伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

日常の中に答えが在る

2010-07-19 11:12:57 | Weblog
自然は、良いです。無言だからかも知れませんね。
コロコロと変わる心には、一番優しいのです。悲しい時も無言、楽しい時も無言ですから、今の自分に合います。
大きな自然は、どんな自分にも合わせて呉れますから、逆に自分から自然の何を見るのかが大切です。
神様も自然と同じです。
やはり、人間が作った宗教と言う枠には、納まり切れません。教えや建物の形にした時点で、本当の神性は消えています。

仏教で言うところの悟りについても同じです。
悟りたいと思い、瞑想する時点で悟りから離れています。生活の中で、心が何も考えない状態に成れれば良いのです。労働の合間の、ボーとする休息時が既に瞑想です。坐禅を組まなくても、自然に体がリラックス出来る形が良いのです。つまり、人によりリラックス出来る形は変わります。
もし働きながら無心に成れれば、給与を得ながらにして、大いなる存在に私たちが生かされている感謝に気付けるかも知れません。すべてが溶けて和解します。
この時、悩みは現実に在るのですが、受け入れて楽しむ事が出来るのです。覚醒しても、最後は通常通り病気で死にます。

神が降りるのは、神道形式がギリギリ限界だと感じます。
1。教え無し。 2。拘束なし 3。出入り自由で、名簿無し 4。自主的な寄付による維持。 などなど良い面が多く在ります。
しかし、これも近代では、崩壊が散見されます。
神社とは本当は、古代から続く「入らずの森」や「御神体の山」を守る小屋だったのです。
神官とは、森の番人であり、神域の周囲を掃除する村の責任者だったと感じます。

自分なりに生活の中で、自分の心を見つめて、見えない思いや存在をも尊重できれば良いですね。


写真は、読者が昨日に白山の山頂から撮影した日の出の風景です。

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