特定非営利活動法人 被災者応援 愛知ボランティアセンター 公式ブログ

2011年3月17日設立。孤児遺児応援活動、被災地ボランティア活動等、現在進行形で被災者応援活動を行っています。

愛知ボラセンの活動予定⇩(更新日:2024.5.3)

令和6年能登地震 被災者応援ボランティアバス
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NPO法人被災者応援愛知ボランティアセンターは、観光庁からの「観観産第174号(平成29年7月28日)災害時のボランティアツアー実施に係る旅行業法上の取扱いについて(通知)」に基づき、被災地ボランティア活動を実施いたします。

災害時のボランティアツアー実施に係る通知の適用対象となる地域について


■今後のボランティアバス活動予定
第10回 5月25日(土) ≫ 26日(日)
※現地との兼ね合い、また定員数に満たない場合などで変更になることもあります。

第3回能登島野崎町ボランティア活動報告

2024年02月19日 21時03分00秒 | 【令和6年(2024年)能登半島地震】ボランティア

代表の久田です。

第3回能登島野崎町ボランティアを2月17日(土)~18日(日)に行いました。

参加したのは、14歳の中学生~76歳の看護師さんまでの42人とスタッフ2人の合計44人。
そのうち3人は、第2回にも参加されています。
今回も学生・生徒の参加が多く、中学生7人、高校生11人、大学生5人と半数以上でした。
メキシコの国立大学の先生もいらっしゃって、メキシコから参加申込をして、帰国後すぐにボランティアバスに乗られました。

これまでに10軒のお宅・お寺からの軽重いろいろな要望に応えてきました。
野崎町の世帯数は120軒。すべてのお宅でボランティアが必要ではありません。
私の推測では40~50軒くらい、最大でも半数くらいかと思います。
第3回では、8軒の要望に応えられましたので、これで合計18軒。
半数程度が希望されるとして、約30%の達成率と考えられます。

第3回の活動は以下の通りです。
⑪MUさん:家屋片づけ、蔵片づけ(輪島塗漆器などの取り出し)。前週にピアノ2台を取り出しています。
⑫NIさん:家屋片づけ、分別して、整理した倉庫へ。
⑬IWさん:家屋片づけ、分別して外へ。
⑭AKさん:倉庫片づけ、仏壇取り出し、米用巨大冷蔵庫取り出し。
⑮NRさん:タンス直し、納屋へ家具の運び出し。
⑯HDさん:半壊した蔵から米袋(20㎏)約10袋取り出し。
⑰OYさん:家財を100mほど離れた別の家へ移動。
⑱HYさん:布団など家財の片づけ。

⑫NIさん
before after
NIさん宅では、建物の崩壊は免れたものの、窓ガラスなどは割れ、土壁がはがれ、タンスが倒れるなど様々なものが散乱している状況でした。また、家自体の傾きも見られ、扉の建付けが全体的に悪くなってしまっていて、家の中のほとんどの引き戸は使用不能状態でした。NIさんより、お宅の中での長靴での作業を許可していただいたので、足元は安全に作業をすることができました。

まず、安全確保のために落ちているガラスなどの危ないものの回収を行いました。ガラスや土壁は土嚢袋に入れました。使用不能な扉や、家具などもNIさんに確認し、処分するものは納屋に移動し仮置きをしました。

家具の中にも大切にされているものもあることから、丁重に扱うことを心掛け、NIさんの意思を確認することを心掛けました。1時間ごとの休憩もはさみながら、班長さんの的確なリードのもと、午前中には7割程作業が完了しました。

午後からはNIさん宅の清掃を行いました。アルバムや卒業証書、各種賞状など大切なものもありましたので、アルバムや本などの表紙は水拭きし、きれいな状態で本棚に戻しました。また、もともと寝室のあった場所は扉が壊れ、崩壊の危険もあったため、ベッドを動かして配置換えもNIさんの要望の通りに行いました。寒い地域のため、寝具が大変多くあり(贈り物も寝具が多いそうです)寝具関連の収納に一部屋を要しました。

