つれづれ日記 

ひごろのあれこれ。

アップルⅡのキットを作っていた時代に 乾杯

2011年10月14日 00時07分54秒 | 日記
http://ha6.seikyou.ne.jp/home/Naoya.Takeda/APL2.htm
http://www.apple2world.jp/apple2/HIS/index.html

スティーブ ジョブズ氏が亡くなった。

1980年ごろ、僕は某大学のアマチュア無線部 兼 柔道部(同好会のようなもの)にはいっていた。
毎日が あわただしかった。 金もかかった。授業を聞く。レポートを書く。先輩と新宿にのみに行く。バイトに行く。夢のような日々だった。
アマチュア無線部では、パソコンのことをパソコンと呼ぶと怒る先輩がいた。いまだにわからないが。
今もだが、あのころのパソコンには夢があった。PC8001 NECが日本のPC業界をリードしていた。先輩がFM8?を購入し 日本語のROMを何万も出して購入したりしていた。通信科の長野から来たやつは、自分でTK80を作っていた。僕もみようみまねで、なにかに夢中になりたかった。
学校から近い 秋葉原は ちゃりで買出しに行っていたから、庭といっても過言ではない。
わけもわからぬまま、ある日 コモドールというPCを購入していた。
しかし、ゲームをやるどころか、マニュアルを理解するのもやっとだった。大きなPCはうちでは邪魔者扱いだった。
さらに ある日は、友だち誘われて ロビン電子というところで、
アップルⅡの海賊版 アップルⅡのキットを購入した。
何日もかけて 半田付けしたが、僕のだけ動かない。
店に持っていって、食んだミスを直してもらい、やっと動くようになった。皆に笑われた。
いくつかのゲームを動かしていたと思う。もう、あまり覚えていない。

あのころの先輩はいまどうしているか 知らない。

でもきっと、この訃報を聞いて、おなじように 学生時代を思い出しているだろう。

先輩のノートをコピーしまくっり、新宿で飲んで、徹夜で学園祭、
あのとき、僕のミスで せっかくつくった、局発(PLL)を壊してしまって、
ほんとうにすみません。
秋月や千石に買いだし、友達のぼろアパートに泊まったり、短大に手伝いにいったり、
夜間学校のバイトをしたり、 寝てしまい 先生にえらくおこられたなあ。

学校の勉強は役に立たなかったけど 卒研でもなんでも PCへのアプローチというか
勘みたいなものは、なんだろ、培われたように思う。

理系の大学でさえ、フォートランやパスカルしか習っておらず、BASICは、N88で
試行錯誤で覚えていった時代だった。

やすらかに、そしてこの功績がいつまでも語り継がれていきますように。


コメント
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