伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

考えるよりも、歩く実践

2010-07-17 11:35:35 | Weblog
多くの人に悩みがあります。これに対する私からの返答は、本当に相手の根本からの改善を思いやれば、伊勢式(http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20100716)の実践としか言えません。
低い意識のままでは、「何も成すことが出来ない。」「悩みは、切りがなく発生する」からです。
人間は自分から泥の中に居ながら、泥から出ようとしていません。
泥の中に居れば、必ず泥(=悩み)に接触します。
泥の中に居ながら、自分の周りに泥除けの囲いを造ったり、泥を手で押しのけようとする行為が、今までの有料信仰や占術、祈とう・伝授瞑想だと言えます。必ず泥が憑きます。絶対に泥を避けることは出来ません。
要は、「自分で」泥沼から出るしか無いのです。

では、どうすれば良いのか?
自分自身が、欲しがる・避けたがる・逃げたがる・楽をしたがる、から苦しいのです。
自分から、与える・情けを掛ける・思いやる・気配りする、だけの視点で生活をすれば良いのです。
ここには、「自分の立場」と言う物が薄くなっています。つまり、自我が薄い状態です。自我が薄いとは、悟りの方向に自然と向かいます。
つまり、人間は「与える」だけの視点を持てば、悟り(解放)に至る仕組みが神様によってされています
悟りを求めて一人何も成さずに座るだけでは、真の悟りは絶対に訪れません。
逆に言えば、真からの悟りには、自分が与えるべき他人が必要とも言えるのです。だから神様は、イザナギ・イザナミの二神の争いから始まるのです。聖書でも人類の始祖は、ダマしダマされるアダムとイブの二名です。

色々と在る家庭や社会生活こそが、自分自身に悟り(泥沼からの脱出。悩みからの解放)を提供する場所なのです。
自分の隣にいる嫌いな苦手な臭い人は、悟りの師匠かも知れませんね。まさに気付きを伝授してくれる人です。
実践をすれば自分の体感で分かる事を、事前に言葉で聞かされても分からないままです。頭で理解しようとするから分からないので、経験をすれば分かります。
先祖の為の感謝の3本供養も、自分の慈悲や思いやりを育てる練習の場なのです。
人間は、自分自身が持つ慈悲(情け心)によって、霊的に自分が救われるのです
欲しがる間は、この世の欲しい物は与えられず、一見は関係の無い慈悲心をもてば、何でも与えられる法則が現実界に在ります。
思いやりを持つ実践をして生きましょう。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

人類の 5% 運動を広めたいです。
    

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コメント (609)
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