伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

かんながら生活が大事

2010-02-02 10:30:51 | Weblog
随神(かんながら)とは、神様と共に生きる「生活」自体の事です。
人間には、志(こころざし)が大切です。
1。自分自身の心に神様が居られると意識しながらする生活と行動。
2。自分の心に神などが居るはずが無いと思う人の生活と行い。
この両者では、同じ条件で生まれたとしても、まったく違う人生を歩む結果に成ります。
1番の人の場合、他人からは見えない生活の部分でも、自分の良心=神が見ていると言う自制心があります。
絶えず神様は見て居られると思い、神様ならば「これはどう思われるか?」と日常生活で意識をします。これが進みますと、自分の中に神様の「視点」が確立して行きます。
これが神意識として、実際の霊的な超越した力を持つ事と成る秘密です。自分の生活の中の全てに、神様の視点を意識する事(生活)が、真のマントラ(真言や呪文)を唱える行為と成ります。

大昔の生きるだけでもやっとの人類の時代に、無学な人々の意識を見えない存在=神に向けさせるための方便(うそ)として、マントラを唱える行法が発生しました。
不可思議な言葉を唱える間は、神に対して心のベクトルが「向く」であろうと言う方便です。霊的な意味は、本当に初歩の意味付けしかないのが真相です。
これが現代では変容して、マントラ自体に霊力が在るとか、何万回も唱える事に意味が在るとされてしまっています。
「裸の王様」(冷静に見ると滑稽。常識外れ)の様な行法を、大の大人が真剣に今でもされています。霊的な本質を外しているので、目覚めは絶対に起こりません。逆に、自己に内在する神性が退化します。
全ての宗教的な行法が、カンナガラの視点を無くしてしまっています。
神様の意識と共に生活をするのが、信仰の本質なのです。
神様の視点で、自分が物事を見られる様に成長するのが人生の目的です。
今日も、神様の視点を忘れない為に、この言葉と共に生きます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

応援して下さる方は、この3箇所をクリックして下さい。
携帯からクリック出来ない場合は、
http://www.geocities.jp/poriporry/m/ 
クリックして現れるランク一覧の中から伊勢白山道を押してね。
初めての方は、まずCATEGORYの「初めての方へ」、先祖供養については
BOOKMARKの「短冊と線香による先祖供養ダイジェスト」をお読み下さい。
私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (522)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする