伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

罪と共に生きる姿勢

2010-07-27 11:09:10 | Weblog
私が生まれた産婦人科の病院の医師は、父の友人でした。若い頃は、よく飲みに行く間柄だったようです。
その病院の玄関外の脇には、石のお地蔵様が安置されていました。いつも花束が供えられています。父がお地蔵様を置いた訳を医師に聞きますと、病院の売上の大半が堕胎の報酬なので、
「これで生活をする自分は、赤子の犠牲の上で成り立っている事を、自分自身が忘れないために置いている。」
と答えられたそうです。

この話は私が子供の頃に、父と母の会話を横で聞いていて覚えていました。その産婦人科の医師は、近所でも人格者で評判の高かった人でした。
今思いますには、あの医師は仕事をしながら日々苦しんでいたのだと感じます。母体内で逃げようとする胎児を殺すわけですから、その感触を一番に知っているのです。昭和40年代前後の堕胎手術ですから、おそらく現在よりも医療的に不備な点が多かったでしょう。その分、よりリアルな感触だったと思います。
嫌な仕事だけれども、誰かがしなければ生けないのです。未成年から主婦まで含めて、様々な人間模様と堕胎理由があるのです。理想的には、堕胎禁止が良いのですが、母体が生きる事を優先するのも分かります。答えは出ません。

結局、あの医師の心境は、宮沢賢治の詩だったのだと、彼の風貌から今は思い出します。
「日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き」、です。
やはり、この世の中には、「仕方がない」事が在るのです。その代わりに、決して「忘れない」のです
嫌な事を忘れようとはせずに、出来れば明るく静かに見つめるのです。なぜならば、この世は必ず過ぎ去って行く次元だからです。物事を見つめる経験をするために、私たちが生まれて来た意味も在ります。

霊障も同じです。縁ある存在を忘れますと、知らせようとして障りが起こるのです。だから、自分から気付いてあげれば、霊障の大半は納まります
しかし、無数に存在する縁ある故人などは、いちいちと思い出せません。だからこそ、自分に縁ある全体へ供養を捧げる習慣が効果するのです。漏れなく縁ある霊に届き、知らせるための霊障が消えます

この医師の死後の行き先を観ますと、平安な心境の霊界に居ました。
決して地獄には、落ちていなかったのです。
この理由は、彼が生きている内から、堕胎の罪から視線を逸らさずに見つめ、そして現実界の次元で悩みながらも自分なりの誠意を尽くしていたからです。
死後に自分の良心による相殺に人生を掛けたとき(49日のバルドォ)、最後には良心が多く残っていたのです。
私たちも罪を犯したとしても、その罪を忘れずに、その分より多く自分の良心に従って生きれば大丈夫なのです。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

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コメント (634)
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