斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

30 【唐揚げ、竜田揚げ、琥珀揚げ】

2017年08月14日 | 言葉

 懐かしの「こはくあげ」
 戦時の乏しい食糧事情から回復し切っていなかった昭和30年代、小学校の学校給食の代表選手と言えば脱脂粉乳のミルクとコッペパンだった。外食のラーメンが1杯30円で、街のパン屋さんではコッペパン1個が10円。コッペパンも学校給食の食材としてはそれなりに贅沢だったのかもしれない。他の給食メニューにはどんなものがあったかと問われても思い出せないが、唯一即座に名前が出るのが「くじらのこはくあげ」である。鯨肉の琥珀(こはく)揚げ。その日の給食メニューに「くじらのこはくあげ」の9文字を見つけると、どの子も跳び上がって喜んだ。今も団塊世代の間で昔の学校給食が話題に上ると、皆が必ず懐かしそうに話し始めるメニューでもある。
 商業捕鯨が盛んな1970年代までは学校給食で出されていたから、知る人は多いだろう。要は鯨肉の唐揚げ。筆者の通った小学校では「くじらのこはくあげ」の名称だったが、地域によっては「クジラ肉の唐揚げ」や「クジラ肉の竜田揚げ」と呼ばれていたかもしれない。牛や豚、鶏肉といった肉類が不足していた時代、安価なクジラ肉が代用品になった。
 捕鯨先進国だったかつての英国では主に灯火用の鯨油採取が目的で、鯨油にならない部位は捨てられていた。畜産の盛んなヨーロッパとあって、鯨肉は見向きもされなかった。対照的に日本では現在でさえ鯨肉の需要があり、調査捕鯨により入手する鯨肉は、すっかり超高級食材になってしまった。

 うまかった鯨肉
 牛豚鶏肉が滅多に食卓に上らなかった時代でも、成長盛りの小学生は肉食を求めていた。「くじらのこはくあげ」の9文字に跳び上がった理由だ。正直なところ今になって思い返すと、クジラ肉は赤身ばかりでひどく硬かったし、繊維質も多かった。けれど噛み切りにくい繊維質をぐちゃぐちゃと、まるでガムを噛むように口に含んでいるのは楽しかった。噛み続けるうちにジワリと滲み出してくる肉汁は、まさに哺乳動物肉特有のもの。クジラが魚類でないことを子供たちは口の中で知ったと言えば大げさか。うまい牛豚鶏肉が豊富に出回る70年代に入ると、給食のクジラ肉に「まずい」の感想を持つ小学生は増えたかもしれない。
 鯨肉と言えば、かつて大洋漁業(のちに「マルハ」に社名変更、現在の「マルハニチロ」)が製造販売していた「マルハソーセージ」も落とせない。鯨肉を加工処理しているため「くじらのこはくあげ」のような硬い食感はなく、とてもうまかった。いつの間にか同形のソーセージは魚肉ソーセージに変わってしまったが、フカフカとしてまるで蒲鉾のような魚肉ソーセージを初めて口にした時は、子供なりにひどくがっかりしたものだ。

 「琥珀揚げ」の語源
 それにしても「琥珀(こはく)揚げ」とは、食材不足時代の学校給食には、もったいないほど良い料理名である。一流料亭でも立派に通りそうだ。それもそのはずで食の大家である北大路魯山人が「この名前は、昭和十年頃、私が勝手に付けたものだ(中略)色の美しさがそれ(琥珀)に似たところがあるので名付けた」(中公文庫『魯山人味道』)と明かしている。魯山人が推奨する「琥珀揚げ」はイサキやエビ、鯛、サワラ、スズキのような淡白な味の魚を、本葛粉か片栗粉の衣につけ、刺激臭の薄れた「古い枯れた胡麻油」で揚げたもの。葛汁にレモンで酸味を加え、これに少しだけ浸けて食べると説明している。天ぷらなら小麦粉の衣、それを本葛粉か片栗粉に変えたところがポイントだろうか。食し方への細かな、しかし強い拘(こだわ)りが、粋人の粋人たる由縁であり、真骨頂なのである。
 日本の食文化は長くクジラを魚類に含めてきた。まだ昭和も30年代、鯨肉を片栗粉につけて揚げた給食メニューに「鯨の琥珀揚げ」の名がついた理由でもあるのだろう。