大変大きなお宅で納屋もあったため、処分するものはすべて納屋に運び込みました。途中で、納屋の柱の補強を地元の方々が声を掛け合いながら作業され、町内の結びつきの強さを改めて実感しました。地震のあった際、野崎町では幸いにも死者が一人も出ていません。これはの結びつきの強さで、生き埋めになった10数人の方々を救出されたと聞いてはいましたが、改めて体感しました。(3班副班長:TKさんの報告から)

⑬IWさん
1階がつぶれているIWさん宅。地震発生時には別棟にいらっしゃったためご夫婦とも無事でした。
IWさん宅は、左側二階が落ち、一階がつぶれていました。地上から屋根を登り二階部分へ。足元にガラスが散乱している中、ご要望の玄関裏の台所にある冷蔵庫を搬出(まだ使える物)しました。数名が二階部分のタンスの清掃、着物等大切な衣類を搬出しました。
IWさんからのご要望が複雑でしたが、皆がそれぞれできることを行い、無事に作業が終了できました。ここで光ったのは女性がお皿の仕分け等、IWさんに寄り添い一つ一つの食器を大切に、丁寧に仕分けをされたことでした。IWさん宅の台所はお正月のまま。1か月半、時間がとまったままでした。

⑭AKさん
 悪臭のする倉庫から取り出した大型冷蔵庫
AKさんのお宅はなんと築260年。一間仏間(約200×150×80)の大きな仏壇を取り出し、向いにある元民宿の奥の仮置き場まで約100mほど移動させました。さらに3つある倉庫のうち2つの倉庫内の家具等を全て仕分けし。倒壊の可能性がある金属製のラックや、漬け過ぎた漬物等の非常に様々な物を丁寧に分別しました。そして最後に3つめの倉庫にある業務用巨大冷蔵庫を取り出し。肥料や冷蔵庫内の腐った食品による悪臭の中、搬出完了。さらに奥に冷凍庫もありましたが、仮置き場のスペース等を勘案して次回のボランティアに任せることとしました。


⑮NRさん
NRさんご夫婦でかなり片付けをされていました。いわゆる普通のお宅にお邪魔するような形で、長靴を玄関で脱いで上がりました。二階のタンスのズレの修正、一部の家具を納屋にいれる作業をしました。

⑯HNさん
 かなりずれてしまった倉庫
この倉庫の中からお米20㎏の入った袋を10袋ほど取り出しました。HNさんはなんとか取り出したいと思っていらっしゃいましたが、今回のボランティアで取り出すことができました。

⑰OYさん
before  after
OYさん宅では家財を運び出しました。家から運び出すチームと、その家財を一時的に借りられた100mほど離れた家にリヤカーで搬入するチームに分かれて活動しました。ご主人の趣味のカメラや機材、アルバムなど、人となりを垣間見ることができました。またご夫婦がいつも側にいて下さって、家財をどう仕分けるかの的確な指示を頂き、事前にかなり片付けれていたこともあって、片づけはスムーズに終了。ヒビ割れたモルタル壁、ガラスの破片も皆で協力し短時間で土嚢袋に詰込み、こちらも終了。休憩時間にご馳走になったドリンクやお菓子、近隣にはスーパーなどないのに用意下さった心遣いのおもてなしが嬉しく、お菓子を頂きながら、OYさんご夫婦からお話を伺うこともできたのは、すてきな時間でした。
(2班班長:HSさんの感想を少し補足しました)

⑱HYさん
足元の散乱したガラスを片付け、台所の清掃、食器の清掃、家具などの搬出をしました。また二階部分からは終わりの見えないような布団、衣類等の搬出しました。HYさんのご厚意でペットボトルのお茶をいただきました。ありがとうございました。班としては二軒目の活動ということもあり、皆が作業に慣れてきて、お互いに声掛け合い、よりチームとしてボランティアができました。

