伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

利己心は、不安を呼びます

2007-09-20 20:45:36 | Weblog

読者より :
最近になって「生かして頂いてありがとうございます」と心の中で唱えるように
なりました。昨晩も、寝る前にふとんの中でも唱えて寝たところ、変な夢を見ま
した。家中に「パチッ」という大きなラップ音が何度も鳴り響いて、コワイ~と感
じる夢です。   これは何か意味ありますか?
返答 :
人間は、今までしていなかった、供養や行為を新たに始めま
すと、それ以降に起こる微かな異変?にも過剰に敏感な
反応をして、関連付けをして心配します。
何故、心配するのでしょうか?
それは、供養や行為の目的が、自分の利益の為に有るから
です。 本来の供養には、自分のことは有りません。
間違った目的や解釈が、深層心に有ると、心配に成るもん
です。
供養とは、苦しみ、困っている先祖霊が居れば、なんとか楽
にして上げたい気持ち、情け、だけです。
どの先祖が困っているかは、一般人には分からないので、
先祖全体への供養をするのです。
生きている人間でも、困っている人は、沢山いますので
先祖霊も同じです。誰にでも、困っている先祖霊は、居ます。

”生かして頂いてありがとうございます”の言霊が、良いと聞
くと、心の深層では、良いことを期待しています。
でも、この言霊の目的は、違います。
人間を生死の原点に立ち返らせ、心をククリ直し、強くして、
自然と”生かされている”ことへの感謝心を呼ぶものです。
これは、人生で或る程度の苦労を経験した人には、この
言霊は、ストンと心に染み入ります。
苦しんで、苦しんだ、上で初めて身につくのでしょう。
親の庇護の下にいる間は、分かり難いかも知れません。

正しく、この言霊への理解が進むと、心配や怖がる気持ち
が無くなって行きます。
好い事も、悪い事も、生かされている上での、ことです。
自然と笑顔が増えます。
生死の観点からみると、人生には、自己を悩み傷付ける
問題は、有りません。

生かして頂いて ありがとうございます

  
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コメント (65)
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