今回の帰省は、義伯母の葬儀になり母の兄、妹、甥、姪など集まって、母にとってリラックスできたかと言えば、そうでもなくて、顔を見れば誰か理解できる程度、名前だけでは誰だかさっぱりわからない、姪の子供に関しては、いくら言っても理解できないため、そのことで頭はパニックになっていたと思います。頼りは私の娘と80歳を過ぎている自分の妹(私の叔母)だけでした。
当初、葬儀が終わった夜は叔母の家に泊まることになっていましたが、通夜の夜葬儀場で宿泊したとき、布団から立ち上がれず、叔母の家に泊まることはかないませんでしたから、私たちとホテルに泊まりました。ベッドなら多少自由に立てたかもしれませんが、横で寝ていた娘によると、足はベッドからおろして寝ていたとのこと。
こんなにパニックになって痴呆が進んだかに見えました。ケアハウスに帰ったらスタッフが大変だろうと考えました。けれども、新幹線に乗っている間に、頭が日常に戻っていたようで、ケアハウスに近づくにつれて、安心したようでした。
このメカニズム、わかりません。なるほど~~~と感心しました。あんなに「富山へ帰りたい」と言っていたのに、母にとっての「家」はすっかり「ケアハウス」になっていました。
ちなみに、娘は、社会福祉法人に勤務しているので、高齢者の扱いには慣れていますが、準備を私がすれば面倒見はいいです。わざとかどうかわかりませんが、母は私を遠ざけます。私は母にとって「どろぼう、うそつき、おいはぎ」ですから、私は母の面倒は見られません。でも、「どろぼう、うそつき、おいはぎ」と言われながら、娘のフォローをしている私も、娘と同じくらい大変なんです。