伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

神様には、アイサツをする事がすべて

2010-02-14 11:43:00 | Weblog
仁義(じんぎ)と言いますと、何かヤクザな世界の事だと思いがちですが、辞書を見ますと、
1。道徳の根本理念。道徳の類語である。儒教思想の言葉。
2。道徳上守るべき筋道。「―にもとる行為」「―を重んじる」
3。他人に対して欠かせない礼儀上の務め。義理。
4。 《「辞宜(じんぎ)」からか》ばくち打ち・香具師(やし)などの仲間の道徳・おきて。また、その仲間内で行われる初対面のあいさつ。  などなど有ります。
仁義を守って生活をする事が、その人に真の幸福をもたらすと儒教では伝えます。

私は仁義(じんぎ)と聞きますと、日本語の音の神秘性ゆえか、=神祇(じんぎ)と浮かびます。
神祇とは、天(=天津神)と地(=国津神)の神々の事です。
「仁義を切る」と言いますが、これは「神祇(神様)への挨拶アイサツをすること」と感じます。
アイサツとは、神様と「向き合う事」です。要は、これだけで十分なのです。自分の生活の中で神様にアイサツをする。これが本当の信仰の姿です。アイサツをする事に、変な見返りの期待をしてもムダです。
ただ、人間同士でもアイサツをしていれば、何か有った時には助けてくれる人も中にはいます。その助けるウンヌンは、相手に「御任せ」なのが普通のことです。自分から強制する事は出来ませんよね。
信仰の御陰を自分が受けるのかどうかは、内在神への御任せです。内在神は、自分自身のすべてを観ています。

どんな大げさな行法や秘密の教えとか言いましても、それは人間からお金を搾取する手段に過ぎないのが真相です。もし、そのような秘密な事に効果があれば、魔界の関与と思って間違いないです。
正神が秘密に関与する事は、絶対に有り得ません。空気の様に必要な物は、無償で提供しているのが神様です。個人と個別な「契約」をする様な霊的存在は、どんどん消滅して行っております。その様な存在からは、人物も含めて離れて見ている事が、個人の明暗をこれから分けます。
生活の中で、色々な物事にアイサツをしながら生きて行けば、間違いはありません。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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私の返答が無いコメントは、霊的な問題では無いと言う事です。
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コメント (460)
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