大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

今日はスポーツ中継の日!

2020年08月11日 | スポーツ

8月11日はスポーツ中継の日です!

1936(昭和11)年の今日(8月11日)、ナチス体制下のドイツで開かれた第11回大会ベルリンオリンピックの競泳女子200メートル平泳ぎ決勝で、和歌山県橋本市出身の前畑秀子が地元ドイツのマルタ・ゲネンゲルと壮絶なデッドヒートを繰り広げた末、1秒差で見事優勝し、日本人女性として初めてオリンピックで金メダルを獲得しました

この時、この試合をラジオ中継で実況した日本放送協会(NHK)の河西三省アナウンサーは、中継開始予定時刻の午前0時を過ぎたため「スイッチを切らないでください」という 言葉から始まりましたが、レースは前畑とドイツのマルタ・ゲネンゲルとの首位を争う凄絶なデッドヒートとなったため、河西は興奮のあまり途中から「前畑がんばれ、前畑がんばれ」を20回以上連呼し、真夜中にラジオ中継を聴いていた当時の日本人を熱狂させ、今でも歴史に残る名実況と言われています。

また、このベルリンオリンピックでは前畑選手の他にも陸上の村社選手が5000mと10000mに出場し小柄な体格で大柄な他国選手達を相手に果敢に先行する姿が観衆達の熱狂的な共感を呼んだり、陸上棒高跳びでは西田選手と 大江選手が銀・銅メダルを半分ずつに割って『友情のメダル』を作成したり、サッカーでは初出場の日本チームが優勝候補のスウェーデンを3-2で破る歴史的番狂わせを演じて(『ベルリンの奇跡』)ベスト8に進出したりと、日本勢も大いに実力を発揮していたそうです。

ちなみに、前畑秀子は1932(昭和7)年8月に開かれた第10回大会ロサンゼルスオリンピックにも出場して女子200メートル平泳ぎで銀メダルを獲得していたので、2大会連続で金・銀メダルを獲得したのでした。


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今日はボクシング記念日!

2020年05月19日 | スポーツ

5月19日はボクシング記念日です!

1952(昭和27)年の今日(5月19日)、東京・後楽園球場の特設リンクで行われたボクシング世界フライ級タイトルマッチで、挑戦者の白井義男がアメリカの王者ダド・マリノに判定勝ちして、日本人初のボクシング世界チャンピオンになりました。  
このことを記念して、2010(平成22)年に日本プロボクシング協会(JRBA)が、5月19日を「ボクシング記念日」に制定しました。

白井義男は、小学6年生の時に東京・荒川のサーカスの余興で行ったカンガルーとのボクシング対決がきっかけで、ボクシングにのめり込んだというエピソードの持ち主です。

太平洋戦争中の1943(昭和18)年11月26日にプロデビューし、8戦8勝という成績を残しますが、翌年海軍に召集され、航空機整備士として従軍するも、終戦により復員します。

そして再びボクシング界に復帰して、1946(昭和21)年8月に行われた復帰戦に勝利したものの、戦時中に航空機整備士として従軍していた際に痛めた腰痛が悪化し、引退寸前に追い込まれます。 しかし、そのころ学術研究のためにGHQ(連合国軍総司令部)に招かれて来日していたアルビン・R・カーン博士と出会い、その全面的な指導の下に白井はその素質を開花させて、やがて世界チャンピオンになったのでした。

世界チャンピオンとなった白井義男は、その後4度防衛しますが、1954(昭和29)年11月26日にアルゼンチンのパスカル・ペレスに判定で敗れ、翌年5月30日のリターンマッチでも敗れたため、現役を引退しました。
ちなみに、この試合のテレビ中継は、最高視聴率96.1%を記録しました。


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今日は女子マラソンの日!

2020年04月16日 | スポーツ

4月16日は女子マラソンの日です!

