伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

努力すれば、お任せで進む

2010-02-09 13:10:50 | Weblog

人生には、物事への未練を捨てる練習の意味があります。
これの学びが必要な魂は、他人(=冷静に見る事が出来る)から見ると「なぜ、そんな人が好きなの?」と言いたくなる人を好きに成ったりもします。
釈尊も、すべての人の苦しみの原因は、物事への「執着」から起こると言います。
神道的には、潔(いさぎよ)さと言うものを大変重視します。

ここで大切なのは、自分が出来る努力をせずに中途半端だと不完全燃焼と成り、未練と執着がくすぶると言うことです。
未練を捨てる=執着を無くするとは、努力をせずに諦める事では決してありません。
好きな人や、欲しい物には自分が出来る努力をしながら、その状態と経過を眺める視点が大切です。そして、起きた結果には潔く受け入れる事です。
この気持ちの状態は、実は非常に霊的な作用が働き掛け易い磁場を形成します。
本人にとって本当に必要な物事ならば、潔く受け入れて忘れた頃に、物事が好転する事が多々起こるものです。
執着して思い続けている内は、逆に何も進展しないものです

これと同じ様な事が、信仰にも言えます。
自分の欲得な物事を、本当に神霊が鎮まる場において祈願をしますと、霊的に逆の良くない作用が起こります。
そうではなく、神前まで自分が来られた健康に感謝し、自分が生かされている事への感謝だけを神様にしますと、自分が抱える深層意識の物事で神意に叶う事は「丸ごと」好転します。
神様に対して細かい申し付けをする事は全く不要であり、その神を信じていない不敬な行為でもあります。これはすべての信仰に言えます。

神霊に参拝をする行為は、自分の内在神と神霊との出会いの場でもあります。2つの神気が合わさった時に、参拝する肉体に祓(はらい)と禊(みそぎ)の浄化が起こります。
神前にたどり着くまでの自分の行動と人生のすべてが霊的に凝縮されているのが、その人物にとっての参拝です。
人は参道(産道)を通過し、参拝によって再生して生きます。
参道は神社に在るだけでは無く、社会生活の中にも色々と在るのです。
人との出会いの参道、働く縁の参道、楽しむ行為への参道。。。これを執着を持たずに潔く感謝をしながらこなす事で、心の祓が起こっています。

他人と会う事も、内在神同士の出会いです。
自分の良心からの対応をしていれば、後は流れに応じたお任せの関係で良いのです。
そこに自分の執着や未練を持ちますと、魔が刺します。
自分が生きている原点への感謝さえ忘れなければ、この世は良い事ばかりです。
水が流れる様に潔く生きて行きましょう。これが本当の自分にとって最善な道を歩かせます。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
個人的な相談はメールでは無く、コメント欄でお願いします。

コメント (551)
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