの時期には、ふさわしくないだろう。言い替え語の「フィジカル」には「物理的な」や「身体的な」の意味があり、こちらの方が誤解の余地は少ないかもしれない。

 なお違和感
 22日夕方のNHKニュースを見ていたら、アナウンサーが早速この語を「身体的距離」と日本語に訳して使っていた。カタカナ言葉のまま使わない点には「さすが!」と思ったが、どうも、しっくり来ない。まず「身体的」の語感が、広くキャンペーンするには硬過ぎる。次に、人と人との問題であることは自明なのだから、わざわざ「身体的」と断る必要もない。「身体的距離」に対する違和感の理由は、忠実過ぎる直訳に因(よ)る。

 「間隔をとる」で十分
 日本語は類似した物事や事象を幾通りにも言い分ける言語だ。一方、英語はシンプルな言語であり、あえて言えば大雑把な言語である。つまり適切な表現は日本語の得意とするところ。この点「間隔」は「間(あいだ)を隔(へだ)てる」だから、実にコロナ禍対策のためにあるような、誤解の余地のない語だ。距離の「距」も「隔てる」の意だから「距離を置く」でも良い。
 「2メートルの身体的距離」と「2メートルの間隔」とでは、良し悪しは一目瞭然である。耳慣れないカタカナ言葉には人を振り向かせる力があるが、何度か振り向かなければ理解に至らない、というのでは困る。重要な事柄の周知徹底には、やさしく正確な日本語がいちばんである。

断想片々(12) 【「新型コロナウイルス感染者数」と陽性率】

2020年05月05日 | 言葉
 毎日発表される「新型コロナ感染者」の数字。政府専門家会議の当初予測より、減少テンポが緩慢らしい。専門家たちは、もっと急角度で感染者数が減少するものと予測していたとか。そもそも、それほど信頼の置ける数字だったのか。

 分母なき分数
 発表される数字に不完全さを覚える理由は、分母無き分数であること。つまり「何人検査して(分母)、何人が陽性(分子)だったか」で考えると、「何人検査して」の部分が無い。同じ10人の陽性者数でも、検査した人が100人だったか、20人かで、陽性率に5倍の違いが出る。陽性率は重要な指標だ。検査人数なら即座に出る数字のはずだが、なぜ発表しないのか、なぜメディアは発表を求めないのか。理解に苦しむ。

 感染者数のみでも意味があるのは、検査希望者が容易に検査出来る場合である。ドライブスルー検査で容易かつ短時間で検査出来た韓国でなら、数字は客観的な感染状況を反映するだろう。しかし日本のように検査に厳しい制限がある国では、「制限」の手加減次第で、ある程度は感染者数(分子)を変えられる。にもかかわらず100人を検査して11人の陽性者を数えた昨日より、20人の検査で9人の陽性者だった今日の方が、事態は好転しているように見えてしまう。

 数値による「見える化」を歓迎
 厳しい検査制限の背後にそれなりの理由があるとしても、自宅待機のまま検査さえ受けられずに死んでいった感染者の無念は、いかばかりだろうか。大多数の日本人と同様、日本は医療先進国だと信じていたに違いない。大阪府の吉村洋文知事は4日夜のANN系テレビ報道番組に出演し、府独自の緊急事態緩和策として、数値を示したうえでの「見える化」を提案し、日ごと公表する3つの数値に「陽性率」も含めた。歓迎したい。国民の信頼は、情報を隠すことでなく、すべてを明らかにすることから生じる。

69 【コロナ禍、沈黙の春、球春&砂川闘争】

2020年05月02日 | 言葉
 鳥は啼(な)かない
 新型コロナウイルス禍のせいばかりではないのだろうが、今年の春は何かヘンだ。筆者の家は東京の西郊外、東京都の地図を広げると真ん中あたりに位置するが、毎年今頃になると、さらに西の奥多摩の山から下りて来たウグイスが、神社の杜(もり)や農家の屋敷林の、芽吹いたばかりの木々の間で啼き始める。最初は「ホー、ホケキョ」でなく「ホッ、ホッ、キョ」や「ホキョ、ホキョ」などと覚束ないが、数日経つと「ホー、ホケキョ」と立派に(?)啼くようになる。変化のほどを聴き分けることが、毎春のちょっとした楽しみなのだが、今年はまだあの声を耳にしていない。
 やはり暖かくなると群れでやって来るオナガも、1月末に1度姿を見せたきり。その時は「今年は早いナ。暖冬の影響かナ」とも思ったが、今は20度を超える陽気の日もあるというのに、さっぱり見かけない。ウグイスとは反対に「ギューイ、ギィー、ゲー」と悪声で啼くが、汚らしい声さえもが今は懐かしい。

