旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

悪徳な眼鏡屋

2012年04月28日 | 旅行
 この眼鏡屋には誠意は初めからありませんでした。
 私たちは店を出してもらえず、路上で商売していたアジュンマまでグルになって、近所の片言の日本語を話すアジョッシも巻き込みました。確かに拉致されたわけではないので、逃げられたかも知れないけれど、路上にアジュンマが腕を掴んで放さないし、クレジット会社を信じた私も悪いかったと思います。どんな扱いをされようと、確かなメガネならそれでいいかと思いました。 
 安いはずのソウルで結構な値段のメガネを3つも買い、その上うっかりコンタクトレンズまで購入し、それでもまだい「いい買い物をした」と思っていました。
 気付いた時は、3日目の帰国直前でした。娘がメガネが変、ふらふらすると言うのです。でも、もうホテルにはお迎えガイドの朴さんが来ています。朴さんに相談したら、空港までの車内で眼鏡屋の電話をして交渉してくれました。「メガネが不良品」と。
 電話の相手は嘲笑したそうです。朴さんも怒りました。私たちを空港に送った後、眼鏡屋に行ってくれることになりました。でも、メガネを韓国に残していけないのでメガネのお金は戻ってきません。せめてコンタクトレンズだけは返品したかったので、朴さんに預けました。朴さんは、返品が出来ると言う保証もないのに、自分のお財布から4万ウオンを出してくれました。
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3度目ソウル 2日目  メガネ屋

2012年04月27日 | 旅行
 その日のランチは、なぜか中華料理(;_;) 何でかな~
 2度目ソウルの時、小島さんはおみやげ屋でメガネを作り、とても調子がよいと言っていたので、今回私も娘もソウルでメガネを作る予定にしていました。今回ガイドはいないので、自分でお店を選ばなければなりません。クレジット会社の小冊子で紹介されているお店がガイドブックで紹介されているお店より信用出来る気がしたのですが、とんでもなかったのです。みなさ~ん、信用しちゃダメですよ~。
 当時まだ健在の南大門に向かって右手、市場の外れにある眼鏡屋で、小冊子に「日本語OK」と書いてある「プリ○スアンギョン」に入りました。ところが、6帖くらいの小さいお店で、日本語が話せる人はいませんでした。仕方ない、たまたまお休みなんだろうくらいに思い、お店を出ようとしました。お店の人は、自分のお店が小冊子に紹介されていることに舞い上がってしまい、私からそれを取り上げてしまい、私たちをお店から出してくれません。そして私たちに店番をさせ、店員全員がお店を空にして出て行きました。
 待っていてもなかなか帰って来ないので、お店が空になるけど帰ろうとした私たちをお店に戻したのは、路上で商売をしていたアジュンマでした。強引です。今なら韓国人特有の図々しさを振り切ることくらい訳ないのですがね~、その頃はまだ韓国人に慣れてませんから言いなりだったんです。市場の他のお店から片言の日本語が話せる人を連れてきました。今、思えば頼りない日本語でしたし、メガネのことはわからない人だったと思います。
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3度目ソウル 2日目 