◆「メキシコ鶴」の寄せ書き

ボランティアのSNさんはメキシコの国立大学の先生です。これまでにも石巻市十八成浜でのボランティアに参加されています。ボランティア出発直前に帰国され、地球半周する長旅の疲れもなんのその、野崎町ボランティアに参加されました。
メキシコ(人口約1.2億人)では新型コロナの犠牲者は約30万人(日本約7.5万人)。SNさんの友人が感染され、会いたいと連絡がありました。SNさんは感染を恐れて会いにいくのを躊躇しました。しかし、その翌日に友人は亡くなってしまいました。自責の念にかられたSNさんは「自殺」的な何かをしなければと、千羽鶴を15本以上作り、病院などに届けました。折り鶴文化のないメキシコでは、初めて見る愛らしい千羽鶴にコロナで疲弊している医療関係者はとても癒されました。SNさんには折り方を教えてほしいという多くの依頼がありました。そしてクラフト紙のようなもので芯を入れた大型の鶴も折られました。メキシコではカラフルな色に塗られ、それを展示している病院もあるそうです。
今回はボランティアの皆さんに、野崎町の皆さんへの寄せ書きを書いていただき、野崎コミセンに展示しました。

◆参加者の感想
活動を通じて、野崎町のみなさんは温かく、優しいということを実感しました。しかし、2軒目のお宅でお話を伺った際に、「日常はめちゃくちゃですよ」と投げやりにおっしゃってる姿を見て、物理的な被害の大きさだけではなく、心への傷の大きさも実感しました。最初に活動をしたNIさんは、次から次へと出てくる思い出の品に、想いを巡らせつつ思い出話に花を咲かせていました。NIさん宅には海難事故の際の感謝状やクレーンの技術力認定証など、様々な活動で活躍されていた一面も垣間見え、改めて”人生”に触れることができた時間だったと実感しています。現地の様子を直接見ることによって、ニュースで見た様子とはまた違う、生でしか感じ取れないような、言葉に表すことも難しいような感情になりました。そこには”人生”があり、”平穏な日常”があったということ。野崎町では幸い人命が失われることはありませんでしたが、平穏な日常は奪われ断水も続く中、生活を続けられています。自分たちが少しでも力になれて、何よりも精神的な支えになれたらと感じました。離れた所に住んでいても、”応援”という支援はいつでもできると思います。これから先も、多くに人に現在の状況が届き、多くの方の”応援”が現地に届くよう、微力ながら何かできればと感じています。

本日はありがとうございました。今回初めてのボランティア活動で、行きのバスから見た町の状況に、テレビの画面越しから観るものとはやはり訳が違い、愕然とし不安が多くつのりました。しかし、親身に接してくださる地元の方々や、ボランティアの方々に支えられながら、無事活動を終えることができました。名古屋に住んでいる身としては信じがたいほど深いコミュニティが野崎町で形成されてることに驚き、感心しました。また作業終わりに町の方が見せに連れて行ってくださった、野崎港から眺める北アルプスの絶景は決して忘れません。まだ高校1年生の僕なんかを復興支援のボランティアとして参加させ、貴重な体験をさせていただけたことに感謝します。今回の体験を様々な形で伝えていきたいなと思いました。行ける機会があれば、是非参加したいのでその時はよろしくお願いします。

皆さん、本日はありがとうございました。私自身、災害ボランティアは初めてでしたが、人が力を合わせると、これだけのことが出来るんだと目の当たりにし、改めてボランティア活動の大切さを実感しました。また、地域の方々はご自宅が大変な状況にも関わらず、我々にも明るく優しく接して頂き、改めて人の強さや、温かさを感じることが出来ました。中高生の皆さんが多数参加していることにも、とても感心しました。その若さで災害ボランティアに参加したこと、そして、こんな経験が出来たことは本当に素晴らしいことだと思います。次の機会には、中学生の息子を誘って一緒に参加したいと思います。

