伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

お参りの大事な心得

2008-07-28 19:21:53 | Weblog
質問 :
神棚や仏壇にお参りをするとき普通は目を閉じて手を合わせてお参りします
よね。リーマンさんは瞑想は目をあけてするほうが良い、と言われてましたが、
毎日のお参りも目をあけてお参りしてもいいのでしょうか。
返答 :
実は、私は毎朝の神棚への参拝や先祖供養の時は、ほと
んど目を開けた状態で、たんたんと感謝だけを捧げる行為
を実行しています。一瞬は目を閉じてるかも知れませんが。
目を閉じると、何か余計な集中が起こり、要らぬ感応を呼ぶ
気がします。
皆さんが御参り時に目を閉じて、気持ちを込める事、先祖へ
の思いが大事、と思われるのは正しい事であり、大事な事
であるのは間違い御座いません。 
しかし、これが時には「自分の為」の願いに、知らない内に
摩り替わっている事があります。
神仏、先祖へただ感謝することが、真に、それらの存在に
通じる近道です。 そうなると、後は丸ごと結構な事に成っ
て行くものです。 細かい事を一々考え、願う必要は無いの
です。

武道の極意でもあるのですが、相手と向かい会った時に、
頭の中で「こう来たら、こうしよう」とか「絶対に勝つ!」
・・・なんて、一々頭の中で考えたり、思っている人は、
負けます。
普段からの反復練習で、無心に出る体に染み付いた動きで
勝敗が決まるものです。
供養や参拝も、似たところが有り、普段の神仏への姿勢、
普段日常での先祖霊への思いが大事であり、参拝時は行為
を実施する場だけであるのです。
普段の日常で身に付けた磁気で、神仏の磁気に相対する
訳です。 そこで、引き合うのか、拒絶されるのかが大事なの
です。 これは、霊的世界における極意です。

私が提唱する先祖供養は、皆さんが考える以上に、その
供養行為そのものが重要なのです。余計な思いは不要と
も言えます。
この忙しい現実界において、先祖の為の供養行為を空間に
刻んで行く。 これが尊い事なのです。
また、迷いの為に餓える縁ある諸霊には、100回の慰めの
言葉を掛けるよりも、物質的に捧げる1回の線香が欲しい物
に変化して霊をなだめます。 とても現実的な事なのです。

別に先祖供養をしなくても私達は死にません。供養する時間
が有れば、好きなTVを見たい人も居るでしょう。 
好きな事が出来る時間の中で、見えない存在へも思いを向け
る事が出来る、優しさが尊いのです。
ここに、類は類を呼ぶ法則が発動するのです。
慈悲深い霊的存在が供養者に寄ります。 時には、この聖霊
の助けも受けながら、自己に内在する大いなる根源存在へ
気持ちを向ける事が大事なのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (140)
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