伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

あきらめてはダメですよ

2010-02-23 11:13:13 | Weblog
相殺(そうさい)とは辞書を見ますと、差し引くこと。帳消しにすること。また、長所・利点などが差し引かれてなくなること。などの意味があります。
これは経済だけでは無く、この世の色々な場面で繰り返し起こっていることです。深酒をして酔い止め薬を飲んだり、彼女と喧嘩をしてプレゼントを送って仲直りをしたりと、色々な場面で相殺の原理が働いています。
実は霊的な因縁の法則においても、因縁の相殺は在るのです。

人間は、自分が過去にしてしまった失敗や罪を引きずるものです。その後悔から、過去の出来事とは関係の無い有料信仰にハマったり、大切な今の時間を楽しめずに漏電している人が多いです。
その結果、新たな不幸を引き起こすものなのです。
済んだ過去とは既に固定された物です。同じ過ちを犯さない為に、忘れる事はダメです。ただ、その過去の物事を、違う形で補(おぎな)う事は幾らでも可能なのです。逆にお釣りを産み出す事さえ出来ます。
逆に言えば、償(つぐな)えない過ちなどは無いのです
極端な話ですが、人を一人殺めてしまったならば、後悔と共に自殺をするのでは無く、逆にたくさんの人々を助ける様な生き方を命ある限りすれば良いのです。
その相殺の結果は、自分が死んだ後の49日間の間に、自分自身の良心=内在神が判決を下します。
どんな言い訳もウソも通じなく、公平な判断が降ります。

私たちが生活をしている間に、水面下で色々な相殺が起こった結果、今の自分の境遇が在ります。これは、たまたまの不運や幸運の産物では無いのです。
思考から肉体面や行為まで含めて、色々な善悪の打ち消し合いが在り、これに他人や縁ある霊、過去生の干渉まで入ります。
何とどれを相殺しているのかが複雑過ぎて、自分では結び付けられ無いだけです。一切のムダはありません。
これからも相殺が起こって行くことでしょう。
ただ一々と相殺を考えながら生きる必要はまったくありません。済んだ過去を悲しむ事も不要です。まだ来ない先を考えて不安に成るのも不要です。
自分の良心を意識しながら目の前の事を行い、自分が生かされている原点に感謝をしながら、毎日歩いて行く事で大丈夫なのです。
これが神様に心を向けている事に成ります。正しい信仰をしている事と成り、色々な事が改善します。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (682)
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