 唐揚げと竜田揚げ
 さて唐揚げと竜田揚げの違いは何か言えば、諸説紛々で定説がない。唐揚げは正しくは「空揚げ」または「素揚げ」で、下味なしで小麦粉や片栗粉をまぶして油で揚げたもの、とする説がある。中国渡来なので「唐揚げ」だとする説も。「カラリと揚げるのでカラ揚げ」と信じている若い人は多いようで、語感上うなづけるものがある。これに対して「竜田揚げ」は醤油や酒、みりんで下味をつけ、やはり片栗粉などで揚げる、とする説が主流か。下味の手間や有無がポイントのように聞こえるが、いまどき下味なしで揚げる人もいないだろうから、現代では「竜田揚げ」のみ、ということになりそうだ。
 よく知られているように竜田(立田)揚げの語源は、在原業平の<ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず龍田川(立田川) 唐紅(からくれない)に水くくるとは>にある。「ちはやぶる」は「神代」にかかる枕詞。「くくる(括る)」は絹を糸で絞る染色技法を指す。白波立つ清流龍田川を唐紅色に染めて紅葉が流れ下る、という情景を詠んだ『古今集』の古歌。衣の白っぽい部分が白波、醤油で下味をつけた赤身の鶏肉が紅葉を連想させる、というわけ。実に粋なネーミングだ。「竜田揚げ」の始まりを、戦時の軽巡洋艦「龍田」乗組員に出された料理メニューの「龍田揚げ」とする説もある。本当かもしれないが、艦名自体が在原業平の古歌から採られた経緯があるので、語源は同一の古歌ということになる。

 「唐揚げ」も「唐紅」から?
 そう考えてくると「唐揚げ」の語源に「唐紅(からくれない)」があっても不思議ではない。「唐揚げ」の語源も在原業平の古歌から、という説だ。こんがり揚げた鶏肉の赤身は、食欲をそそる唐紅色である。「琥珀揚げ」ならキツネ色、「竜田揚げ」であれば白と赤と黄、「唐紅」は赤だから、どれも色彩がキーワードになる。彩りは料理に欠かせない条件だし、素揚げを意味する「空揚げ」や、「中国渡来=唐渡来」の「唐揚げ」より説得力があるように思えるが、どうだろうか。出来るなら在原業平サンの意見も聞いてみたい。自分の歌が昭和や平成の世に料理名の語源なっていることなど知るはずもないから、たぶん「神代も聞かず」と言って答えてくれないだろうが……。

29 【ヘイトクライム、プアホワイト】

2017年08月08日 | 言葉
 1年前の惨劇
 19人が殺害され、26人が重軽傷を負った神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」の事件から、7月26日でまる1年。残忍な犯行内容とともに犯人の知的障害者への強い差別意識が世の人々を震撼させた。施設の元職員だった犯人の青年は「障害者は周囲に不幸しかもたらさない」「意思疎通のとれない障害者は、生きていても仕方がない」「障害者施設の維持には、ばく大な税金がかかる」と供述し、犯行を正当化しようとした。
 心が痛むのは、むしろ障害者の家族や関係者の側に、これらの暴言に動揺する気配が見られたことだ。「不幸しかもたらさない」と言われて傷つくのは、障害者を家族として育てて来たみずからの労苦を思うからだろう。「ばく大な税金」うんぬんも、世間への遠慮があって気になるのかもしれない。しかし国民の圧倒的多数は、障害者は社会全体で支えるものと考えており、税金のことなど露ほども気にかけていない。45人と家族を不幸と悲しみの底へ突き落としながら、自分が「もたらした」不幸の方は見えない者の妄言など、気に留めるのもおかしなことだ。

 NHKの報道特別番組と「ヘイトクライム」
 NHKは夜の報道特別番組『クローズアップ現代』で、7月25、26日の2日間にわたり、1年前の事件の特集を組んだ。25日は犯人の手紙と遺族の声とで事件の真実に迫り、26日はヘイトクライム(=hate crime、憎悪犯罪)の観点から事件の本質解明を試みた。日本では耳慣れない「ヘイトクライム」とは、近年アメリカで多発する差別意識に基づいた犯罪のこと。人種や宗教、また性的マイノリティなど特定グループを攻撃する犯罪で、アメリカではグループに対する銃乱射事件も頻発している。番組では米カリフォルニア州立大学のブライアン・レビン教授が①相模原の事件はアメリカで起きているヘイトクライムと似通った面がある②障害者への差別意識が拡散し、固定化した時が危機である――と指摘した。まだ日本は②の段階、つまり「障害者への差別意識が拡散し、固定化した」段階にまで至っていないが、萌芽らしきものが見えると思えば背筋は寒くなる。

 「プアホワイト」
 ヘイトクライムの語で連想するのがプアホワイト(=poor white、白人低所得者)だ。ホワイトトラッシュ(=white trash、trashは廃物・くずの意味)と呼ばれることもある。それ自体が差別用語なので識者は使いたがらない。1970年代、人種差別が盛んなアメリカで聞かれ、今また失業率の高い先進ヨーロッパ諸国やアパルトヘイト政策廃止後の南アフリカ共和国でしばしば耳にする。国ごとの事情により使われ方は異なるが、単に白人貧困層の問題というのではなく人種差別に絡んで用いられることが多い。たとえばアメリカの黒人差別では「差別に熱心なのは白人の富裕層でなく、むしろプアホワイト層だ」と指摘される。
 プアホワイトと黒人とは低賃金の職種を奪い合う関係になりがちで、ためにプアホワイト層は黒人への憎悪と差別意識が強くなると説明されてきた。しかしアメリカにおける黒人差別の背景がプアホワイト層ばかりにあるのかと言えば、決してそんなことはない。白人富裕層の黒人への差別意識の実態について本当のところは分からないが、このコトバからは黒人差別の責任をプアホワイトに押し付けている印象が感じ取れなくもない。
 ただ、こういうことは言える。人間とは「自分より恵まれない人たち、下層の人たちもいる。上を見ればキリがないが、下を見てもキリがない」と思いたがる生き物である、ということだ。「自分たちより劣る存在として黒人や有色人種がいる」と考えれば、プアホワイトたちは「下を見てもキリがない」と、みずからを慰めることが出来る。「プア」である劣等感から救い出してくれるのが「自分より恵まれない人たち」の存在だから、差別意識は心の支えになる。人種差別にはさまざまな要因があるだろうが、こうした感情が1つのファクターになっていることは確かかもしれない。
 もちろん人類の差別の歴史を考えると「ヘイトクライム」の矛先は弱者ばかりに向けられてきたのではない。ナチスドイツが抹殺を試みたユダヤ人たちは、頭脳的にも財力的にも勝り、ドイツ社会ではその優秀さゆえに嫉妬のマトになっていた。「自分より恵まれた人たち」という理由で、差別と「ヘイトクライム」の犠牲になったわけだ。

 犯人の心の闇と、わが心の闇
 事件の衝撃が大きかったためもあり、犯人の周辺に関して様々な事実が明らかになっている。教師の家庭に生まれ育ち、頭の良い優しい子供だったという。成長するに従い性格がエキセントリックになり、大学の教育学部在学中には入れ墨まで彫った。教師を目指したが叶わず、事件を起こした障害者施設に職を得る。初めは張り切って働くが、3年あまりで退職。退職前には同僚たちに「障害者は皆殺しにすべきです」と発言していた。施設を自主退職したのが昨年2月、同時に精神科医院へ措置入院する。翌月には退院し、昨年7月26日未明に事件を起こした。青年の心の闇は、このような経歴のどの時点で生まれたのか。
 挫折は誰もが経験する。挫折をバネに人は、より強く優しくなるのだろう。思い描いた人生を思い描いたように歩める人は少ない。大半の施設職員は「下を見ればキリがない」と思っても差別意識には向かわず、「ハンデのある入所者のために自分が役立とう」と、仕事のやりがいに結び付けている。ベクトルが差別へと向かうか否かは人それぞれだ。
 それでもなお「プアホワイト」なるコトバが提示している問題は、心のどこかに留めておくべきかもしれない。繰り返すが、人の心から嫉妬心がなくならない限り「上を見ればキリがないが、下を見てもキリがない」は、わだかまる気持ちの慰めになるからだ。「自分より下」の存在を探し求めることは、差別意識の萌芽そのものである。差別の根は身近にある。