2012年04月26日 | 旅行
 初めて地下鉄に乗りました。景福宮に行くつもりで、忠武路駅から3号線に乗りました。あれれ、なぜか東大入口駅についてしました。反対側に乗ってしまったのです。いい年のおばさんが地下鉄の中で大きな声で「反対だ反対だ!」と大騒ぎをしてしまいました。しかも日本語で。相当パニックに見えたのでしょう、韓国の青年(30歳代か?)が日本語で「どこの行きたいですか?」と聞いてくれました。「キョンボックン」と答えると反対だから乗り換えれば行けると教えてくれました。「日本語上手ですね」と言うと、仕事で日本に住んでいたとのこと。はああーなるほど、恥ずかしい。
 反対側の地下鉄に乗り換え、無事景福宮に着きました。  そこで、またまたパニック。今では日本語のガイドが十分ですが、その頃はまだ韓国語と英語と・・中国語もあったかどうか?とにかく日本語では何の案内も見つかりません。まだまだ韓国の歴史も王宮の由来もちんぷんかんぷんの頃ですから、どの建物を見てもただの箱にしか見えません。
 偶然、前日の高校生の集団に会いました。彼らには各クラスにガイドが付いているのを発見しました。そのガイドの説明を聞きたいと高校生の男の子に「ねえ~おばさんも入れてくれない?」と聞きました。返事のしようがなかったでしょうが、勝手に付いていきました。ところが、最後の方から付いていったのではガイドの声は聞こえません。こんな修学旅行に意味があるしょうかね。最後尾の生徒は案の定、ただふらふら付いて歩くだけです。私も諦めて、高校生に付いて東側の駐車場に出ました。だから、その時は残念ながら
慶会楼
香遠亭 も民俗博物館の存在さえ知りません。(この2枚の写真は2010年5月「王家の散策」を見に行ったときの写真です。詳細は後々に)
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「NANTA」の帰り道

2012年04月23日 | 旅行
 徳寿宮まで歩いていたら日本の高校生の軍団に遭遇しました。修学旅行らしき彼らは、5月の初夏のような陽気なのに、制服をきちんと着ていてかわいそう。そのお世話をしていた韓国の方と娘をパチリ後ろの集団は日本の高校生軍団。
 その後、ロッテデパートの地下フードコートでトッポッギやら冷麺やらを食べて、明洞に向かおうとしてピンチ(@_@)。たった2ヶ月前に来たばかりなのに、フードコートから地下街への出口がふさがれています。工事中。3度目のソウルで、しかも2度目まではガイドや友人に頼りっきりでしたから、予定のルートをふさがれるとパニックです。
 ロッテデパートの地上から出て迷っていたら、声を掛けてくれた女性がいました。彼女は日本語を話せるのに「明洞聖堂」を知らないのです。迷ってはいたさすがの私も、「明洞聖堂」の方向はわかっていました。声を掛けてくれた彼女の手前、家にまで電話をして「明洞聖堂」を聞いている彼女を、韓国語のわからない私がなんと言って断れるでしょうか。そこでかなりの時間立ち止まって時間をロスしましたが、結局「明洞聖堂」は彼女にはわからなくて、別れました。
 そして明洞に入っても私は迷いました。見栄を張って地図を見ることが出来なかったからなのですが、娘は開き直って地図を開きました。もちろん初ソウルの娘にはちんぷんかんぷん。そこで、私は気付きました。老眼がかなり進んでいることを。コンタクトレンズをしていたので、地図が見えないのです。夕方の時間に地図が見づらいのは当たり前なのに、自分が老眼になっていると
その時初めて知りました。ハイ。(/_;)
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3度目ソウル 初日その2

2012年04月20日 | 旅行
 まだ3度目だというのに、娘とのソウルを仕切ったものの、失敗続きでした。
 初日に免税店に連れて行かれるのは常識でしたか・・。そんなことも知らずに、仁川空港到着時刻から考えれば「NANTA」には当然間に合うと思っていましたが、免税店に寄っていたので実際はギリギリで、ガイドの朴さんを相当慌てさせました。プンジョン(豊田)ホテルは、明洞地区とはいえ明洞からはちょっと距離があります。新羅免税店から大急ぎでホテルに行き、2人のギャルも同じホテルだったようですが、チェックインは後回し。私たち親子をチェックインして部屋に荷物を入れ、流しの一般タクシーに乗せられました。
 ソウルでのタクシーは模範タクシーと決めていましたが、初タクシーから一般タクシー(/_;)。朴さんが行き先を伝えてくれたので、娘と車内で日本語だけを話していましたが、内心はちょっと不安だったんです。案の定、徳寿宮を過ぎたあたりで、相乗りをしようとドアをたたく韓国人の男性が・・・。ドライバーは断りましたが、それも後で思えば朴さんがドライバーに話していたかも・・・。
 おかげで「NANTA」には間に合い、娘は大喜びでした。最近また見てきたんだってよ。
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