大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

同和鉱業片上鉄道 備前矢田駅!

2016年02月28日 | 

岡山県和気郡佐伯町(現・和気町)にあった備前矢田駅は、備前市の片上駅から和気駅を経由して柵原駅までの33.8kmを結んでいた全線単線非電化の片上鉄道の駅として、1923(大正12)年8月10日に開業しました。 
しかし、片上鉄道が1991(平成3)年6月30日限りで廃止されたことに伴い、廃駅となりました。

長い相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能駅で、中線もありました。
開業時に建てられた赤い屋根の木造駅舎が廃止時まで残っていました。

備前矢田駅が属していた同和鉱業片上鉄道は、硫酸の原料となる硫化鉄を柵原鉱山から片上港へ輸送することを目的に建設されました。 開通後は硫化鉄のほか石炭や石灰石、木材、肥料などさまざまな物資を輸送し、1960年代までは地域経済を支える大動脈でした。 また、柵原鉱山の硫化鉄の埋蔵量は3000万トン世界有数を誇っていました。

しかし、石油の消費量が増え、その精製時に発生する硫黄が硫化鉄に取って替わるようになると、硫化鉄の需要は激減し、輸送量も急速に減少したため、同和鉱業は深刻な不況に陥り、1987(昭和62)年8月には柵原鉱石輸送が全面的にトラック輸送に切り替えられました。
会社側は肥料輸送や旅客列車の減便などで生き残りを図りましたが、沿線人口が希薄で過疎も進みつつあったため利用客は減り続け、ついに片上鉄道は1991(平成3)年6月30日限りで廃止され、それに伴い備前矢田駅も廃駅となりました。

 <備前矢田駅の年表>

 ・1923(大正12)年8月10日:片上鉄道の一般駅として開業
 ・1991(平成3)年7月1日:同和鉱業片上鉄道が廃止されたことに廃止に伴い、廃駅となる 

 
(駅 名 標)

 
(備前矢田駅構内)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(備前矢田駅駅舎)


 撮影年月日:1991(平成3)年3月29日


南海電鉄多奈川線 多奈川駅!

2016年02月26日 | 

大阪府泉南郡岬町にある多奈川駅は、全線単線の南海電鉄多奈川線(2.6km)の終着駅として、1944(昭和19)年6月1日に開業しました(開業時は近畿日本鉄道に所属)。

かつては頭端式の櫛形ホーム2面2線を有していましたが、後に北側のホームは使用されなくなったので、現在は1面1線の有人駅です。 ホームは、急行「淡路号」の廃止時に駅舎側の2両分を残して柵で塞がれています。
平屋の駅舎がホームの西端にあります。

2012(平成24)年度の1日の平均乗降人員は703人で、これは南海電鉄の全100駅中78位です。

多奈川駅は大阪府内で最も西に位置する駅で、多奈川線で唯一の有人駅です。

多奈川駅が属する多奈川線は、太平洋戦争中に重要な軍需工場だった川崎重工業泉州工場への資材輸送や従業員輸送用として1944(昭和19)年5月31日に開業した路線で、戦後は深日港から淡路島の洲本を結ぶ大阪湾フェリーや徳島を結ぶ徳島フェリーが発着していたので、これらの航路と接続する難波~深日港~多奈川間に急行「淡路号」も6両編成で運転されていましたが、その後、これらのフェリーはすべて廃止(又は休止)されてしまい、直通急行の「淡路号」も1993(平成5)年に廃止されました。

 <多奈川駅の年表>

 ・1944(昭和19)年6月1日:近畿日本鉄道の駅として開業
 ・1947(昭和22)年6月1日:近畿日本鉄道が路線を南海電気鉄道に分離譲渡したことにより、同鉄道の駅となる
 ・2006(平成18)年7月1日:ICカードPiTaPa・ICOCAの利用が可能になる
 ・2011(平成23)年4月1日:駅構内終日全面禁煙化

 
(駅 名 標)

 
(駅舎側からホームを望む)

 
(ホームから駅舎側を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(多奈川駅駅舎)


 撮影年月日:2010(平成22)年5月2日 


旧国鉄田川線 崎山駅!

2016年02月23日 | 

福岡県京都郡みやこ町(旧・犀川町)にある崎山駅は、日豊本線の行橋駅と日田彦山線の田川伊田駅とを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった国鉄田川線(26.3km)の崎山信号場として1954(昭和29)年4月20日に開業しましたが、その後、旅客駅に昇格しました。

しかし、田川線は筑豊炭田の衰退とともに旅客・貨物とも輸送量が減少し、1980(昭和55)年12月に施行された国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)により1987(昭和62)年2月3日に第3次特定地方交通線として廃止承認されます。 地元では5回にわたって対策協議会を開いて協議した結果、1989(平成元)年2月6日に第三セクター鉄道に転換することを決定しました。

そして国鉄田川線は1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)に承継された後、1989(平成元)年10月1日に第三セクターの平成筑豊鉄道に転換されました。

崎山駅は、長い相対式ホーム2面2線を有していて列車交換可能な無人駅でした。
古い木造駅舎が平成筑豊鉄道に転換後も解体されずに今も健在です。

 <崎山駅の年表>

 ・1954(昭和29)年4月20日:国鉄田川線の信号場として開業
 ・1956(昭和31)年8月11日:旅客駅に昇格して崎山駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる
 ・1989(平成元)年10月1日:第三セクターの平成筑豊鉄道の駅となる
 ・2009(平成11)年4月1日:企画・宣伝共同組合(広告代理店)がネーミングライツを取得し、愛称付きの駅名「れいめい拳.COM 崎山駅」となる

 
(国鉄時代の駅名標)

 
(行橋方面を望む)

 

 


 撮影年月日:1989(平成元)年2月20日


今日はふろしきの日!

2016年02月23日 | 今日は何の日

2月23日はふろしき(風呂敷)の日です!

京都ふろしき会・京都ふろしき振興会・東京ふろしき振興会で組織する日本風呂敷連合会が、日本の伝統的な日用品であり、繰り返し使用可能なエコ製品としてのふろしきをPRするために、2000(平成12)年に2月23日を「ふろしきの日」に制定しました。
日付は「つ(2)つ(2)み(3)」(包み)の語呂合わせです。

ふろしき(風呂敷)は、物を包んで持ち運んだり収納したりするための正方形に近い布のことです。

このふろしきの起源は定かではありませんが、奈良時代の正倉院の所蔵物の中に舞楽の衣装包みとして用いられたとみられるものが残っているそうです。

ふろしきのサイズについては、小さなものから布団も包めるような238cmもある大きなものまで約10種類の大きさがあります。そして形は必ずしも正方形というわけではなく、縦の長さが横の長さよりも2~3%長めにできているのが多いです。

江戸時代の初めに湯を張って入浴に供する商売である銭湯が誕生し、この銭湯が普及してくると庶民も衣類や入浴用具を包む布としてふろしきを使うようになりましたが、明治時代になって西欧から鞄類が入ってくるようになると風呂敷の利用は次第に減っていき、現在、ふろしきは実用品としてよりも贈答品としての需要がほとんどで、関西地方では婚礼内祝や快気祝など、関東地方では仏事返礼などの答礼品としてふろしきは多用されています。

ちなみに、検察官は、現在でも伝統的に書類等を持ち運ぶ際に風呂敷を使用することがあるそうです。


播但線 長谷駅!

2016年02月22日 | 

兵庫県神崎郡神河町にあるJR西日本の長谷駅は、山陽本線の姫路駅と山陰本線の和田山駅とを結び、陰陽連絡路線としての役割も担っている全線単線の播但線(65.7km)の駅です。
もともとは播但鉄道の一般駅として1895(明治28)年1月15日に開業しましたが、その後、山陽鉄道を経て国鉄播但線の駅となりました。

島式ホーム1面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
かつては木造駅舎がありましたが駅の無人化後に解体され、現在は駅舎はなく、築堤上のホームへは地下道経由で直接入る形になっています。

2012(平成24)年度の1日の平均乗車人員は20人です。

 <長谷駅の年表>

 ・1895(明治28)年1月15日:播但鉄道の一般駅である終着駅として開業
 ・1895(明治28)年4月17日:播但鉄道が生野駅まで延伸したことにより、途中駅となる
 ・1903(明治36)年6月1日:播但鉄道が山陽鉄道に譲渡され、同鉄道の駅となる
 ・1906(明治39)年12月1日:鉄道国有法により山陽鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により国鉄播但線となり、同線の駅となる
 ・1963(昭和38)年3月1日:貨物取扱い廃止
 ・1973(昭和48)年4月1日:駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(和田山方面を望む)

 

 

 

 
(ホームにある待合室)


 撮影年月日:2015(平成27)年1月3日