伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

今日の日記

2008-07-13 16:46:22 | Weblog
今日は朝から、近所周辺の雑草抜きをしました。
草と土に手を触れさす事は、本当に良い事です。
体内の不要な霊的磁気が抜ける気がしました。そして、代わ
りに土や植物から、エネルギーが充填される感じです。
精神が疲れている人には、何も考えずに雑草を抜く事は、
良い効果があると思います。
ただ、しゃがむ姿勢や中腰の体制は、本当に体に堪えます。
相撲の四股とまでは言いませんが、数時間も炎天下でしてい
るとフラフラに成りました。 農家の方が、毎日このような作業を
される事は大変だと思います。 育てる植物から力を貰ってい
るから出来るのかも知れません。 私の知る農家の方には、
明るくて丈夫な体をしている人が多いのも、納得しました。
この暑い最中、水分補給は冷水では無く、ぬるま湯で取りま
した。体にスムーズに吸収される感じで、喉の乾きも逆に治まり
易く思いました。

最近のコメント欄で感じる事は、観音像や御札に対する根本的
に誤った観念です。
家や家族も持たない出家者が、仏像や観音像を保有する
目的と、一般の家庭人が仏像を保有する目的は全然違う
意味があります。
本来の出家者が観音様に期待するのは、迷える人間や霊
を救うにあたり、その救済行為への守護を願うものです。
この守護する存在。 この「守護」と言う言葉に一般人は、
勘違いをしています。
一般人は、この「守護」を自分の事、自分の願い事への守護
だと、とんでもない間違い認識で仏像を保有する人が大半
です。
仏像や観音像、その他の神像には、「」縁霊が寄ります。
伊勢白山道の3本供養は、その他の霊を含めて、全て
」縁霊が対象です。 これは、全然、意味が違います。
無縁仏への供養は、一般の家庭人には無理があります。
余程、自己に関わる諸霊を3本感謝供養して、先祖の守護
が強くないと、無縁霊への対応は、副作用を被ります。

無縁霊を救済したいと言う立派な志の為に、観音様を個人
で持つことは立派なことです。
しかし、これが意味する事を理解している人は、個人では
どれ位居られるのでしょうか?
自分個人の守護を期待して保有する人が大半では無いで
しょうか。
欲に目が眩んだ宗教屋さんが、高額な仏像を個人に御もっ
ともな理由を付けて買わせる世の中です。 
まさに末法の世です。 釈尊の嘆きが聞こえます。

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コメント (147)
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