旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

デイズニーランドは楽しい

2015年04月30日 | 旅行
 絶叫系も暗い場所も苦手なので、他の仲間が行った「スプラッシュマウンテン」「スペースマウンテン」「ビッグサンダーマウンテン」「ホーンテッドマンション」「センターオブジアーズ」「インデイ・ジョーンズ」はファストパスを取ってもらいましたが、すべてパス。辛うじて、「カリブの海賊」「海底2万マイル」は待ち時間もなかったので乗りました。怖くて声は出ません。実は「海底2万マイル」は、船内が私たちのグループが貸し切り状態だったので、怖さをごまかすためにポップコーンを食べていました。本当はアトラクションの中で食べちゃいけないのだと思います。よいこはマネしないでください。
 でもね、「海底2万マイル」に乗ったらグアムで乗った潜水艦も偽物のような気がして、いけません。(;^ω^)
 デイズニーのキャラクタの中では、ピーターパンが大好きなので、「ピーターパン空の旅」は、必ず頑張って乗るんです。怖くても船には一人で乗ります。ピーターにはパレード以外で会ったことがないので、一度一緒に写真を撮るまでは、デイズニーランドに行くのをやめられないのです。どうすれば、ピーターに会えるのでしょうか・・・。
 
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私のデイズニーランド

2015年04月29日 | 旅行
 私は45歳の時に「絶叫系」には今後乗らないと決めました。嫌いではありませんでしたよ。
 ただね~、デイズニーの絶叫系乗り物は一癖も二癖もあります。それがいいのでしょうが・・・・。
 初めてデイズニーランドに行ったときは、35才でしたが、熱があるのに「スペースマウンテン」に乗りました。もちろん気持ち悪くなりましたよ。主人はヘリコプターや小型飛行機に乗るのが仕事でしたから、乗り物酔いはしたことがありません。そのときも私が「いやだ」と言ったのに、小さい娘を乗せたいものだから無理矢理に乗せられました。「カリブの海賊」でさえフラフラでした。せっかく行ったデイズニーランドでしたが、3時に撤収です。
 それがトラウマになっているかもしれませんが、それ以来絶叫系の乗り物は楽しくないのです。
 それから数年後、最初で最後の「ビッグサンダーマウンテン」もあえなく撃沈。その時「こりゃやめた方がいいわい」と悟ったわけです。
 実は、それから一度だけ乗りました。娘と行った時に「お母さんとデイズニーランド行っても、一人で乗り物に乗るのはつまらない」と説得され、しぶしぶ「スプラッシュマウンテン」に乗りました。ハイ。それだけです。
 今は、ひたすらデイズニーシーの「フィッシュコースター」専門です。それでさえ、手を離すことはおろか声も出せません。でも、ちょっと楽しいから・・・。
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デイズニーで食べたもの

2015年04月27日 | グルメ
 ペコスビル・カフェのシナモンチュロ、キャプテンフックス・ギャレーのシーフードピザ、ミッキーのトレーラーのえびと卵のスプリングロール   ワッフルカンパニーのワッフル 、プラザ・レストランんのシーフードドリア。
 翌日、サルタンズ・オアシスのソフトクリーム、シーサイドスナックのうきわまん  
 2日間で、ポップコーン2杯食べました。  ランドではハニー味、甘くて失敗。翌日のシーでは塩味を食べましたが、カプチーノ味やミルクテイ味も食べたかったな、と思いました。
 初めて食べたスプリングロールとうきわまんの出来たてがおいしくて、感動でした。特にうきわまんは以前行列で食べられなかったので、念願でした。さすがに「かなり空いている」予報です。どちらも全く並ぶことなく買えました。ただ、うきわまん売り場は、後から人が集まってきて、私たちがお客さんを呼んだようですよ。
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デイズニーランド

2015年04月27日 | 旅行
 スポーツジムでフラダンスのプログラムに参加している仲間と、デイズニーランドとデイズニーシーに行きました。春休み後の水曜日とあって園内は「かなり空いている」との予報でしたが、なんのなんのとんでもありません。おばさん6人にとっては混んでました。6人が同じ行動をするには、無駄が多いので2班に分かれ、私と72歳のまゆみさんは「ミッキーの家とミートミッキー」に行きました。
  
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私がかっぱになった2000年夏(11年9月26日記事)

2015年04月20日 | 日記
 私レベルで「マリンスポーツ」などおこがましい。1994年に足の手術をして以来、主治医にプールでのウオーキングを勧められ、運動嫌いだし顔を洗うのも苦手な私が、やっと重い腰を上げてスイミングスクールに通い水中歩行を始めたのが1998年の秋。それまでも娘を海に連れていくために海水浴をしたことはありますが、浮き輪につかまってぷかぷかくらいでもちろん泳げません。
 海はあくまでも娘のためでした。
 2000年の夏は違いました。海に行くことを「海に帰る」と表現するくらいの娘が、ス~イスイとシュノーケルをしています。私はビーチで義母の相手をして、時々膝まで海水に浸かる程度でした。
 どうした風の吹き回し(多分義母のお守りに飽きたから)なのでしょう、「ちょっと私にそれ(シュノーケルのマスク)貸してみ」と取り上げました。当時娘はライフジャケットなしで素潜りも出来ましたから、スイミングで使う水中めがねで海に入れていました。
 私の人生が180°変わってしまった瞬間です。
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