 大人たちで騒がしい児童公園
 筆者宅の西隣に田んぼ1枚(千平方メートル)ほどの広さの児童公園がある。ふだんは静かだが、緊急事態宣言により外出自粛要請が出て以後、かえって騒がしくなった。子供たちが家で勉強している午前中は数人を見かける程度でも、正午過ぎには一変する。テレワークや自宅待機の大人たちも繰り出して、さして広くもない公園内がたちまち”三密”状態と化してしまう。
 見ていると概して大人は遊び方が下手だ。こうした場所で遊び慣れていないのか、他者への配慮が出来ない。たとえば大人同士でキャッチボールをする。ボールが飛んで来れば怖いから、子供たちは遠巻きにして近づかない。大人2人の気晴らしが、大勢の子供たちから遊びのスペースを奪っていることに気づかない。いや、知らぬふり、かもしれない。サッカーボールを蹴り合う親子連れもいる。
 たぶん、クタクタになるまで働くことに慣れた大人たちには、家でじっと待機し続ける方がストレスになるのだろう。午後の一ときくらいは体を動かしたい--。気持ちは分かるが、子供の領域に足を踏み入れるなら、子供に迷惑にならぬように願いたい。

 沈黙の春
 今年の晴れた空は、例年より青いような気がする。コロナ禍による営業自粛、外出自粛のせいで二酸化炭素の排出が少なくなったためとも思えるが、どうだろうか。筆者宅の上空は埼玉と神奈川両県の自衛隊基地を結ぶ航空ルートになっていて、ふだんなら1日に1度は大型ヘリコプターが編隊を組んで行き来する。爆音すさまじく”空の暴走族”を思わせるが、ここ最近は見ていない。ジャンボ機の機影や飛行機雲も見なくなった。航空各社が航空便を大幅削減しているためだろう。実はジャンボ機は大変な量の二酸化炭素を吐き出し、大気汚染の隠れた主役である。世界を網の目のように覆う航路の便が7割8割と減っているのだから、空の色が例年より青いのは当然かもしれない。

 小鳥も公園も飛行機も、今年の春は異様だ。筆者の連想回路には「沈黙の春」というコトバが、しきりに浮かぶ。地球規模で進む化学薬品汚染を告発した、アメリカ人生物学者レイチェル・カーソン女史の著書名(新潮文庫に収録)である。
<鳥がまた帰ってくると、ああ春がきたな、と思う。でも、朝早く起きても、鳥の鳴き声がしない。それでいて、春だけがやってくる--。合衆国では、こんなことが珍しくなくなってきた。(中略)急に鳴き声が消え、目をたのしませた色とりどりの鳥も姿を消した。突然、知らぬ間に、そうなってしまった>(『沈黙の春』「八、そして、鳥は鳴かず」より。青樹簗一訳)

 球春
 スポーツ観戦のファンにとって、とりわけ静寂を実感させる理由は、各種のスポーツ中継が無いことだろう。プロ野球しかり、選抜高校野球しかり、プロゴルフしかり、やっても無観客の大相撲しかり‥‥。会場からファンの声援が消え、熱気を欠いた無観客試合では、陳腐な例えながら気の抜けたビール、ナマはナマでも生温かなビールだ。スポーツの盛り上がりは、ファンの声援によって演出される。
 プロ野球のキャンプ地でオープン戦が始まる頃、野球好きの筆者などは、やっと春が来たナ、と思う。バットが見事速球をとらえた時の「カーン」という快音には、長かった冬を打ち破る、独特の季節感がある。しかし今年は、それも聞こえて来ない。去年、1昨年と楽しみにしていたアメリカ大リーグ中継。大谷翔平は今頃どうしているのか。新聞の見出しに必ず登場していた「球春到来」のコトバも今年は見ない。

 &砂川闘争
「ウチの人事部長が『球春』というコトバを造語して、最初に新聞記事で使ったンだよ」
 新聞社に入社して新人研修を受けていた時、人事部員の一人から、そんな話を聞いたことがある。人事部長のUさんは社会部出身だから、社会面のいわゆる「絵解き記事」だったのかもしれない。当時そのことに関心も無く、Uさんに確かめる機会も無かったから、真実かどうかは分からない。勘違いかもしれない。人事部長になる前は組合委員長として活躍し、伝説になるほど心酔者が多かったようだ。その後は報知新聞社の社長も務められた。

 静まり返ったまま得るところなく終わりそうな今年の春だが、そのUさんに出会えた。とはいえUさんは、すでに鬼籍に入られている。会ったというのは、Uさんが共著者のルポ『砂川町合戦録』(1957年、現代社刊)を読む機会に恵まれたことだ。
 砂川闘争は1955年から1960代まで米軍立川基地の砂川町域(現在は立川市)で繰り広げられた、基地拡張反対の住民運動である。現場は筆者の家にも近い。Uさんは、のちに朝日新聞の副社長に就くIさん、共同通信のNさんとの社会部記者3人で、反対運動の渦中に突然立つことになった素朴な農民たちの悲喜こもごもを、深刻かつユーモラスに書き描いた。硬いテーマながら筆致は軟らか。異なる新聞社の記者3人の共作というのも珍しい。思わぬ人の若き日の、記者としての熱気が読み取れたことは、沈黙の春にあっても大きな収穫だった。