今回皆さんにご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。もともと酔いには弱いタイプで酔い止めも飲んだのですが、このような形になってしまったことを、深くお詫び申し上げます。それでも午後からは休憩しつつですが、作業ができるようになるまで回復し、みなさんとの関係を深くするために積極的に会話しようと努力しました。地域の方たちからも回復してよかったねー!と声をかけられるときもありました。
当然地域の方たちだけではなく、班長さん、3班のみなさん、そして久田先生、スタッフの田中さんなどが心配の声をかけてくれました。本当に感謝しています。みなさん本当にありがとうございました。
本題に戻ります。本日は初めてのボランティア活動でしたが、3班のみなさんが優しく接してくれたことによって、早く馴染めました。作業も思ったより楽しくて、充実した3時間ほど(先ほども言ったように午後参加なので3時間ほど)でした。見送りの時も地域の皆様がわざわざ出向いてくださったこと、本当に感謝しています。今回の経験を活かして、次に静岡、名古屋、三重、和歌山などを襲うと言われている、南海トラフ地震に備えていくために、能登半島地震の被害状況、そしてあなたが住んでる家の耐震性は大丈夫なですか?、あなたの住んでる家に防災グッズはありますか?などを、僕が住んでる地域のみなさんだけではなく、全国に発信していきたいなと思っています。今回はこのような機会を作っていただき本当にありがとうございました。これからも災害ボランティアに参加しようと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

本日はありがとうございました。久しぶりの災害ボランティアでしたが、初対面の方々と協力し、一緒に汗をかき、大変いい時間を過ごすことができました。中・高生も多く、積極的に仕事を取りに行く姿を見て、おじさん、純粋に感心致しました。久しぶりに大量の汗をかき、体は疲れておりますが、精神的な満足感、充実した休日を過ごさせていただきました。少しでも被災された皆さまのお役に立てたなら嬉しいです。是非、スケジュールを合わせ、また参加させていただきたいと思います。

被災地への支援の大切さ、地震の怖さや地震対策の重要さ、簡易トイレの使用のような、地震が起きた時に自分たちの生活がどうなるのかのように学んだことがたくさんあった。とても有意義な時間になった。現地の人のありがとうの言葉、最後のバスのお見送りにとても感動した。今回の経験を学校でも話し、ボランティア活動や募金活動のような被災地支援の大切さ、地震の怖さを伝えたい。


◆久田から
参加された皆さんは、ボランティア活動を通じて(わずか6時間であっても)、それぞれにいろいろなことを学び、考えていらっしゃいます。
中高生は大人に触発され、大人も中高生から触発を受けています。

ボランティア活動を一方的に被災者のための「労力」を提供をと思って参加される方が多いと思います。

活動を通じて、10人前後のメンバーがワンチームになり、予想外の活動をしていきます。
そして、ボランティアさんは野崎町の皆さんの人生を感じ、平穏な生活の大切さを学び、人間関係の大切さを学んでいます。
野崎の皆さんに見送られ、自分たちのわずか7時間の活動であっても、人から感謝されることの喜びを感じます。
こうしたことは日常生活ではおそらく体験できないことです。
そして、こうした経験を通じて、自己肯定感を少しずつ育むことができるようになっていきます。

ボランティアは被災者への「労力」の提供である「利他」だけではありません。
この感想にあるように、ボランティアの皆さんは人間的な成長のために大切なことを学んでいます。
ボランティアをする私たちにも「利」はあります。
そのことを、私は「共利」と考えています。
私が勤める東海高校は浄土宗の学校です。浄土宗には「共生(ともいき)」という考えがあります。
私は災害ボランティアを通じて、ボランティアと被災者の「共利共生」をめざしていきたいと考えています。

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この活動は【赤い羽根「災害ボランティア・NPO活動サポート募金」(ボラサポ)の助成を受け活動しております。】
募金へ寄付してくださった皆様ありがとうございます。

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