今から40年位前までは、「女性がマラソンを走ることは生理学的に困難」という見解が広く信じられ、オリンピック以外でも女子のマラソン大会は開催されませんでした。

しかし、1978(昭和53)年の今日(4月16日)、東京都東大和市にある村山貯水池、通称「多摩湖」の湖畔で、公益社団法人 日本タートル協会主催による日本初の女子フルマラソン大会『第1回女子タートルマラソン全国大会』が開かれました。 このマラソン大会は多摩湖畔の周遊道路を3周するコースでしたが、現在のようにスピードを競うというより健康を目的に自分のペースで走るのが大会の趣旨で、参加者は最高齢71歳を含めわずか49名でした。沿道には10万人を超える大観衆が集まり、優勝者は横浜の主婦・外園イチ子さん(37歳)で、タイムは3時間10分48秒でした。

このことを記念して、4月16日は「女子マラソンの日」と制定されました。

ちなみに、女子マラソンが初めてオリンピックの正式種目となったのは1984(昭和59)年のロサンゼルスオリンピックからで、この時の日本人選手は、佐々木七恵が2時間37分04秒で19位、増田明美は16kmで途中棄権という成績でした。

その後、日本においても女子マラソンの選手は増え、1992(平成4)年のバルセロナオリンピックで有森裕子が銀メダルを獲得しました。有森は1996(平成8)年のアトランタオリンピックでも銅メダルを獲得したので、2大会連続のメダリストとなりました。
2000(平成12)年のシドニーオリンピックで高橋尚子が見事金メダルを獲得し、2004(平成16)年のアテネオリンピックでは野口みずきが金メダルを獲得しました。


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今日は高校野球記念日!

2019年08月18日 | スポーツ

8月18日は高校野球記念日です!

1915(大正4)年の今日(8月18日)、大阪の豊中球場で高校野球の前身である第1回全国中等学校優勝野球大会の開会式が行われました

全国の73校の中から地区予選を勝ち抜いた10校(秋田中・早稲田実業・三重四中・京都二中(現・鳥羽高校)・神戸二中・和歌山中・鳥取中・広島中・高松中・久留米中)が参加し、5日間にわたって熱戦が繰り広げられ、決勝では京都府立第二中学(現・鳥羽高校)が延長13回の激闘の末、2対1で秋田中学を破って優勝しました。

ちなみに、優勝した京都二中の選手には、スタンダード大辞典と50円の図書券と腕時計が贈られたそうです。 しかし、大会終了後に、選手に数々の副賞を贈るのはどうかと議論が起こり、翌年から参加メダルのほかは、おみやげとして大阪名物の粟おこしだけとなりました。

1924(大正13)年の第10回大会から会場が甲子園球場になり、学制改革により1948(昭和23)年から全国高校野球選手権大会となりました。


今日は金銀の日!

2019年08月02日 | スポーツ

8月2日は金銀の日です!

1928(昭和3)年の今日(8月2日)、オランダのアムステルダムオリンピックで、陸上3段跳びで織田幹雄が日本人初の金メダルを、陸上800mで人見絹枝が日本人女性初のメダルとなる銀メダルを獲得しました。

このことを記念して、8月2日は「金銀の日」に制定されました。

織田幹雄はまず1924(大正13)年のパリオリンピックに出場し、この時は陸上3段跳びで14m35cmの日本新記録を出して、日本陸上界で初めて6位入賞を果たしました。

そして早稲田大学商学部に進学後の1928年のアムステルダムオリンピックには日本選手団の主将として出場し、8月2日の3段跳びでは予選で15m21cmを記録してトップで決勝へ進み、結局この記録が残り金メダルを獲得しましたが、これは日本人初というだけでなくアジア人としても個人競技で初の金メダルでした。

3段跳びでは織田幹雄に続いて、1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで南部忠平、1936(昭和11)年のベルリンオリンピックで田島直人と3大会連続で日本人が金メダルを獲得したことから、陸上の3段跳びは当時の日本のお家芸とも言われました。